帰還
五日目の朝。機織り部屋に向かうと、相変わらず村の女たちは来なかった。マーヤとも顔を合わせていない。私はあの発言を、反省すべきだろうか。形だけでも謝る価値はあるけれど。そんな気になれない。
一人で針を動かす。たまに意識がぼうっとする。すると針が指先に刺さって起きた。
六日目。雨が降った。寝不足で視界が霞む。朝晩の床が冷たい。旗の縁取りは進んでいるが、中心は白いまま。何を描けばいいのか、まだ考えていた。オルグレイドの顔を思い浮かべても、ぼやけてしまう。縁どられた旗を膝に乗せようと、針先は動かない。何も進まないまま、日が過ぎる。
七日目の夕暮れ。彼が約束した一週間だ。朝から落ち着かなかった。布の裏側で、何度も糸が絡んだ。昼が過ぎても見張りの角笛はならない。
もしかしたら、帰ってくるのは明日になるのかも。
魔物の群れが思った以上に多かったとか。
川を越えられず、足止めを食らっているとか。
そう言い聞かせながら、椅子に座り直した。
日が傾く。窓の影が長く伸びる。針が汗ばんで滑った。
もし帰ってこなかったら。
討伐隊の誰かが、聖剣だけを持ち帰るのだろう。聖騎士の腕輪を外された、冷たい手首を想像してしまう。
「いけないわ。不吉な考えが、悪さを呼ぶのよ。明るく、明るくふるまうの」
最悪の結果は、まだ考えなくていい。そうサフィラスに教えられた。思考を取り払うべく、目を閉じる。父の元へ聖剣が戻る。それは正しい形のはずだ。正しいのに、胸が痛い。
彼が死ねば水の民が清々する?
そんなはずがなかった。また葬儀が行われて、次の聖騎士が任命されるだけ。ただその葬儀も、武勲もままならない、火の民となれば。たかがしれていた。
いつ来てくれるだろう。約束を守ってくれる保証はないのに。私は気づいたら、約束の日が間違っていないか数え直していた。そうしていると、遠くで、馬のいななきが聞こえてくる。弾かれたように、廊下へ出た。窓を覗くと、人垣が見えた。
討伐隊が帰還したのだ。中庭に馬の頭が並び、兵士によって荷が下ろされていく。馬小屋に戻る蹄鉄の音。指示を出し合って防具や食事の入った木箱を、彼らはあるべき場所に片付けていく。無駄がなかった。廊下で立ち尽くしているだけで、見事に隊が解体される。だが、赤い髪が見えない。下の庭で動いているのは、水の民だけ。そう思っていたら、突き当たりの階段から、マーヤが駆け上がってくる。赤ん坊を抱え、膝を壊さないか心配になるが。彼女は息も上がらせても、背を丸めることはしない。
「旦那様、お見えになりましたか」
「まだ見えないわ。あなたは?」
「さきほど、階段を上って」
私が機織り部屋にいる間、すれ違ったのだろう。マーヤがロライトを肩に寄せてため息をついた。その態度だけでも、オルグレイドを良く思っていないことだけは、よくわかる。
「あの人のことなら私に任せて。あなたは夕飯とお風呂の準備を」
「くれぐれも、下手に刺激しないよう。野営地に娼婦を招くことはできますが。ここには奥様しかいないのです」
マーヤの言うことを、今は冷静に受け止めた。彼は娼館通いを否定しているが。女の人を組み伏せるほどの力はある。気を引き締め、さらに上の階へと足を運んだ。寝室の扉を叩く。中から合図はない。暖炉に薪を投げ入れる音が響いていた。
「ネリネです。失礼いたします」
扉の蝶番が虚しく鳴った。顔をのぞかせれば、革手袋と鞘に入った剣が、暖炉の前に並んでいる。彼は鎧を脱いでいた。絨毯の上で、きつく締まった革ベルトを緩めている。鉄の肩当てが床に落ちた。一つ、また一つ。肩から腕にかけて。その鎧に気安く触れることは許されない。彼らにとって武器は命を守るものだ。しかし、胴鎧はそうもいかない。
「手伝います」と声をかけ、脇にあるバックルを緩める。いつも誰に絞めてもらい、緩めてもらっているのだろう。一人ではとても着られないような鎧も脱ぎ、オルグレイドが腰を下ろした。
「あとはできる」
鉄と汗、馬の匂いが立ちはだかる。鎧の下に隠れた、綿の詰まった衣服はさらに汗と泥に汚れていた。
「近くにまとめておきます」
絨毯に膝をつける。決して鎧にだけは触れないよう、身の回りの整理を始めた。脱ぎっぱなしの外套を畳み直し、硬貨の入った小さな巾着をその上にのせる。円盤状の水筒を持ち上げると、とても軽い。コルクの硬い栓を開けてみれば、底が見えた。川にも立ち寄っていないみたいだ。最後に森で水を汲み、それが尽きる手前、帰って来たということか。私は水魔法で中を満たす。
すると彼の手が、水筒を取り上げた。脚の防具も外し、無造作に座った彼は、水筒を仰ぐ。口の端から溢れることもせず。水筒のふくらみが萎んだ。すぐに空になる。再び、私が水魔法で中を満たせば、彼はまた飲み干した。栓を締め直す隙もない。オルグレイドはやけに水を求めていた。単なる疲労とは考えにくい。見えない表情から汲み取ろうとうかがったが、彼は大きなため息をついた。
「……行け」
立ち入りを許さない声だ。
私は洗い立ての衣服を取り出し、それだけ置いて立ち去ろうとした。その間際、彼は汗ばんだシャツを脱ぎ捨てる。暖炉の炎に照らされると、私は息をのんだ。




