1 命令
乾いた靴下と靴を借りる。墓場に手を組みに行こうとしたが、どうしても気が乗らない。まだサフィラスはどこかで生きていると信じたくて。父も隣にいてくれないなら、私は一人で行けそうになかった。
石造りのくぼみに腰を寄りかけ、じっと広間で待つ。しばらくして、今後の話をつけた父が姿を見せた。
「なんたることか」
杖、右足、左足。杖、右足、左足。規則正しい音にも、少し迷いがあるようだ。
「どうか落ち着いて聞いてくれぬか」
言われることは分かっている。覚悟も持ってきた。私は床に膝をつける。
「お前をこの手から離すには、もちろん惜しい気持ちがある。が、あの男にやらねば」
あの男。父の視線の先にある気配に、私は目を配った。
いつの間にいたのだろう。扉のところに立つ男の影が、室内の光を遮っている。まず目に入ったのは、私たちとは全く違った肌の暗さだ。
男は額にかかった赤髪を後ろに撫で付け、鋭い目で私を睨んでいた。赤い。彼の瞳は血のように、あるいは狂った炎のように、赤い。その赤い目が一瞬だけ、私と交差する。だが、彼はすぐに顔を背けた。
「俺には身に余る事態だ。だがその分、力を尽くすと約束する。これから先、何があっても、この地は任せてほしい」
人の葬儀を執り行ったとは思えないほど、落ち着いた声。低くも、はっきりと頭上から響いてきた。
あれが噂の新しい城主なのだとは一目瞭然だった。
父なんかよりずっと体格がいい。カカシみたいだと思ったが、シャツから覗く、固く鍛え上げられた肉体は、熊避けにすらなりそうだ。何より、無機質な石像のように、感情が読めない彼の顔は、戦士そのもの。
「此度の結婚はお前にとって、さらなる精進のために必要なものとなろう。困ったことがあれば、いつでもこの娘を使って、私に連絡をよこしてくれて良い」
父の言葉に、オルグレイドは冷徹な顔を崩さなかった。
「ネリネも、異論はあるまい?」
そういわれ、私は地面につけた膝へとさらに頭を下げた。貴族たるもの、家名のために。何より父の命令は絶対だ。父は私の意思を受け取ったのか、軽く息をつく。「もう十九か」という彼の独り言が、普段と打って変わって寂しく感じた。
「この年になるまで育ててもらった御恩は、決して色褪せません。これからは遠くからになりますが、お父様の御心に沿えるよう、私もまた尽力します」
私も喜びを表せば、父が安心したように頷く。
「さて明日は、騎士の叙任式としよう。お前も式では、そのような服を着て出席してはならぬ。私の古い服を持ってきてやったから。ネリネの夫となるには、ありったけに着飾ってくれ」
そうは言うものの、オルグレイドの体格では、父が持ってきたものだと小さすぎる。つまり、礼服を着させる気が、父にはない。洒落た皮肉に、しかし粗末な田舎の騎士は、動揺も見せなかった。
「領主殿の配慮には感謝する。だが、俺には着る服があるんだ」
「なんと……こうなることを予想していたみたいだな。いや、準備の良さは騎士として認めるべきことか」
父の言う通り。オルグレイドのような、異国の人に、結婚のための礼服が準備されているのはおかしい。彼のような身分で、礼服など到底用意できる代物ではないのだ。けれど父はすばやく切り替えるように、振り向いた。
「では、服に関しては、お前の判断に委ねるとしよう。私は料理長に、宴の準備に取りかかるよう言わねば」
と父が去る。同じ空間に取り残されたオルグレイドと私は、黙ったまま、目すら合わせずにいた。もはやこれ以上の会話はない。これは形だけの結婚なのだから。呼吸だけの沈黙がざわめくのを、先に彼が切った。
「もうわかっていると思うが。俺がオルグレイドだ。一応……お前の夫になる」
短い挨拶には、成り行きでそうなったという思いが込められている。この葬儀で、一番の得をしたのは彼に違いなかった。火の民と言う立場でありながら、水の国で地位を約束されたのだから。無念さをよそに、私はドレスの裾を摘み上げ、深々と頭を下げ直す。
「やめてくれ。俺はそんなに偉くない」
「いいえ、オルグレイド様。こうするのが正しいことなのです」
荒くれ者の異種人が相手だろうと、立場上、妻は夫の所有物だ。
「ジルトハイン辺境伯が娘、ネリネです。不束者ですが、ご迷惑をおかけしないよう努力いたしますので、よろしくお願いいたします」
「名は知っていたが。これからお前を、なんと呼ぶべきだ?」
「ネリネと呼び捨てで、かまいません」
憎しみを込めて、私は彼を見た。彼は相手にもせず、ほどなくして私を避けるように部屋を出ていく。
テルメア村の城に来るのはいつぶりだろう。
かつてここには立派な騎士がいた。葬儀が終わった今、人々が口にするうたい文句だ。しかしその死を嘆くより、村を騒がせているのは、新しい騎士になる―――
「オルグレイド」
聞き馴染みのない響き。私たちとは真逆の火の民の名を間違えないよう、私は手の平を握った。引くわけにはいかない。そう思っていたら、どこからか泣いている声がした。




