図案
亜麻糸の繊維が宙を舞う。横糸を隙間なく引くたび、朝の柔い日差しが手元で踊った。その様子を椅子を引いて眺めるクロリスが、間も開けずに呟く。
「みんな来ないですね。うちが呼んできましょうか」
糸紡ぎたちがいない空間は、足で機織りを踏む音すらうるさく感じられた。しかし、足元のカゴを見れば、溜まった糸が積み上がっている。
「あとは一人でできる仕事だもの。呼んでくるより、お礼を言いたいぐらいよ。あなたも、今までありがとう」
「そんな。うちなんて、糸もちょっぴりしか作れていません」
「それもちゃんと使わせてもらうわね」
そう言って、糸の切れ間に当たった。新しい糸を端に付け加えようとすると、クロリスが顔を近づける。
「綺麗……」
織り上げた麻の布に、彼女が感嘆のため息をこぼす。羊毛と比べて硬くゴワゴワした麻。そのおかげで、油分も無くなった私の手が、荒れ放題であることも知らずに。彼女が布だけに見惚れるよう、手を引っ込める。
「すごく楽しみです。ここに縁取りして、赤とか青に染めた糸が縫い込まれたら。時間を忘れて眺められます」
クロリスが想像するほどの旗を作れるかは別として。お世辞でも褒めてくれる人がそばにいる。それだけで、手を動かす理由が増えた。
「確か今、集会所に飾られてるのは……」
「村に一番古くから住んでいる、ロッケの一族が作ったものです。あそこの当主には四人も娘がいて、最後の末娘がもらわれたときに、家族総出で糸を紡いだらしいですよ。でも末娘はあまり刺繍が好きじゃないのか、一族の守護霊だとかいって、イノシシの図柄にしていましてね。うちからすると不細工だし、つまらないなって」
「クロリス、それは絶対本人たちの前で言わないことよ!」
村で大きな一族を怒らせたら、どんなことになるやら。そもそも彼らもあまり結婚式で良い顔をしていなかったような気がしてならない。それもオルグレイドが隣にいたせいで、ろくに会場へ気配りがなかったため、憶測でしかないが。
「でもぉ。長いこと新婚たちが飾る旗を見てきましたけど、全部一族の古めかしいシンボルばっかりなんですよ。たまには違うの見たいし。その点、前の奥様はうまくやってました」
「ミア様のことを言うなら、サフィラスを大切に思う気持ちが大きかったのよ。あの人は家紋を縫うどころか、サフィラスの横顔を描いて、かなり村がざわついたでしょう」
「あれが飾られてた時は、それはもう騒動でしたよ。あんな露骨に夫への好意をむき出していては、そのうち村人の顔も一人残らず忘れられて、頭の中は夫だけになるなんて、ロッケ一族の慌てぶりと言ったら。けど、うちのような若い世代には響いてました」
私としては、無難に家紋か、村の風景か、このお城の図案を縫うだけで終わらせたかった。集会所に旗を掲げさせてもらうためには、まず村の人たちのお伺いを立てるべきだからだ。それにしたって、ミア様の愛ゆえの果敢さは、私には一生考えられっこない。
あの当時のミア様が、騒ぎを起こそうとどれだけ人を惹き込める力があったことか。彼女は病弱で、城から出られない日もあったけれど。人柄の良さと立ち振る舞いは、さすがフロッセ伯爵令嬢だった。
「ところで、奥様は旦那様のどんな姿を描くのですか。うち、きっと奥様なら、ありきたりすぎる旗なんて作らないって信じてるんです」
クロリスの曇りなき眼差しに、私は苦笑いした。結婚式場での彼しか知らない。噂に聞いたのだって、オルグレイドが娼館に行っていることだ。その場面を縫い上げたら、村の集会所を通る人が釘付けになる。婚礼を終えた後の最初の旗は、道ゆく人に目がつくよう、飾られるのだから。
「挑戦するとしても、肩打ち儀礼の姿かしらね。お父様の前で膝をつく姿にすれば、誠実さを宣伝できるわ」
領主に誓いを捧げる場面を描いておけば、みんなの安心にだって繋がるだろう。
「それはそれで特別な瞬間ですけど、もっとネリネ様にしか見れないような、旦那様のお姿ってないですか」
「夫婦だからって、あなたたちが知らない姿を知っているわけじゃ……」
言いかけて口をつぐんだ。火という異質な存在として、彼は赤子に触れることすら、簡単に許されない。しかし、昨日の眠りがけに聞いたことは、忘れようと決めたのだ。
「何か思いつきました?」
「ううん。やっぱり、あの儀式の姿かテルメア村のお花にしておきましょう」
「それじゃまた、単調なシンボルが並ぶじゃないですか」
「そんなことないわよ。私、テルメア村を象徴するお花は好きなの。川辺に沿って、お行儀よく控えめに五枚の花弁を咲かせる、青い忘れな草がね」
「うちのへんちくりんな頭で、ネリネ様にひらめきをご教授できたら良かったんですが……。まあ、そのうち、旦那様の素敵な姿を見ちゃって、かつてないほど珍しい旗になるでしょう!」
軽い気持ちで考えるクロリスには、悩みなんてものは頭にないのだろう。その気楽さが少し羨ましくなった。
それからクロリスに城の用事を任せ、丹念に麻布を仕上げにかかった。考えてみたが、この布を綺麗なんて言ったクロリスは、いい布を見たことがないのだろう。私が知る中で一番美しかったのは、父が持っている豪奢なマントだ。縁取りに使われるリスの毛皮と、絹の肌触りは、麻をいくら丁寧に織っても荒く思わせるほどの滑らかさを誇る。
「お父様には安っぽいって言われてしまうわね」
しかし、麻で織り上げるのは管理のしやすさにある。夫婦の最初の旗は、どちらかが死ぬときに、遺体を包むため。そして一番最後に作られた旗は、残された者を包むために保管しておく。
ミア様の旗は、すでに二枚も焼けているのを思うと、胸が詰まりそうになった。彼女の旗はどれも私には眩しいほどの才能だった。今は物置部屋にしまい込んでいたはずだが、マーヤもどこにあるかは詳しく知っていない。いつか見つかる日が来たら、私はロライトに見せてやりたかった。




