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12 無知と近況

編(あ)み出された旗の下地は、いまや自分の背より大きくなっていた。


「ネリネ様、最近の城主様のご様子はいかが」


女性たちが世間話(せけんばなし)をする輪の中から、声が上がってくる。私は「変わりありません」と答えるものの、髪をおさげにしたボニーが笑いだす。そういえば、彼女は宴(うたげ)の席から出ていった一人だった。笑い出すのを傍目(はため)に見たクロリスは首を傾(かし)げる。


「どうして笑うんですか」


「あら、この面白さがわからないなんて。結婚した後だっていうのに、男に変化がないっていうことは、それだけ冷(さ)め切ってる証拠(しょうこ)よ。表面はお嬢(じょう)サマでも、中身は火の男を惹(ひ)きつける魅力(みりょく)もないのね、この女は」


他の女性たちは黙(だま)っているが、否定しないあたり、ボニーに賛成(さんせい)なのだろう。


「昼間に城主様がどこにいるのか、お嬢サマは把握(はあく)してないのでしょう。もしかしたら娼館(しょうかん)に行っているのかもしれないのに」


嫌味(いやみ)っぽく聞こえるが、民の相手をするにしても、噂(うわさ)をできるだけ広めないようにしないといけない。オルグレイドが知らない罪まで着せられて、民が暴動(ぼうどう)に走る事態(じたい)になれば、私の血筋であるジルトハインにも泥(どろ)を塗(ぬ)る。


「まさか……そんなところに、オルグレイド様が行くわけありません」


私が否定すれば、ボニーはおさげを指に絡(から)めた。


「信じないのね。あたしの彼氏が見たって言ってたんだから。あんたの旦那を隣町まで追いかけてみたら、娼館に入って行ったって。部屋の場所から、相手がどういう女かまで教えてくれたのよ。知りたくない?」


私に与えられた使命(しめい)は、波風(なみかぜ)を立てないようにすること。だが、ボニーの話に、私の耳はますます傾(かたむ)きかけた。聞きたい。その相手がどんな人か分かったら、私はその人になれるよう、変わらなければ。辺境伯の娘として顔が立たない。


「……教えてくれるには?」


「そうねえ。お嬢サマが持つ中でも、とびきり上質(じょうしつ)な毛皮(けがわ)をもらえたら、話すかもしれないわ。貴族令嬢ならそれくらい、何枚でも持っているんでしょうから」


彼女がいう通り、毛皮は権威(けんい)の象徴(しょうちょう)だ。でも、私にはせいぜい、中流層(ちゅうりゅうそう)が使っている狐(きつね)の毛皮が精一杯(せいいっぱい)。それも外着(そとぎ)用にしまい込んでいる。

だが父の期待に応えるには、背に腹は代(か)えられない。これも仕方ないだろうと、条件を飲むと、ボニーがひけらかすように話し出す。


「まず相手は背が低いわ。そうでなくちゃ、威張(いば)ってるように見えるもの。それで、カブみたいに大きな胸と、滑(なめ)らかなくびれがあって。人目を惹(ひ)きつける色気(いろけ)がある。」


背にばかり栄養がいった私には、彼女の言う小柄(こがら)な娼婦(しょうふ)にはとてもなれない。


「なにより、その女は精霊が羨(うらや)むような、豊(ゆた)かで艶(つや)のある巻毛(まきげ)なの。口に出して気づいたけど。これって全部、私の特徴(とくちょう)に当てはまるわ」


ボニーの指摘(してき)する通り。あの初夜(しょや)から彼は私に触(ふ)れてこようとはしない。やり直(なお)そうとも言いだしてくれないのも、食事を共にしないのも。すべて理由がつく。

人が去っていく機織(はたお)り部屋で、私は途方(とほう)に暮(く)れていった。


「あんなの、ボニーの主観(しゅかん)じゃないですか。そのお相手、ネリネ様とは違(ちが)いすぎます。」


静まり返った空気に、クロリスが文句(もんく)をたれた。


「大体(だいたい)、ネリネ様で満足できないって言うなら、誰にも満足させられませんよ。旦那様が悪いです」


「そうでもないわ。夫一人、引きとどめることができない女として見られるのは、それだけ私がつまらないってことなの」


他所(よそ)の女性のもとへ夫が行く責任を、周(まわ)りから一々ほのめかされていては、肩(かた)の荷(に)も重い。たった一つの狐の毛皮を失ったのは痛手(いたで)だが、それ以上の応酬(おうしゅう)だ。


「好みの女性が分かって良かったわ。私には遠く及(およ)ばない」


諦(あきら)めのついた問題に、髪紐(かみひも)が解(ほど)けんばかりに、クロリスが首を横に振る。


「本人に確かめるまで、諦めてはいけません。騎士は誠実(せいじつ)さを貫(つらぬ)いてこそ、でしょう。それにネリネ様の魅力(みりょく)は、うちが保証(ほしょう)します」


「ねえ、クロリス。一応あなたは、娼婦の意味を理解してるの?」


「それはずばり、男の人にお茶を出して、密談(みつだん)する人ですよ。それでネリネ様のような、妻との時間を奪(うば)うことで、お金を得(え)る人です」


近からず、遠からずといったところだ。私は頭を抱えつつも、クロリスが余計な知識をつけないよう、頭をひねる。


「その……私と過ごす時間を奪うにしろ、娼館に通っているなら、良い兆候(ちょうこう)かもしれないわ。オルグレイド様が、火の女性ではなく、水の女性を求めているというのなら。この国を守る動機(どうき)ができる」


「でもサフィラス様なら、こんなことにはなりません。あのお方のような騎士に、聖剣を渡された者として。それ相応の誠意(せいい)を証明してもらえませんと。浮(う)かばれないです」


サフィラスは、誠実な男だった。騎士道をそのまま具現化(ぐげんか)したような、子供の憧(あこが)れだ。彼の選んだ後任(こうにん)が、不誠実(ふせいじつ)で不義(ふぎ)を働(はたら)くような男だとしたら。

サフィラスの評判は、ついに底(そこ)へ尽(つ)きてしまうのではないか。そう思うと、クロリスのように否定したくなる意見があるのを、多少なりとも理解できた。


「そうね。今晩、オルグレイド様が帰ってきたら、それとなく聞いてみるわ」


「そうしてください。それと奥様、外にタオルが干(ほ)しっぱなしですけど、もうすぐ雨が降(ふ)りそうですよ」


彼女の直観(ちょっかん)通り、空が暗くなるにつれ、雨の勢いが強まった。冬も間近(まぢか)となる頃(ころ)の天気は崩(くず)れやすい。

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