11 幼き夢
これは夢だ。私は自分の手が、今より何回りと小さいことに気づいていた。はっきりと分かっても、昔の記憶のおかげか、テルメアの城が鮮明に映っている。石畳の廊下がはるか遠くまで続く先。切りそろえられた彼の髪が、尾を引いていく。
「サフィ、待って!」
振り返ったサフィラスがその場で立ち止まり、私はズボンの裾に駆け寄った。迷子にならないよう、しっかりと掴む。
「僕のお転婆さん。廊下で転んだら大変だよ」
「今日はいっぱい遊びたいの」
私は指を折って考えた。かけっこ、目隠し鬼、人形遊びに昔話……そして、隠れん坊。だが、彼は眉間に皺を寄せ、困ったように唸った。
「そんなに遊んだら、日が暮れてしまうね。どれか一つにしよう」
「まだ……忙しかったりする?」
本当は、聖騎士の仕事で手一杯なはずだった。周りの人は気づかなくても。魔物討伐から戻ったばかりの日は、彼が疲れているのを私だけは知っている。
「そうだね。あれもこれもって、依頼が舞い込んでるんだ」
「どういう依頼?私、サフィの力になりたい!」
「嬉しいけど、お前にはできないと思うな。なんせ相手は、『いにしえの竜』と呼ばれる、恐ろしい魔物なんだ」
「でもサフィが剣を握れば、一瞬で退治できるわ!」
私は無邪気に言った。サフィラスは疲れも吹き飛んだかのように、大きく笑う。
「そんな簡単じゃないよ。よし、どれだけ怖いか、話してあげよう」
彼がおどけたように手を広げ、「ガオー。」と爪を向ける。私はきゃっと声を上げ、中庭へ逃げ込んだ。石柱の影に隠れたところで捕まり、彼の腕にすっぽり丸まってしまう。
「その魔物って、大きいの?」
「とってもね。村を丸ごと飲み込むほど。これは……お前が生まれる前の話。国に眠る大きな異形が、眠りから目覚めたんだ」
彼は私を軽々と抱えながら続けた。
「魔物っていうのは、穢れが積み重なって生まれる。死んだ動植物や人間の魂が、あの世に帰れず土に溜まって……誰かの生きた魂を求め、少しずつ形を得ていく。そうして化け物になるんだ」
難しい話は半分も分からないが、私はサフィの目を見つめ、頷いた。
「その竜は千年間、誰にも見つからなかった。けど、ある騎士が……尻尾を見つけてしまった」
「すごい騎士なのね!」
「……傲慢なだけだよ」
サフィラスが地面の土を指でなぞり、魔物の姿を描いた。それは蛇のように長い体で、鋭い爪と牙、コウモリのような翼を持ち、鱗で覆われていた。
「竜は灼熱の炎を吹く。水の民なら、一瞬で灰になる。風を引き裂く爪、獅子より太い足、山を割る尻尾。騎士たちは手も足も出なかった」
「やっつけたんじゃなかったの?」
「いや。やられたんだ。火傷を負って、部隊は撤退。騎士も死ななかっただけ、奇跡だよ。無謀な戦いだった」
彼は静かに、指についた土を払うと、空を仰いだ。後ろ手にある銀色の腕輪が輝く。
「……いつかこの先、竜を倒す真の英雄が現れる。王城では密かに、そう囁かれてるのさ」
「それって、サフィのことでしょ」
その予言には、自分でも自信があったが、サフィラスは頭をぽんと撫でてくる。
「もし今後、聖剣を握る者が出てきたら。そいつは竜より、恐ろしい存在になるだろうね」
彼の顔が白く霞み始める。空の群青を押し込めたような、優しげで儚げな瞳。陽に当たるとどんな光を宿し、影の中でどんな色に沈んだか。少しずつ記憶から褪せている。
「……サフィ」
寝言をぼやくと同時に目が覚めた。新しい朝日が、空白の寝台を照らす。
朝から何も言わずに出ていくオルグレイド。まだ話のできる余地があれば、私はここでの生活を懐かしさと夢に浸っていれた。
けれど監視を命じられた領主の娘としては、夫のどんなことでも目に収めて報告する義務がある。彼の姿を城で見かけても、私から話しかけられるような気楽さはない。それは彼とて同じだろう。領主の娘を、彼が娶ったのは、輿入れ金を手に入れて軍備を整えることと、命令に背くわけにはいかなかったのと。
とにかく、日常を共にし、笑い合うような暮らしは、ここに望むものではなくて。
ご飯の席を共にしない彼にとって、私は目障りで形だけの妻。そんな憶測が、徐々に確信へ変わっていった。




