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輪の外れ

早朝の城は静かだ。食堂からくる風にも、宴の匂いはすっかり消えていた。清々しく廊下(ろうか)を渡って、城の裏手から出る。そこには洗濯場に適(てき)した川が流れていた


「早いですね、ネリネ様!洗濯物ですか?」


「今日も元気で何よりよ、クロリス」


明るい声のおかげで、陰鬱(いんうつ)としていた曇天にも、朝日が訪れる。クロリスは朝ご飯を持ってきてくれていた。昨日干したばかりの服を籠(かご)へ畳(たた)んで、腰を下ろす。直接、芝生に座るのはいつぶりだろう。


「あの……どうだったか、ご感想を聞かせてもらえますか」


「そうね。窯焼(かまや)きパンは、やっぱり美味しいわ」


「食事の話じゃなくて。あの夜のことです。そりゃパンはうちが焼くとかなり美味しいってのは評判ですが。みんなが知らないことを教えてほしいんですよ。旦那様と……お部屋で何をしたのか。パウラおばさんも、あれから口を開いてくれなくって」


彼女が私の隣に座って目を輝かせる。それは恋話に胸を躍らせる乙女の目だった。パウラが彼女の純粋さを守っているからには、私もそれなりの作り話を用意すべきだろう。でも、あの夜から得たのは、虚(むな)しさでしかなかった。


「夢を壊すようで悪いけれど、面白いことなんて何も」


クロリスの上目遣いは、子羊の可愛さにも引けを取らなかった。そんな目で訴えてこられると、私も無視はできまい。


「ネリネ様ってうちとほとんど同い年、じゃないですか。もうそろそろ、うちも王子様を見つけないと」


「それは詳しく聞きたいところね。待って、あなたの相手を言い当ててみせるから」


なんとか話をずらそうと、考え込むそぶりをすれば、クロリスは頬を膨(ふく)らませた。


「うちの話より、ネリネ様の話!結婚式の時は、暗い顔でしたけど……最近は沈んでるようにも見えないというか。旦那様と過ごした夜に変わったのかなって、気になるんです。案外、胸がドキドキしたり、見つめ合うだけで、顔が染(そ)まっちゃったりしませんでした?」


どこからそんな可愛らしい考えが浮かんでくるのか。私はクロリスに苦く笑った。


「そういう人と結婚出来たら。毎日が惜しいぐらい、素敵な思い出になるでしょうね」


「やっぱり、違ったんですか」


空を見上げる。あの日、私が得られたものは、確信だけ。オルグレイドを愛するなど、今の私にはできないし必要でもない。


「クロリスが不安にならなくていいのよ。そのうち、なれるような形になっていくわ」


「それじゃあ、旦那様と……キスは?」


「結婚式をあなたも見てたでしょう?」


「式では照れてできなかっただけじゃないんですか?パックが囃し立てたせいでうやむやでしたけど。あれって本当は、しそうでしたよね?」


「……あなたの想像にお任せするわ」


「ネリネ様ってば、ずるいです!うちにだけは教えてくれたって、良いじゃないですか、もう」


膨(ふく)れっ面(つら)になるクロリスを見ていると、やはり憎めないものがあった。


「パックのお母さんは怒りんぼなんで、あの後、村の宴の方にパックは行けなかったんですよ。その泣きようと言ったら、うちのお父さんの物音より鬱陶しかったですよ。お城の方がどのくらい盛り上がってたのかは、ネリネ様と兵士さんたちしか知らないんですが。ネリネ様が、思ってるより落ち込んでなさそうでよかった」


「私がどんな顔をしていると思っていたの?」


「それはもう、泥から掬い上げられたドジョウみたいな顔ですよ」


「考えたら心底情けない顔ね?」


釘を刺すように圧をかけたが、彼女は快活に笑うばかりだ。私はかえって呆れつつもクロリスに釣られ、ふっと笑った。

これだけ心をときめかせられたら、男の人に限らず、みんなが心をくすぐられるだろう。私にもそんな夢は持たせてくれるのは彼女くらいだ。



乾いた洗濯物を抱(かか)え、城に戻る。窓が開けられた廊下を渡り、角部屋に入った。機織(はたお)り機(き)が置かれた小さな部屋には、糸を紡(つむ)ぐ村の女性たちが、すでに集まっている。ここ最近、クロリスとろくに話ができなかったのは、彼女たちの輪の外に私がいるからだった。


村で余(あま)っている人手は、城へ手伝いに来てくれるのだが。多くの紡(つむ)ぎ手は、熱心なおしゃべりをするのが好きらしい。ここにいる人は大抵(たいてい)、未婚で若く、可愛らしい女性ばかり。それをこうして一ヶ所に集め、暖炉をつけて、無心に糸を紡がせるのには、テルメアが教育に重きを置いているからだ。花嫁修行のため、と裁縫にくる意識の高い女の子たちは、村での評判が上がった。


「そういえば最近、あたしの家の近くで、狼(おおかみ)の遠吠えが聞こえたのよね」


「それは不吉な予兆よ。きっと新しい聖騎士が、この森に歓迎されていない証だわ」


今もこうして、村の噂はあることないことへと更新される。これの何が楽しいのだろうと内心思うが。暇(ひま)をつぶす分には悪くない。そう思うことにすれば、無用な注意も湧(わ)かない。


「不吉ってだけじゃないよ。あたしがこの城を登ってくる時、あの赤い男を見たんだけどね。えらく背が高くて、あたしが見た男たちの中でも、ひときわ鍛(きた)えられてるんだよ。軟弱(なんじゃく)すぎる男は畑仕事に良くないっていうけど、あれを前にしたら、華奢(きゃしゃ)なのを選びたくなるわね」


椅子を輪に囲んだ女たちは、時折、私の顔を伺ってくる。火の民という暴れ馬を制御しろと、冷たい視線があるのには、慣れなければ。私はひたすら目の前の機織(はたお)り機(き)へ集中する。

連なる縦糸に、シャトルに巻(ま)き付けた横糸を通す。生成(きな)りの布地(ぬのじ)には、刺繍(ししゅう)を縫(ぬ)い付けていく予定だ。それが花嫁のする仕事。花婿との結婚式を旗として描き出し、集会所に掲(かか)げるのだ。いつか来客があれば、宴(うたげ)の飾(かざ)りにも使われる。

一昨日から織(お)っている布に、横糸を引いては、隙間(すきま)なく詰めていく。


「可哀想な子ね。親が決めたからって、あの男が相手じゃあ、文句を言うだけで殺されそうよ」


「でも、もしかしたら……そこから絆(きずな)が始まるって言うこともありますよね」


持ち場に着いたクロリスが控(ひか)えめに口を挟(はさ)む。糸を紡(つむ)いでいる女たちはクロリスを睨(にら)み、「世間知らずね」と囁(ささや)いた。


私が混ざって口添えできるなら、必ずクロリスを庇(かば)うだろう。彼女の想像力は耳が潤(うるお)う。しかし村の女たちの空気には、まだ私も馴染めそうにない。とにかく気づかないふりをして、淡々と手を動かした。そうしていれば、時間を忘れて夕暮れにさしかかる。


彼女たちが帰っていった部屋で、また一人。私は、誰の輪にも入らず、ただ妻という役だけを織った。たまに聞こえる赤子の泣き声も遠く、窓から見える落ち葉の景色が、葡萄(ぶどう)の実(みの)りを知らせている。

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