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弱者の天国  作者: JCN
第2章 母さんはだれ
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第2節 学校のお墓

20世紀70年代、アルタイ地域にある中学校のキャンパスに、ほぼすべての教室の前にお墓があった。お墓の周りにきれいな柵が立っていて、外にニレやイボタ、柳、ハコヤナギなど木も植えられ、隣にすぐ用水路がある。一見、それらのお墓はキャンパスに現れたではなく、その学校は墓地構内に建てられているように見える。授業後の休憩時間に、それらを見慣れている学生さんは教室を出たら、男女問わず、グラウンド半分を占めた墓地のそばで遊んでいる。

ここで眠っているのはこの学校から卒業していない学生だ。彼たちは1967年から1968年にかけて、相次いで、文化大革命の「文攻武衛」が一番激しい時期に、呼び掛けに応じ、革命事業・崇高な理想・功績のために、命を捧げた。それからの10数年に、学校のほこりとなっていた。いつでも悼めるように、また後代への激励を考え、その時代のモデルたちはこのキャンパスに埋蔵されている。

 それを提唱したのは趙剣峰という人だ。当時、趙は自分もここに永眠するとは思わなかっただろう。趙は犠牲したクラスメートと戦友の中に一番壮烈に犠牲した人だ。

 1966年夏、毛沢東主席は発動したプロレタリアート文化大革命に、革命の波紋が中国全土に広がっていた。全国にいろいろな革命組織や派別闘争が登場して、盛んに行われていた。一番辺鄙な辺境地帯に影響が弱く、町の生活はいつもの通り進み、学校も今までと変わらない。所属部署の指示によると、教員全員は学生たちの造反を呼び掛けていたが、学生からの反応がなかった。伝統思想の影響を受け、外の社会を見たことのない学生たちは、普段、親より教員を尊敬し、教員のことが怖いので、あえて教員を反対するのも怖かった。世の中に自分の先生と敵対することを考えられなかった。遅れている地域の人は受身の立場で逆らわない性格があるので、積極性に欠ける彼たちは自信を持っていなかった。ここに生まれた人も外から移住してきた人も、世界を変える力がなく、このような辺鄙なところにいたと思っている。そのため、義理人情において、独特な方式がある。是正に対して、言い争いより自分の無知を認めたがっている。自分と関係ないことに気を向いてくれない。情報の閉塞で、その激動の時代にも、外の情報が入ってこないまま、ここの住民は北京や上海の住民のような高いプライドや自信を持っていなかった。本分だった人たちは生れつきの惰性を持っていて、自分が正しいと思っても、積極的に突っ込まなく、自然の流れに任せている。そのような人たちは革命なんか起こせない。後に、上から再び学生に授業を止めて、革命を起こせとの指示があった。授業に行かなくなる学生たちは紅衛兵の腕章をかけているが、何をしたら良いのかを知らなかった。

 当時の学校に、地域の定住者が少なかったため、学生も少なかった。その少ない定住者の多くは辺境防衛や開拓者だった、20世紀50年代後期、工業の発展と伴い、マイカなどの鉱産を必要としていたので、開拓者に内陸から辺境へ鉱産探しにと呼び掛けていた。新しい定住者はほぼ退職した軍人さんだ、20代の若者で、50年代末から60年代頭まで、自分の子供を作っていた。その子供たちは文化大革命の初期に、5,6歳に過ぎなく、学校にも通っていなかった。趙剣峰のような年上の子達の多くは内陸で4,5歳まで成長してから、親達についてここに来たわけだ。そのような子達は人数少なかったが、彼らのためにちゃんと学校が建った。趙も最初の何代目の学生で、文化大革命が始まったときに、彼たちはまだ高校卒業していなかった。

 趙の学年に、クラス一つしかなかった、全員20数名で、趙は班長を担当している。趙は小さい頃から、成績がよくて先生に好かれてきたが、趙は自分に対して、厳しく要求して、勉強に励み、「赤くて優秀な人材」として、社会主義の引継者を目指している。毎年、趙は三好学生の名誉をもらっていら。高校卒業前に、北京の大学に行ってもっと勉強をすると考え、そのチャンスを待っていた趙は、その熱くて赤い日々に、科学者になるのが夢だった。

 しかし、文化大革命が起こって、趙の生活も一変した。最初、茫然としたが、やがてその革命の目的がわかった、それは革命チームに投機者が入り、数多い投機者たちは公開した敵より危険だ。その人たちは革命のスローガンを掲げているが、いろいろな名目で人民を騙そうとしている。チャンスを掴んだら、大騒ぎして、元々の革命方向を反対方面に走らせようとしている。だから、中国に旧ソ連のような道を歩かせないように、フルシチョフのような人間を追放しなければならない、それも一番迫っていて、大事な問題だ。

 それを理解できるが、趙は自分が何をしたらよいのかを知らない。最初は先生から導いてくれていたが、やがて授業もなくなり、先生も構わないようになった、すべてが学生さん自分で決めないとならなかった。自分の学生生涯がそのままに終結するのに対して、心の準備もなく、かえって不安となった。

 その後、彼は毎日家に引きこもってラジオを聴いていた、自分がどうしたら今までない革命に悔いがないのかを探っていた。前に、内陸の紅衛兵を学び、キャンパスで論議したり、街頭で宣伝したりしたかったが、反応してくれる人が少なかった。それで両親に出鱈目をやめろと叱られた。それに対して、彼はわからなかった。しかし、こんな辺鄙なところに、若者の話を聞いてくれる人が少ないのだ。同じ革命なのに、ここで難航しているのを理解できなかった。そのために、外に出て、内陸の同世代の人が何をやっているのかを見に行きたいと彼は考えている。

 ようやく、夏の終わり頃、そのチャンスに恵まれてきた。上級部署は他の都市の紅衛兵に北京へ「串連」(連絡を取り合う)に行ってもらうことになった。学校の教員たちは止めるどころか、心配している学生の親たちを説得して、学生たちのために北京行きの車を用意してくれた。教員を含んだ全員は学生たちが北京へ行き、偉大なリーダーの毛主席と会えることを羨ましがっている。

 数日後、学生たちはウルムチについた。そこで、長いデモ隊を見て、革命を起こした学生たちは昔の先生をどう扱っているのを見た。十分な心の準備をしてきたが、その場面を見て、驚かされたのだ。

 そして、彼たちは電車に乗って、北京に向かった。向かう途中、いろいろなことを見て、驚かされて、ついついその風景に慣れてしまった。

 北京について、潮水のように金水橋を渡った人の流れについて、千万人から耳をつんざくような叫び声の中に、会いたかった毛主席を見た。人生一番幸せな時だった。その時に、彼は突然すべてがわかったように、毛主席はなぜ天安門の上に全国からの紅衛兵たちに手を振っているかがわかった。毛主席が彼たちに対して、いかなる期待を込めているのかがわかった。しかし、彼は何もしなかった、悔しい。

 だから、検閲が終わったら、家に帰りたいと思った。でも一緒に来ていた人々にせっかく外に出たから、他のところにも見てみたい、多くの経験を学びたいを言われて賛成してくれなかった。それで、北京を出て、上海、広州、韶山、井岡山に行っていた。元々、みんなはまた他のところに行きたかったが、趙剣峰はもう我慢できなく、何のために勝手にあちこちを回っているのが、申し訳ないと思わないのかと仲間に聞いた。革命勝利の成果をそのまま受け取りたくない、一人でも地元に帰って革命を起こす。一緒に帰って革命を起こしたくないものは逃亡兵だ、でも、そのようなクズがいなくても、革命は予想通り成功すると言っていた。

 結局、彼は勝った、二人のほか、残りのみんなは帰りの道に辿った。途中、彼たちは思想を統一して、幹部の改選をして、将来の行動計画を立てた。そうして、1ヶ月余り家を出て戻った子供たちは血と火の洗礼を浴びて、力強くなったと親族だれも思いつかなかった。

 ふるさとに戻ったら、趙の指導のもと、みんなはまず学校で革命の火をつけた。数ヵ月後、その火が勢い強く学校から出て、町全体が赤い色に染められている。革命の流れは昔のすべてを壊して、隠れていた「黒壊分子」(悪者)は摘発され、醜い様子を呈して、憎まれるネズミのようになった。

 しかし、その良い情勢のために、彼たちは思い代価を付した。隠れた敵からの不意打ちで四人の命が奪われた、うち二人は夜当番の時に殺された。それでも革命の小兵が怖くない、流血という現実で彼たちの革命意思がもっと固まった、革命闘争の情熱もさらに高まった。

 しかし、問題も相次いできた。ほぼすべての部署に、造反を起こした人々は対立したいくつかの派に分けている。互いに攻撃して、譲り合わない、文章発表としての闘争から、暴力に訴えるようになり、武装による割拠となった。違う造反派組織は最初紅衛兵に対して協力的だったが、後に力が強くなり、紅衛兵の話を聞かなくなるようになった。そのようなことが出始めたら、どんどん蔓延して、結局、紅衛兵の権威が脅かされた。

 それは革命の完全勝利になっていない証拠だから、今後の闘争がさらに厳しくなると趙が判断した。その厳しいミッションを完成するために、もっと強い力が一つとしているのだ。この新しい町に、彼たちと同じ年齢の人がとても少ない。学校に、全員でも50人を超えなく、堅い意志を持っているのも20人に過ぎない。他の学校の状況はもっと悪い、全員を集めても壮大な規模をできない。その問題を解決するために、趙剣峰は同じ地域のほかの町や村に学校があり、それぞれ人数が少ないが、全員を集めたら、数百人規模になるから、次段階の行動計画はまず同世代の人々を自分の学校へ招集することだ。そのために、その年の夏、趙は武装した仲間を連れて、町の外にある兵団農場の数箇所の学校に向かった。しかし…

 町の外の荒野に、彼たちは待ち伏せと遭った。相手は顔を出さなかったが、密集した銃弾から相手の人数が多いことがわかる。彼たちは頑張って反撃したが、弾に当たり負傷した人もいる、まだ走れる人は廃棄された羊飼育場に逃げさせられた。その時に、敵から手榴弾を投げられたら、全滅してしまう可能性がある。しかし、理由がわからないが、顔を出さない敵は彼たちを囲んでいるだけだ。日暮れてから、囲まれている彼たちから、暗い中脱出しようとした人もいるが、走り出してからしばらく、弾に当たり倒れた。間もなく、隠れている敵からそれは趙剣峰と決着を付けたいから、趙剣峰を出せ、そうしないと…と最後の通牒があった。

 一番壮絶なことに、約束された時限まで、趙剣峰はだれとも相談せず、立ち上がり、外に出た。雷の声で「俺来た、趙剣峰だ。銃を撃て。恥知らないやつら、隠れて、恥ずかしくないか。どうなっても、俺のために復習してくれる革命者が出てくるから。どんなに隠れても、歴史からの審判を逃れられない。その日に、俺が大笑いするぞ。」

 趙は大笑いして、スローガンを呼んだ。

 敵側にしばらく黙っていたら、銃声が起こった。

 昔の慣例によると、趙剣峰を含み、死者全員は学校のキャンパスに埋葬され、墓の周りに様々な木も植えられた。

 敵の卑劣な行動に対して、公憤が招かれ、町以外から来た紅衛兵たち全員は復讐すると誓ったが、襲撃者は誰なのかについて、いまだにわからないままだ、それも歴史の永遠の謎となるかもしれない。復讐対象がいなければ、どんなに衝動があっても、宛先がないのだ。

 それから、紅衛兵には趙剣峰のような心服されるようなリーダーがいなかったので、内部の紛争ができ、みんなばらばらと各自の家に帰った。それからの武装闘争にも、紅衛兵の姿が消えた、当時の中国にも、ここしかない異例だろう。

 10年近くを経て、文化大革命が終結した。その時に、学校に墓があったが、数年後、学校の拡張工事で、すべての墓が引越された。それから、新しく入校してきた学生は自分の学校に墓地があるのを知らなくて、教えられても「うそでしょう、学校に墓地があるなんて」と信じられなかった。

 趙剣峰は実現できなかった理想を持って亡くなった。この学校に最も早い学生の一人で、最も優秀な学生で、まだ卒業していない彼は永遠にこの学校の学生となった。後世にどう評価されても、趙の短い一生は、輝かしく光っていて、世に知られていた、それは誰でも追い超えられないのだ。



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