第1節 故郷の閲覧
额尔齐斯,
多么美丽,
为何要独去北方?
西伯利亚,
冰天雪地,
还有那万里之外的北冰洋。
天苍苍,
风冽冽,
终日难觅单飞雁。
寂寞孤独,
谁人能知,
星光下忧郁的大眼睛。
跨越长江,
飞渡黄河,
跟随月落到天边。
骏马嘶鸣,
疾行荒野,
神怡在静默的阿尔泰山下。
路遥遥,
雪皑皑,
梦中繁华不欲见。
海角天涯,
有君为伴,
长夜中甜美的呓语声。
その詩は、林平は大学時代に愛していた新疆の子、その子のお母さんが作った。そのお母さんは詩人ではなく、中国を駆け回って、鉱山を捜している地質工作者だ。二十世紀五十年代末期に北京地質学院から卒業した。その学院は林平の母校の武漢地質学院の前身だ。だから、ある意味で、林平もその女の子もそのお母さんと同じ大学の出身だ。
そのお母さんは大学卒業後、北京の母校で働く機会を逃して、お父さんについて、時代の呼びかけに応じ、はるかな新疆まで行った、そしてそこで命を落とした。詩の冒頭にあったイルチェイシュ川は中国に唯一北氷洋へ流れる川で、18段落目のアルタイ山はその川の水源地となっている。一体となった所はそのお母さんが命を落とし、永眠した所だ。そのモンゴル語から音訳した地名だが、聞いたら難しそうだが、探しにくくはない。中国の地図を開いて、北西方向のジュンガル盆地の北面にあり、中国とモンゴル・ロシア・カザフスタンと境を接する三角形の地域にある。中国の地図は時を告げるおんどりのようだと言われるが、そのところはこのおんどりの尻尾にあるのだ。
区域別に、その山と川はアルタイ地区に属している、アルタイ地区は新疆の十数か所の地州の一つで、最北端に位置している。うち6の県と1の市があり、面積は11万平方キロがある、面積はブルガリアと近いが、世界多数の国より広い。しかし、20世紀末まで人口は50万に足らず、中国東部沿海省にある町より人口が少ないのだ。だから、土地広く人口少ないと言っても、過言ではない。アルタイ地区の行政機関所在地がアルタイというエリアにある、そこは元々アルタイ山にある細長い谷で、周りに山に囲まれていたので、そのエリアもアルタイと名付けられた。モンゴル語に、「アルタイ」は黄金の意味で、この地域は黄金で名付けられているとも言える。解放初期、地域中部にあるアルタイは農村部のような町で、畑を経営する農民がいたが、そのアルタイの主な役割は牧畜民が放牧のために移動する途中の駅にすぎなかった、外と小さい規模の物質交換の集積地でもあった。解放後、歴史の発展と伴い、スピーディな発展を遂げ、20世紀80年代に県級市に昇格されたが、市区内の常住と流動人口があわせて6、7万人に過ぎなかった。その小さい町と町が管轄している幅広い地域と比べて、似つかわしくないように感じられる。
20世紀90年代初期になっても、初めてここに来た人は黄金の生産ではなく、独特な遠く離れて、辺鄙で荒涼なところだと感じるであろう。一番近いカラマイ市から、車で少なくとも丸一日がかかる。途中に村落や緑をあまり見かけられなく、灰色しか目に入らない。石がばらばらに散在し、一年ずっと枯れている谷、荒涼な砂漠が空と繋がっている。ここは国土の辺縁で、道の終わりだ、もうちょっと進んだらこの国を出てしまう。西はカザフスタン、北はロシア、東はモンゴルだ。20世紀90年代まで、中国とロシア対抗していた時代にこの地域が三面から敵視され、ここで生活をしていた人々は国土を守るために、いつも警戒していた。今でも、冷戦が終結し、国境も開放されているが、アルタイの町とその周辺の各国所属地域は自国にとっても発展遅れている地域で、みんな牧畜業と鉱業をメインとしている。国境を越えた貿易があまりにも少なく、国際貿易のような盛んな場面がここに見れない。だから、興味のある観光客がここに来ても、恒久不変の孤独と静かさだ、太古に戻ったように感じられる。
もし孤独を恐れているなら、ここでの生活を勧めない。貧乏に耐えられなかったら、方法を考えて出て行くしかない。頭がよくここで平凡でいたくないなら、唯一の選択は外に出るのだ。でも、多くのところに行ってきた観光客で、人工の景色に興味がなくなるときに、ここにこればいいのだ。世から遠く離れた世界に、他所で見れない自然による奇妙な景色も、天地が繋がっているような景色も唯一で、心の中でできる共鳴が他のところで体験しかねる。
広い地形から見ると、すべてのアルタイ地区は二つ部分に分けている、即ち北部のアルタイ山地帯と南部のジュンガル盆地、両者の交差点は東西を貫いて、国境を越えたら北へ流れていくイルチェイシュ川がある。
中国境内のアルタイ山はその山脈の東半分の南坂であるが、それだけで、綿々たる山々は500キロを超えている。アルタイ山脈は地形的に南から北へ向かい階段状で上昇しているという特徴があるので、山の下で山が高く立っていると感じるが、山頂まで登ったら広いプラットフォームが広がり、先にもっと高い山が立っている。山々の近いところにいると、その雄偉さを感じられないが、遠いところから見ると、山が次々と高くなり、重なっていく雄大さは野良馬のように西北から東南へ駆けて、途中に立てたほこりが空に上昇し、ハスのような白い雲に変わっている、壮観の極みだ。
地質的にはアルタイ山は地球上最古の山脈の一つである。数億年前からでき、今まであり続いている。とても長い時間が経ち、人が死にかける時に急に若返りしたように、風や雨の浸食により、消されていったが、地殻運動で再び高まった。そのようなことが繰り返され、深く埋もれている花崗岩や変質岩がどんどん出てきて、中には金・銀・銅・ニッケル・ルビー・エメラルド・サファイア・マイカ・水晶・メノウ・リチウム・ベリリウム・タンタル・バナジウムなど、現代先進科学に不可欠な原材料である。大昔、初めてここに来た人は黄金を見つけたが、アルタイ山に72箇所の溝があり、いずれのところにも黄金が埋蔵されているという説ができた。今、その説がほぼ検証された、ただ石砂に埋蔵されている黄金の品質が低く、開発する価値がないだけのだ。川の砂に挟まれている黄金が山の岩から来ていることから、アルタイ山に必ず多くの黄金鉱があると証明されている、さすが「アルタイ」というネーミングだ。
階段状の地形だから、山の奥に行けば行くほど、地勢が高くなり、一番高いところに国境の分水嶺である。山頂には年中溶けない積雪があり、積雪から氷河へかわり、暖かい季節になると、溶けた氷雪が南へ流れる小川となり、山谷に流れ、山津波が爆発したときに直径数メートルの巨石を流して、響くような音を発している。小川は山を出て、西方向へ向かい、大部は静かに大河に入り、その大河はルチェイシュ川である。
イルチェイシュ川はとても特別で、アルタイ山区と砂漠の境線でもなく、河谷が深く地面の中に入り、川筋以外、両側に田んぼができにくいことでもなく、川の流れる方向がほぼ中国境内の川と逆となっていることだ、東から西へ、アルタイ山を経てから、レナ川の支流として北上した後、極寒のシベリアを貫いてから、年中氷結している北氷洋へ流れ込んでいる。イルチェイシュ川は中国境内にある唯一の北氷洋水系である。この川に、独特な魚類が生存しているし、独特な支流も多くあり、たとえばコラン川、薄い青色の水が澄んでいて、甘くて、地元の話によると、その川水を飲んだら、不妊症が治るという説があるので、「母子川」とも呼ばれる。
イルチェイシュ川を渡ったら、果てしない砂漠になる。そこに行くと、ほぼ山がなく、たまに丘のようなところがある。平坦たる砂漠はジュンガル盆地の北側を形成しているが、砂漠は南に200キロ延びてから、「グルバンテュンギュト砂漠」となる。その地帯に、人が少なく、荒涼な風景しかないが、北上するために必ず通る道のため、初めてアルタイに来る人はここの風景を見たら、第一印象として、北部の山地地域も同じ荒涼だと思った人も少なくない。太古時、ここに小さい湖があったが、今は水が枯れて、湖底の砂礫が露出しているが、鏡のような平坦なところが多い。このようなところで車を運転したら、いかに早くても揺れることがなく、ハンドルをきつく握る必要もない。平らで、車の運転初心者に良い練習場になるかもしれない。
冬のアルタイは厚く白い雪に覆われ、静かな世界となるが、夏になると、避暑の聖地となる。北に位置しているから夏が暑くなく、時に南下しているシベリアウィンドが砂漠の暑さを解消しているので、夏季が長い春のようになっている、ここで生存している白樺と落葉松はその証だ。辺鄙なところとアクセスの不便さ、今でも、ここの経済は農牧業をメインとしている。発展が遅れているからこそ、原始的な景観が壊されていない。夏となると、古い樹木に新しい葉っぱができ、地面も緑に染められ、各色の花が咲き誇っている、特に雨が止んだ後の空気がきれいで、空も青くて、まったく水に洗われたようだ。観光地としてオープンしているハナス湖は、スイスのような風景だと賞賛されている。自然が好きな人はそこに行けば、少女のような純粋さにうっとりするだろう。
しかし、歴史上、柔然・丁零・テュルク・モンゴルなど遊牧民族はここで生息していたが、ワイルドな壁画と草原に立っている石造人形以外はなんも残していない。多くの観光客から、絵のような風景があるのに、どうして定住する人が少ないだろうと聞かれるが、その苦情はここに住んでいる人こそわかるだろう。
高緯度で、冬が寒くて長い、暖かい季節が短くて、現地の農業発展を制約している。古代から、牧畜業とメインとしてきた。夏のアルタイ山は水や草に恵まれ、牛馬羊は存分に食べれるが、秋の9月になると、多くの脂肪がついている。9月後、山から出ないといけない、そうしないと、数メートルの積雪にすべてが呑まれる。牛馬羊は山を出て、南の積雪が少ない砂漠へ移動させられる。積雪が薄いが、草も少ない。冬に太っていた動物が痩せて、病死したのもいた。翌年5月に我慢してきたが、お腹が空いている動物たちは砂漠から山の方へ向かい始める。ここの春に天気がよく変わっていて、北方の冷たい空気がなかなか去っていかなく、南からの暖流が来たら、空が両方の戦場となっている。時々、冬の雪が溶けた後、再び大雪が降る、酷い時に、雨が降ってから雪が降る、大幅の温度降下後、とても寒くなる、毛穴に染み込んだ雨水が凍っている。はるばる辿り着いた動物たちは衰弱で、悪天候のような打撃を受けたら、死ぬことが多く、牧畜民に一番悲しいことだ。生産力が低下した時代、皆はその自然と闘う力もなかったので、赤貧な状況が続いている。解放初期、中国に数少ない階級区分しなかったところのひとつだ。
階級がないので、鮮明な歴史もない。だから、人類の発祥の地の一つだが、史書にめったに提言されず、ここで生活している人々も自然に消滅して、歴史に忘れられている。
歴史に忘れられた隅に、時間が止まっているようだ。数百年来、牧畜民の掛け声のほか、その変わらない静かさを打破できるのが雷の音だけだ。雷の音がして、寂しいこだまは土地からの嘆きなのかもしれない。
要約、20世紀50年代に、国境を守る人、土地を開墾する人、鉱山を探す人、みんなが来た、道路や橋、建物、工場、学校が次々と建てられた。開拓者が来て、静かな環境が変わった。山々に活気を与え、地域がどんどん蘇るようになった。長い夜が明け、新しい時代がまだ不安定でありながら、朝日のように地平線に現れた。
そのご、別に孤独でない彼女が現代化の発展に進んでいった。前向きに進んでいるこのところは中国と同じように、よく遠回りしてきた。政治キャンペンの跡もここに残っている、一番わかりやすいのは20世紀60年代中期に発端した「文化大革命」だ。嵐のようなキャンペンは中国全土を席巻して、遠いところだが、若々しいアルタイ地域も同じに、未曾有の熱狂に陥った。




