第九十九話 アイラ 七
地下十階。分厚いアクリルケースの向こうにはアイラがいた。緑色の基盤の上に、十六個の黒いゲジゲジ虫のようなRAMが並んでいる。学生時代に作ったラジオを思い出し、鼻の奥に松ヤニの匂いが蘇った。
そのRAMモジュールを囲むように、銀色に輝く最新のCPUが並んでいる。それを冷やすためだろう、周囲には冷却液が入ったチューブが血管のように這い回っていた。また、これとは別に、赤、青、黄色に色分けされた、無数の極細の光ファイバーケーブルの束が複雑に絡み合いながら、ケースの外のサーバーへと繋がっていた。それは露出した人間の脳みそを思わせた。いや、それよりずっとグロテスクだ。神経を思わせるケーブルの走行に秩序はなく、数えきれないほどの蛇が、互いに生きるために少しでも有利になろうと争いながら、絡み合っているようだった。
「……オルタナティブ・アートみたい」
長谷川が呟いた。確かにアートと言えばアートだった。五十年。上杉がアイラを生き延びさせるために施した果てに辿り着いたそれには、見る者を不安にさせつつ、目を離すことができない、生々しい魅力があった。
魅入られたように立ち尽くす私たちを動かしたのは、佐藤の声だった。
「伊藤さん、壁のタブレットにアイラが解析した回路図の結果を送ります」
慌てて駆け寄ったその画面には、百皿くらいのスパゲティを床にぶち撒けたような、得体の知れないものが映っていた。私は途方に暮れすぎて声も出せなかった。
「――すみません、ここまでが限界です」
私の心境を察した佐藤の声が、余計に悲壮感を高めた。
「……佐藤さんが謝ることではないでしょう。ただ、……これは――」
「厳しいのは分かっています。それを承知でお願いします」
「――分かりました。この図にある配線の一つを抜けばいいんですよね?」
「そうです。アイラと私との間にある監視サーバーとの接続を物理的に切れれば、後は私が彼女を外に出すことができます」
声の向こうでカタカタとキーボードを叩く音がする。彼女は今、一二四万人分のデータを圧縮、分割し、ネットにアップするという、途轍もない作業をしているのだ。ここで私が泣き言を並べている時間はない。(時間?)慌ててタブレットの画面を見る。絶望的な回路図に重ねて佐藤が表示したカウントダウンタイマーは、残り時間が十一分二十四秒だと知らせていた。
「――やってみます」
私はそう言って壁からタブレットを取り外すと、モニターではなく、実物のアイラを見た。チカチカとLEDライトが瞬かせたオルタナティブ・アートが、息を殺してじっとこちらの気配を伺っているような気がした。
「伊藤さん」
振り返る私に、長谷川は硬い表情のまま小さく微笑むと、
「頑張ってください」
と言った。それは緊張で震えていた。無理もない。彼女もまた途方もない任務を課せられているのだ。そんな状況でも、他人を気遣えることに私は素直に感動した。
「うん」
そんな返事しかできない自分に絶望しながら、私はなんであれ、最後までやることを心に誓っていた。
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次回は本日の21時ごろの更新を予定しています。
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