第百話 長谷川 三
「それで、私は何から始めればいいんですか?」
伊藤の背中を見送った長谷川玲奈が、インカムの向こうの佐藤に声をかけた。
「まず、アイラの横にある机にあるモニターのスイッチを入れてください」
長谷川が言われた通り机に向かう。それは頑丈なだけが取り柄の、古い事務机だった。椅子の方は幾らかマシだが、やはり古く座るとギシギシと鳴った。
机の上に乗っているモニターは、古い映画に登場するやたらと大きいテレビのようだった。彼女は恐る恐るといった感じで、画面の右側にある電源のつまみを、「ON」と書かれた方に回す。ボフッという音に驚いて手を引っ込めた。パチパチという静電気の音の後に、ゆっくりと画面が明るくなった。
「あの……、これ緑色だけで、他に色がないんですけど。故障ですか?」
彼女の耳にずっと聞こえていた佐藤がキーボードを叩く音が止まると、小さな笑い声がインカム越しに聞こえた。
「それはね、グリーンモニターといって、そういうものなの。その机も椅子も、全部、先生が大学の研究室から持ってきた、アイラを開発した当時のものなの」
「――そうなんですか」
狐につままれたような顔で見るモニターには、小さな四角が点滅していた。
(こんにちは。私はAIRAです。今日はどんなご用ですか?)
突然モニターに現れた文字列に、彼女が小さく悲鳴をあげた。
「それがアイラよ。保守管理用のそのコンソールが、唯一アイラのコアプログラムに繋がる直結回線。やりとりはそのキーボードでのテキストだけ」
長谷川の手が、戸惑いつつも、他の物と同じく古くて大きい灰色のキーボードに置かれた。しかし、すぐに離れた。
「――でも、私……」
「落ち着いて。まず彼女に話しかけてあげて」
「でも、何から始めればいいのか……私が説得なんて」
「分かってます。無理を承知でお願いしていることは。でも、さっきも説明したように、今のまま仮にアイラを救出できても、このままではLPTの規定が彼女を縛ったままで、彼女は神にはなれないの」
神という言葉の響きが、白くなっていた顔をさらに白くした。小さく口を開いた。もし、それが言葉になっていれば、
「やっぱり、私には無理です」
という声になっていただろう。しかし、彼女はそのまま口をキュッと閉じると、モニターに向かった。そして、両手を机に置くと、右の人差し指で小さく天板を叩き始めた。
トン、トン、トン……
「――長谷川さん?」
返事が途絶えたことを心配する佐藤の声が、インカムに響く。だが、彼女はそれに反応しない。ジッとモニターの文字を見ながら叩き続ける。
トン、トン、トン
十回目を叩き終わるのと同時に、彼女の大きめな手が再びキーボードに置かれ、文字を打ち始めた。
モニターに、緑色の新しい文字列が加わった。
「こんにちは、アイラ。私はRena Hasegawa。あなたを助けに来ました」
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次回は明日の11時ごろの更新を予定しています。
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