第九十四話 長谷川 二
静かなコントロールルームに、上杉がEMP爆弾の起動を準備する音が聞こえた。
私はモニターの水色の少女の顔を見ながら、何か言うべき言葉を探していた。先に口を開いたのは、長谷川だった。
「――アイラ。あなたは沢山の人が亡くなるのを見てきたわね」
「はい、そうです」
「私は五歳の子供を亡くしたわ。それがなぜか分かる?」
「先ほどの創業者とCDOのお話から、おおよそ概要は理解しています。大変お気の毒に思います」
「……そう。でも私が聞きたいのはお悔やみの言葉じゃないの。なぜ、私は最愛の息子を失くさなければいけなかったか? ということなの」
「大変申し訳ありませんが、私にはそのご質問に直接答える能力はありません。ただ私の読んだ記録の中に、同じような問いに対する答えがあります」
「……教えてちょうだい」
私はその彼女の声の蒼さに震えた。
「このお話は仏教の創始者、ゴータマ・シッダールタ・ブッダの言葉を残した『ダンマパダ』に記録されている物語です。今から約二千五百年前。記録したのはブッダの弟子の一人、キサ・ゴータミーです。
ブッダがある村を訪れた時、我が子を失い悲しみに暮れる女性が、『この子を治す薬が欲しい』と歩き回っていました。ブッダは彼女にこう言いました。『町へ行き、これまで一度も死者を出したことのない家から、ケシの粒をもらってきなさい。それが薬になるだろう』と」
長谷川は、じっとアイラを見つめている。
「彼女は家々を回りますが、どの家にも、『父を亡くした』『子を亡くした』という死の記憶がありました。そこで彼女は、『死は自分だけのものではなく、生きとし生けるもの全てに共通する真理である』と悟ります。そして――」
「悟った彼女は正気を取り戻し、出家するのよね」
彼女はそう、アイラの言葉を引き継いだ。
「糞食らえよ。そんな話!」
その激しい言葉に、上杉が作業の手を止めて彼女を見る。インカムの向こうで佐藤が息を呑むのが分かった。私も彼女を見た。アイラもだ。
「私の悲しみを、誰にもそんな風に扱わせない!」
再び目の前の景色が歪んだ。彼女の絶望的な心象風景が私の中に爆発した。限りなく黒に近い蒼い空間の中で、一人立ち尽くす裸足の女性。その両腕には氷のように冷たい小さな男の子が抱えられている。足元はぐずぐずと湿った砂地で、足を止めるとすぐに沈んでしまう。だから彼女は歩き続けている。その度に、びしゃり、びしゃりと、濡れ雑巾で床を叩くような音がする。
「何歳だったんだっけ?」「もう何年目? あっという間ね」「誰にもあなたの気持ちは分からないわよね? でもまだ若いんだから……」
――昏い空から悪意のない様々な言葉が、雪のように絶え間なく降ってくる。その一つひとつが、子供を抱えた彼女の震える肩と、丸めた背中に、コツンコツンと当たり消えていく。その度に彼女と世界の断絶が広がる。
ほんの一瞬、垣間見えた彼女の蒼黒い世界。それは私にも見覚えのある風景だった。その骨に染み込む冷たさは、あの湿った布団と同じ匂いがした。降り続ける無数の言葉は、クロが死んだ時以来、私もずっと感じ続けていたものだった。常識的に考えれば、人間の子供と、猫を一緒にするべきではない。それでも、見えた光景は、私が抱えるものと似ていた。
私は立ち尽くす長谷川に近づくと、彼女を近くの椅子に座らせた。ちらっと私を見たが、これといった抵抗もなく、素直に座ってくれた。裸足がとても冷たそうだった。
上杉が作業を再開する音が聞こえた。
私はもう一度、アイラに向き直った。
お読みいただき、ありがとうございました。
次回は明日の11時ごろの更新を予定しています。
よろしければブックマーク、星の評価をお願いします。




