第九十一話 伊藤 一
十一年前、私はLPTにSEとして入社した。それが緊急対応部への転属となったのは、入社四年目の二月だった。まさか自分が、死者を扱う最前線に放り込まれるとは思っていなかった。ただそれほど抵抗感はなかった。
私は二十歳の夏、長く透析を続けていた父を、三十歳の夏、母をくも膜下で失っていた。少し遅めにできた子供だったので、小さい頃は可愛がってもらった記憶がある。それが変わったのは、十歳の頃、父の腎臓病が分かってからだった。既に症状は進んでいて、二年後には人工透析となった。幸い職場の理解もあり、優秀な人でもあったので仕事は続けられた。しかし、週三回の透析を含め、身の回りを世話する母は変わった。
社交的というタイプではなかったが、好きな音楽を聴いたり、流行りの映画を観に連れて行ってくれるような人だったが、すっかり別人になった。そして、事あるごとに、
「あなたのお父さんは、いつ死んでもおかしくないのよ」
と言うようになった。子供の私は、父が死ぬ、ということが怖かった。暫くすると、お母さんも、田舎にいる、優しいお爺ちゃんも、お婆ちゃんも死ぬことに気がついた。私の中で死が広がった。そして気がついた。自分も死ぬことに。
(死んだら焼かれる)ということはもう分かっていた。頭に浮かんだのは、学校の裏にある、焼却炉と灰色の灰だった。黒白が入り混じった小汚い灰。自分がそうなるのだと思うと涙がぽろぽろ落ちてきた。何もかもを失って、そんな灰になるなんて信じたくなかった。押入れの湿気を含んだ、冷たく重い布団に、死の匂いを感じた。
最初から分かったわけじゃない。本物の死体を見るずっと前の話だ。でも、ある時、気がついた。それが死の匂いだということに。その頃から、私は時々、人の言葉に匂いや色などを感じるようになった。それを別に不思議には思わなかった。だから誰にも話さずにいた。
多分三か月位、昼間は呑気な小学生をやりながら、私は毎晩泣いていた。先生はもちろん、友達にも話すこともせず、ただただ泣いていた。
そして泣かなくなった時、小学生の私は、
「何をしようが最後は死ぬ」
という結論に達していた。もちろんこの結論を誰かに話すこともなかった。
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次回は本日の21時ごろの更新を予定しています。
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