第八十六話 計画
「堤さん。あなた、何をしたんですか?」
私を見た顔には、いつもの微笑が浮かんでいた。ただ目には、微かな驚きが浮かんでいた。答える様子がなかったので、私は話し続けた。
「どうして、わざわざここへ来て、こんな話をしているんですか?」
私はそう言いながら、自分が気がついたことを口にするのが怖くなっていた。『盾』が止まった以上、ネット上に田中が分散して遺した、堤とLPTの犯罪が明らかになるのは時間の問題だ。二〇パーセント近くは盾によって消し去られたが、残ったものだけでもネットに拡散されれば、無事ではすまない。にも関わらず、彼はここで笑っている。
「――あなた、何をやったんですか?」
二度目のその問いには、自分の口から出たとは思えないほどの不吉な響きがあった。全員の視線が集まる中、微笑を深くした堤がスラリと言った。
「永遠の命を殺しました」
その言葉の意味を理解するのには、やっぱり少し時間がかかった。最初に回答に達したのは、上杉だった。
「……君がさっき挙げた、先端的医療技術を破壊したということか?」
「そうです。世界中で研究されている、あらゆる永遠の命と呼ばれるものに繋がる技術を、私は破壊しました。まだ世の中には知られていないものや、秘密裏に行われているものを含めて全てです」
真っ青な顔になった上杉がコンソールに向かう。アイラが映るメインモニターの隣にある、サブモニターに、先ほどまでとは違う進捗度を示す画面が現れた。『盾』を止めるグラフには赤色が使われていたが、今後のグラフにはアイラの髪と同じ、水色が使われていた。それは既に画面を染め始めていた。
「進捗度は四パーセントですか。やっぱり時間が掛かるものですね」
「堤! いつこれを!?」
堤は微笑を浮かべたまま、上杉の顔を見る。それは嘲笑に変わっていた。
「三十分ほど前、アイラに直接頼んだんです。ねえ先生。私が香港から急いで帰って来て、何もせずここへ来て、みなさんとこんな話をすると思いますか? そんなわけないじゃないですか。ちゃんとやることを済ませてますよ。お陰で朝粥は食べ損ねましたが」
「なに!? どういうこと?」
混乱した様子の長谷川に、私が答えた。
「彼は、……堤は、世界中の先端医療技術を破壊するスイッチを、三十分前に入れたんだ」
「え!?」
「それがどの程度なのかは分からないけれど、田中のノートを見る限り、彼は合法、非合法を問わず、あらゆる情報にアクセスできる立場にいる。それが事実なら――」
「事実です。そこについては田中氏は正確でした」
その声には勝ち誇ったような響きはなく、淡々と事実を語る静けさがあった。むろん匂いはなかった。彼にとってこれは全て予定の行動だったのだろう。香港からここへと向かう間に、私たちが『盾』を止めていることに気がつき、自分の計画を実行していたのだ。
「オジマンディアスかよ」
思わず口から溢れた言葉に、堤が反応した。
「ファラオ……、ラムセス二世ですね。私はそれほど自惚れてはいませんが」
彼にも知らないことがあるのが分かったが、取り立てて嬉しくもなく、説明する気にもならなかった。いずれにせよ、この状況を変えられるわけはなかった。
「……堤君、なぜそんなことをするんだ? 君がやってきたことは、完全ではないにしろ、いずれ世間が知るところになる。その結果、君は罪に問われるだろう。しかし、それは同時に、君が言うところの、永遠の命を金で買おうとした人間を、告発することにもなる」
上杉のその声には、子供の頃から堤を見てきた者ならではの、切々たるものがあった。しかし、堤は微笑を浮かべたまま見返すだけで、何も答えなかった。
「――今、君がやっていることは、人類史に残る犯罪だ。なぜこんなことをする?」
「その説明は終わっているはずです。それに、私だって不本意なのですよ。万全を期して、もう暫くはこの状況を維持したかったのですから。だから、これは――」
そこで言葉を切ると、彼は面白そうに上杉を見た。
「そう、『窮鼠猫を噛む』という奴ですよ」
「窮鼠……?」
「ええ、我々はみんな、ネズミなんですから」
堤はそう言って、理解できずにいる上杉の顔を楽しそうに眺めた後、私を見た。もちろん、私にも彼が何を言っているのか分からなかった。
「創業者、そろそろお出かけのお時間です」
その声に、堤の視線がモニターのアイラに向けられた。
その顔からは微笑が消えていた。大きなモニターに映る水色の髪を揺らす少女を見上げる堤の顔には、初めて見る表情があった。
やがて堤は再び私たちを振り返ると、そこにいる一人一人の顔を見た。まるで残業代をつけるための確認のようだった。最後に私を見た時、また例の微笑が浮かんでいた。
「最後にもう一度聞きます。伊藤さん、あなたはなぜこんなことをしているんですか?」
もちろん、私はなにも答えられなかった。「意味なんかない」。そう答えてやろうかと思ったが、それも悔しかったので結局、何も言えずにいた。
ひとしきり私の様子を眺めていた堤は、ちらっと自分の腕時計を見てから口を開いた。
「大変残念ですが時間切れです。あなたなら、私が納得できる返事ができるかと期待したのですが、これは私の方の思い込みが過ぎたようです」
その口ぶりとは違い、彼の表情には特段、残念そうな気配はなかった。
「私にはこれから用事があって、これ以上あなたの答えを待つ時間がありません。今日はこれで失礼します。ですが、いつか会うこともあるかもしれません。それまでに考えておいてください。では皆さん、お疲れ様でした」
そう言うと、堤は微笑を浮かべ、現れた時と同様に悠然とコントロールルームから出ていった。
部屋には、唖然とした顔の残業組が立ち尽くしていた。
お読みいただき、ありがとうございました。
次回は本日の21時ごろの更新を予定しています。
よろしければブックマーク、星の評価をお願いします。




