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理想の孤独死【百十話 完結済み21.5万文字】  作者: Shimizu Atsushi


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第八十四話 堤 一

「やあ、頑張っていますね」


 笑顔の堤がそう言って入ってきた。それはまるで残業を労う上司のようだった。

 そこにいた全員が驚きで声を出せずにいた。恐らくインカムの向こうの佐藤もだろう。彼が登場することは、この場の全員が暗黙のうちに了解していた。それにも関わらず、みんな唖然として彼を見ていた。


 堤は、そのまま我々が向かっていたコンソールに近づき、画面を確認すると、


「進捗度は二〇パーセントですか……。まあまあといったところですね」


と言った。最初に口を開いたのは上杉だった。


「堤、なぜここへ?」


 上杉ほどの人でも、そんなことしか言えないのかと思った。堤はいつもの微笑を湛えたまま、


「いや、ちょっとしたトラブルが発生しましてね。先生もご存知でしょう?」


と答えた。次に口を開いたのは長谷川だった。


「あなたがやっていたことは、もう隠してはおけないわ」


 定型文っぽかったが、(こっちの方が、この場にふさわしいな)と私は思った。

 堤は、長谷川を見ると落ち着いた様子で、


「まあまあ、そんなに結論を急がなくてもいいでしょう。ところで――」


 そう言って、堤が私を見た。息が苦しくなった。


「あなたが本当に田中氏の残した、愉快な謎を解くとは思いませんでした」


 私はそれに答えるのに、十秒くらい掛かった。


「……ええ、まあなんとか」


 そう答えながらも、(どうにもしまらないな)と思った。まるで会社が許可していない残業中に、突然現れたボスとの会話のようだった。もっとも、それほど外れてはいなかった。彼の声には相変わらず何の匂いも色もなかった。

 私の返事を聞いた堤は、スッと表情を消すと、少し虚ろな表情で私を見た。それはごく短時間で、見間違えかと思うくらいの時間だった。気がつくと、そこには再び微笑が浮かんでいた。


「いや失礼。私もいささか慌てていましてね。自分の雇っている社員に、大変困った立場に追い込まれたわけですから。まあ、何事もうまくいくとは限りませんからね。それは私もあなたたちも同じでしょう」


 そう言う割には、全く慌てた様子はなかった。長谷川が語気鋭く、


「じゃあ、田中さんの告発を認めるんですか?!」


と詰め寄る。定型文で押し切るつもりのようだ。


「ええ、概ね田中氏の見立ては正しいです。とはいえ全部ではありません。例えば『孤暑』が私の陰謀だという話は、さすがに陰謀論が過ぎます。田中氏の欠点は多くの陰謀論者と同じで、『全てが繋がっている』という視点で書かれていることが多過ぎることです。彼が書いた通りのことを行えるほど私は万能ではありません」


 ここで一息置いてから、言葉を続けた。


「神でない私が天候をコントロールできるわけはありません。温暖化を私の責任にされても困ります。その責任は私よりずっと前の世代が問われるべきです。またあの時点では、インフラやエアコンを故意に誤作動させることはできませんでした。ですから『孤暑』は偶然です」

「あの時点?」


 そこに不吉な匂いを感じた私が思わず反応した。堤は私を見ると笑顔で答えた。


「ええ、あの時点ではまだ、我々のサービスはさほどではありませんでしたから。むしろあの後、我が社の見守りサービスや、スマートホームAIが普及したことで、できたことです。空調の調節やネットインフラのコントロールなど。お陰で随分経費の削減ができました」


 私は声も出なかった。目の前の男は、今、孤独死を装った、大量殺人を認めたのだ。長谷川の喉の奥から、小さな悲鳴が聞こえた。

 痺れた頭に、インカムから佐藤の声が聞こえた。


「――堤CEO。どうしてここに入れたんですか? あなたの権限は現在、伊藤さんが持っているはずです。なぜここへ来ることができたんですか……?」


 確かにそうだった。彼がここへ現れること自体は、予想していたが、その方法は考えていなかった。堤はその質問に機嫌よく答えた。


「ああ、流石は佐藤さん、良い質問です。父の、堤絃二郎の権限で入ったんですよ。……生前はもちろん、死してなお、最高権力を手放さなさず、墳墓に持っていこうとした彼の権限を、私は持っていたんです」


 その声にも匂いはなかった。しかし、色があった。それはあらゆる光を吸収し、なにも光を反射することのない完璧な黒。真っ黒な憎悪だった。私は思わず慄いて彼を見る。それでも目の前で話し続ける堤は、上機嫌に見えた。

 私はこの場から逃げ出したくなった。こんな得体の知れない人間、いや、存在と一緒にいることが耐えられなかったのだ。

 その一方で、違和感もあった。予想通り堤はここへ現れた。けれど、彼は警備員を連れてくるわけでもなく一人で乗り込んできて、私たちとの対話を楽しんでいるように見える。モニターの表示に目をやる。そこには堤が登場した時と同じ、二〇パーセントという表示が見えた。メインモニターには相変わらずアイラが微笑んでいる。それを見た時、ザワっと背中の毛が逆立った。海で得体の知れない物を踏んだ時のようだった。本能的に、その正体を知ることを体が拒んだ。

お読みいただき、ありがとうございました。


次回は本日の21時ごろの更新を予定しています。


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