第八十話 侵入者 三
エレベーターから、コントロールルームへと向かう角の先には警備員が二人いた。本来であれば、警備員たちに見つかることなく入り込み、内側からロックする予定だったが、間に合わなかったのだ。
エレベーターの中で、佐藤の指示を待つ私たちの耳に、彼女が誰かに指示をする声とともに、何か物音が聞こえた。
「どうしました?」
そう尋ねる私の声の向こうで、バンの扉が開き、何かが運び込まれる物音がした。
「大丈夫ですか?!」
「――問題ありません。こちらへ来た警備員を制圧したところです」
私は彼女のその剣呑な言葉に驚きつつ、運転席にいた屈強そうな二人組のことを思い出していた。
「それより問題はそちらです。申し訳ないのですが、この状況では現場で処理していただくしかありません……」
既に警備員が私たちを目視できる距離にいるために、どうにもならないというのだ。
「何かで気を引いて、その隙に侵入してください」
インカムにすまなそうな佐藤の声が聞こえる。
「気を引くっていっても……」
私たちは止まったエレベーターの中で、お互いに顔を見合わせる。佐藤がコントロールしているので、映像では私たちの姿は、それぞれ違う人物に見えているはずだが、肉眼で見れば別人であることは明らかだった。かといって、よく掃除されたこの社内に、気の利いた小石や空き缶があるわけがない。おまけにスマホを含む私物も、侵入のリスクになる可能性があることから置いてきていた。今持っているのは、それぞれのIDと上杉が持っているアタッシュケースだけだったが、さすがにこれを投げるわけにはいかなかった。
「すみません」
そう言った長谷川の両手には、黒いパンプスが握られていた。
「私に考えがあります」
裸足の彼女は説明を始めた。それを聞いた上杉と私は微妙な顔になった。恐らくインカム越しの佐藤も同じだっただろう。しかし、他にこれといった良いアイデアはなく時間もなかった。もたもたしていれば警備が増強されるかもしれないし、堤がここに向かっているのだ。
「分かった。やろう」
上杉が胸にアタッシュケースを抱えてそう言った。なんだか見るたびに年老いてきているような気がした。抱えているのは玉手箱なのかもしれない。もちろん私は賛成した。ここまでの経緯を考えれば彼女に反対する理由はなかった。
幸いエレベーターは、警備員からは見えない位置にあった。
長谷川の指示で私と上杉は、エレベーターを降り、近くにある小部屋に移動した。最後に残った彼女はパンプスのひとつをエレベーターのドアに挟まるように置くと、私たちに続いて部屋に飛び込んできた。長身の割に素早い動きだった。
暫くするとエレベーターから、エラー音が響き出した。「扉に何かが挟まっています。安全をご確認ください」というアイラの声が聞こえた。
すぐに警備員たちが駆け寄る足音がした。立ったまま壁を背にして隠れている長谷川が、素早く顔を覗かせて彼らの様子を探る。そんな彼女をしゃがんでいる私たちが見上げる。上杉はともかく、私はこの位置関係に慣れてきていた。
私が頷くと、彼女は戸口から上半身を乗り出して、コントロールルームとは反対側の廊下に向かって左のパンプスを投げた。そのフォームは綺麗だった。素早く元の場所に隠れた彼女の後ろで、
カツン、カツン……
と廊下を滑る音が響く。ダダっと二人の警備員が私たちの隠れる給湯室の前を横切って走って行く。
「今です! 早く!」
長谷川の声に促された、上杉と私が小部屋を飛び出す。一方の彼女は、私たちと反対方向、警備員たちが走って行った方向に駆け出した。
コントロールルームへと向かう角を曲がったところで、長谷川の声が聞こえた。
「誰か! 変な人が! あっちに!」
そのあとの声は聞こえなかった。コントロールルームに辿り着いた私は、扉は上杉に任せて角を見つめる。予定では警備員を撒いた彼女がそこから現れるはずだった。
ピッという音がして扉が開いた。
「伊藤君、早く!」
背中に上杉の声がかかる。だけどまだ長谷川が来ていなかった。
「伊藤君!」
上杉の声が鋭くなる。でも私は角を見続けていた。彼女を置いて行くわけにはいかない。肩に置かれた上杉の手に力が込められた時、裸足の彼女が角から現れた。広いストライドで全力でこちらに向かって走って来る。スーツ姿の女性が裸足で廊下を走っている姿はどこか滑稽で美かった。
「伊藤さん!」
そう叫ぶと同時に彼女は私の胸に飛び込み、もつれながらコントロールルームに倒れ込んだ。
すぐに上杉が扉をロックした。長谷川は床に倒れたまま私の胸の中で、ハアハアという荒い息遣いと一緒に体が震わせていた。僅かに、汗と煤の匂いがした。
この計画を説明する時に彼女は、
「この中で、一番、正確に靴を投げられて、一番、早く走れて、一番、警備員が油断するのは私です」
と言った。それでも心配する上杉を、
「私は高校時代バスケ部でした」
という一言で封じ込めた。その時の彼女は、雌ライオンのように見えたが、今は雌鹿のようだった。
ゆっくりと上げた彼女の顔は、全力で走ったせいで上気していていた。緊張が解けたせいだろう、目には少し涙が滲んでいる。
私は、裸足で、投げて、叫んで、全力疾走して来た彼女に何を言えば良いのか分からなかった。それでも彼女は私の胸の中で、私が何か言うのを待っていた。
「ジョン・マクレーンみたいだった」
彼女が不思議そうな顔をした。
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次回は本日の21時ごろの更新を予定しています。
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