第七十八話 侵入者 一
休日の本社ビルは人気がなかった。私たちの乗った黒いバンは、静かに地下駐車場に滑り込んだ。
「既に警備システムの掌握はできています。皆さんにお渡ししたIDには、ダミーの情報が入っています。どれも技術部の実在する上級職員に設定していますので、コントロールルームまで、問題なく侵入できるはずです。ただ……」
「問題は人間の警備員だな」
荷物の確認をし終えた上杉が、PCに表示された地下駐車場から、コントロールルームまでの道順を再確認しながら口を開いた。
『盾』を止めるにはコントロールルームに行く必要があった。コントロールルームは、メインとサブの二つが存在し、メインは四十七階に、サブは地下五階にあった。私たちが目指すのはメインコントロールルームだった。堤のオフィスに近づくのはぞっとしなかったが、『盾』を止めるにはそちらの方が効率的だという。
「はい。モニターにはIDの情報の人物の姿が映し出されていますが、肉眼は誤魔化しきれません。IDに記録されている顔と違うことが確認されれば捕まります」
「不法侵入に器物破損、それになんだろう?」
ぼそりと呟いた私の言葉に、長谷川が反応する。
「伊藤さん、忘れたんですか? 私たちはもう放火に業務上横領の容疑がかかってるんですよ」
「ああ、そうだった」
別に余裕があるわけではない。ただ、寝不足なのと、一度に色々なことが起きすぎて感覚が麻痺しているようだった。これからやることを思えば、むしろそれは幸運にも思えた。
巡回は一時間に一回。二人一組で重要なフロアを有人で回っている。普通の会社では人件費の高騰と、警備ロボの普及に伴い、人間の警備員の数はずいぶん減っていることを考えると、これでも多い方らしい。親会社が警備会社だということもあるようだ。
「じゃあ、始めよう」
そう言って、上杉がバンから降りた。その手には私と彼が使う変装道具が入ったアタッシュケースが握られている。年の功だろうか、上杉は特に緊張するふうでもなく歩いている。ただケースが見た目よりも重いのだろう、少し辛そうだった。事前の話し合いで、私が持つことを提案したのだが、断られていた。この時、目で佐藤に同意を求めたのだが、なぜか彼女も何も言わなかった。その結果、一番高齢の上杉が持つことになったのだ。
続いてバンから降りようとした私は、そこで思わず、車内に置いた自分の鞄を目で探す。そこには田中のノートが入っていた。思えばあの日、机の上の段ボールの中で見つけて以来、ずっと一緒だったのだ。
「伊藤さん。大丈夫ですよ」
長谷川が隣から声をかけてきた。私は無言で頷くと外へと出た。ガランとした地下駐車場を、ライトが白々しく照らしていた。
「行きましょう」
落ち着いた長谷川の声に促されて、私は上杉の後を追って歩き始めた。
廊下にある無数のカメラが私を捉える。佐藤の説明で、警備室のモニターに映っている私の姿が、休日出勤中の技術部の鈴木浩一氏になっていることは分かっていた。だからといって緊張が消えるわけではなかった。ギクシャクと、自分が出来の悪いロボットに思えた。
廊下の所々にあるモニターにアイラが映るたびに、つい視線がそちらに向いてしまう。足が重く、ともすると上杉に遅れそうだった。
「伊藤さん、あんまりキョロキョロしないで。脚を動かして」
後ろの長谷川からの声に無言で頷く。ミッションインポッシブルをもっと真面目に観ておくべきだった。インディアナ・ジョーンズなら随分見たので、長谷川のことを大きな岩だと思うことにした。少し歩くスピードが上がった気がする。
「大丈夫です。佐藤さんの立てた計画通り進めれば」
後ろの玄武岩がそう言った時、耳に付けたインカムに、佐藤の緊張した声が響いた。
「様子がおかしいです」
「どうした?」
先頭を行く上杉が、軽くインカムが入った右耳に触り聞き返す。
「待ってください。……えっ?!」
「どうした?」
二人のやり取りを聞いているだけで、呼吸が浅くなり、心臓の音がやけに大きく聞こえてくる。薄いベールのように纏っていた、麻痺したような感覚が綻び、その代わりに(これが現実なのだ)という事実が、泡のように意識の表面へと登ってきた。それが、ぱちん、ぱちんと弾けるたびに、息が苦しく、足が重くなる。
前を行く上杉についていくのが辛く感じた頃、途切れていた佐藤の声が耳に戻った。
「堤CEOが帰ってきます」
思わず全員の足が止まった。
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次回は本日の21時ごろの更新を予定しています。
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