第七十六話 計画 一
「LPTの本社に侵入して、『盾』を止める」
そう言った上杉に、
「えっ?」
と私は答えた。その場違いな答えに上杉は顔を顰めたが、先に場違いなことを言ったのは彼の方だ。
隣の長谷川が、私よりもう少し穏当な返事をした。
「あの、それは『私たちが』ということでしょうか?」
「いや、君だ」
そう言って、彼は私の方を見た。
「えっ?」
とまた私が言った。静かな車内にエンジン音だけが響いた。窓の外の景色は、ここが都内に入りつつあることを示していた。
最初に口を開いたのは長谷川だった。
「なんで伊藤さんなんですか!?」
その声には、匂いより明確な、母親のような響きがあった。
「本社のコントロールルームで、今、動いている『盾』をシャットダウンするには、二人同時にキーを操作しなければらない。本来なら私とCEOである堤の二人だ」
もちろんそれを堤にお願いできないことは私にも分かっていた。しかし、それは私がやらなければならない理由にはならないはずだった。
「他に人はいないんですか?」
長谷川がキッとした声を返す。いよいよ保護者感が強くなってきた。もちろんその扱いは不本意ではあったが、取り敢えずことの成り行きを見ようと私は思った。心なしか彼女の影に隠れたような気もした。
「背格好が一番近いのが伊藤君だ。私の部下たちでは少し体格が良すぎる。それに――」
「なんですか?」
そう言ったのも長谷川だった。
「彼のバイタル波長が堤に近いからだ」
「どういうことですか?」
さすがに驚いた私が、長谷川の肩越しに尋ねる。それは先代の創業者の希望で、CEOだけに課された認証要素だという。
「理由は私も知らない。バイタルは他に比べれば不確定要素が強いので、認証プライオリティは低いが、あまりかけ離れていると撥ねられる。その点で、君であれば確実だ」
私とあの堤のバイタルが近い。そんなことがあり得るのだろうか?
納得のいかない様子の私に、上杉が思い出したように口を開く。
「――ただ、堤の方は違う印象を持ったようだよ。あの時、本社で君に会った後で言っていたよ。君が自分に似ていると。そして、『私と同じ匂いがした』と言っていたよ」
ゾクっとした。実際、体が慄えた。
「……それは?」
「分からないよ、私には。もしかしたら、何か根本的なところで、君と同じものを感じていたのかもしれない」
「同じもの?」
「知らんよ、私は」
オウムのように問い返す私に、上杉が突き放したように答えた。これ以上、この問答に時間を使う気はないという意思表示だった。
すかさず佐藤が、座席の横に置いていたアタッシュケースを開いた。思わず、(スパイ映画のようだな)と思って見ていたら、まさにスパイ映画で見るようなものが入っていた。
「これは全部、『盾』を止めるプロトコルで堤CEOを偽装するためのものです。このコンタクトレンズで網膜スキャンを、ボイスチェンジャーで声紋スキャンを、そしてこのグローブで指紋と静脈認証、そして最後は伊藤さんの体で、バイタル認証を突破します」
私はその説明を他人事のように聞いていた。実際、幾ら説明されてもなぜ私が行くことになっているのかを、理解できずにいた。
「心配しなくてもいい。私も同じことをするんだ」
上杉の言葉を補うように、佐藤が口を開く。
「上杉先生のCDOとしての権限も既に削除されているので、次席CDOの情報を偽装するものを用意しています」
そう言って彼女が、私用のガジェットが詰まったウレタン製のシートを持ち上げると、そこには同じものが一式揃っていた。それを見た時に、微かな違和感があったが、今起きていることの方が重要で、すぐにそれは忘れてしまった。
「私も一緒に行きます」
長谷川が決然とした口調で言った。そこにはクライマーが硬い岩肌に、ハーケンを打ち込むような気配があった。
「それはできない」
「なぜですか?」
「理由は二つ。第一に侵入には少人数の方がいい。コントロールルームまでは佐藤君が警備システムに侵入して、偽の情報を流す。ただ社内には人間の警備員がいる。彼らの目は誤魔化せない」
長谷川がギリッと奥歯を噛み締める音がした。
「もう一つは、当たり前のことだが、危険だからだ。コントロールルームに辿り着くまではもちろん、うまく辿り着いたとして、実際に何が起こるのかは分からない。それにこの計画が成功しても失敗しても、我々がなんらかの責任を追及されることになるのは間違いない。そこに君を巻き込む必要はない」
私は上杉の言う通りだ、と思った。その一方で、長谷川が納得しないのも分かっていた。彼女がここにいるのは、私を助けるためであることは間違いない。だけど、それだけではない。彼女はこの一連の出来事のなかに、彼女なりの何かを求めていた。それが本当にこの先にあるのか、どんなものであれば満足するのかも分からない。それでも求めることを止めることはできない。そういう種類のものだった。
「絶対に……。絶対に私は行きます」
石臼をギリギリと回し、あらゆる感情を引きつぶしたような声だった。匂いよりも、その重さが私の肺腑を圧した。
上杉も佐藤も長谷川の異様な気迫に飲まれたのか、ギョッとした顔で彼女を見た。上杉が救いを求めるように私を見た。
「伊藤君からも言ってくれ。これ以上は危険だと。年上の君には、彼女を守る義務があるはずだ」
どうやら上杉は年相応に古い価値観の持ち主らしい。ただ、だからといって間違ったことを言っているとは思わない。昭和のアナクロニズムと言われようとも、私も彼の意見に賛成だった。
長谷川が私を見ていた。その瞳には、カーチェイスの時のような、青白い炎はなかった。私へ同行を嘆願するような光もなかった。ただ静かに私を見ていた。ちらっと彼女の額を見る。そこには薄くはなっていたが、赤い傷があった。
私は彼女を見て言った。
「長谷川さんが一緒でなければ、私は行きません」
視界の外で、二人が驚くのが分かった。だけど私は彼女を見続けていた。
長谷川が頷いた。
車内は再び静かになった。既に車は都内に入っていた。
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次回は本日の21時ごろの更新を予定しています。
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