第七十五話 師弟
私は上杉にずっと別のことを聞きたかった。ただそれを彼が話したくないのは分かっていた。少し躊躇したが、結局尋ねることにした。
「CDOが田中のことを知ったのはいつだったんですか?」
答えたのは佐藤だった。
「田中先輩が死んだ後よ」
「先輩?」
「私も上杉先生の研究室にいたの。もちろん面識はないけれど。伝説的な存在だったわ」
ようやく彼女が上杉のことを、「先生」と呼んでいる理由が分かった。
「本当に、田中さんが亡くなるまで、知らなかったんですか?」
そう疑わしげに尋ねたのは長谷川だった。
「そんなにLPTにとって大事な人を、放っていたなんて……」
私も同感だった。自分が言うのもなんだが、LPTの力をもってすれば、田中の所在を確認するくらい簡単に思えたのだ。
「あなたたちが考えていることはもっともだと思うけど、LPTの倫理規定はとても厳格なのよ。それについては私も先生も、あなたたちと違いはないわ」
「彼はそれを利用した」
そう言ったのは上杉だった。
「田中は最も秘匿性の高いプラン、『マイディグニティ』に自ら契約することで、姿を眩ませていたんだ」
確かに、『マイディグニティ』の契約者の情報は、オンラインで申し込まれることもあり、当人が死ぬまで誰もアクセスできない。彼が書いたAI、アイラを除けば。
「だから私たちが彼の存在を知ったのは、君たちと同じだ」
その言葉には、僅かに嘘の匂いがした。私は上杉の目を見つめた。
「……君が言いたいことは分かる。私は彼がLT社を辞めた後について、無関心だった」
「先生……」
佐藤が心配そうに上杉を見る。
「いいんだ。私が彼を意識的に遠ざけたのは事実だ。怖かったんだ、彼が……」
そこには嘘の匂いはなかった。傷ついた男の悲しい匂いがあった。
私はそれ以上の追求を諦めて、より実質的なことに話題を変えた。
「では、あの事務所、CDOや堤はあれにも気がつかなかったのですか?」
上杉は首を横に振った。
「気がついたのは君たちの行動を追い始めたほんの数日前で、それも堤のほうが先だった。改めて言っておくが、あの火事は私たちではないよ。誤解があるようだが、私たちは君たちを守ろうとしていたんだ」
私は頷きつつ、ようやくこの車に乗った時に渡されたペットボトルの水を一口飲んだ。目の前に迫る炎を思い出したのだ。代わりに長谷川が口を開いた。
「CEO……、堤は、どうなんですか?」
「……分からない。厳格なルールといっても、詰まるところ堤が作ったルールだ。私と彼とでは権限も、力も全く違うんだよ。それに私はもうCDOでもない……」
それは私に向けられたものというより、独白に近かった。深い諦めの匂いがした。
「それにしても、よく私たちのことが分かりましたね」
重い気配を察したのか長谷川が、少し明るめの声でそう言った。
「あなたがあそこに残したチラシのお陰よ」
「チラシ?」
すかさず応じた佐藤の言葉に、私は思わず素っ頓狂な声を上げていた。
「焦げたあなたのジャケットに入っていたチラシよ。仕掛けはすぐに分かったわ。あれには周囲にある通信可能なデバイスを使って、ごく小さなデータを送信する仕組みが刷り込まれていた」
驚いた顔で見る私に、彼女は小さく笑った。その点にはまったく頭が回っていなかった。
「あとは簡単よ。残っていたログを調べたら、あなたのスマホが分かった。途中でGPSを辿れなくなったけれど、そこまでの方向と田中の行動データを合わせてアイラに予測させれば、目的地も見当がついたわ」
「彼女は私の教え子の中でも凄腕なんだよ」
上杉が少し誇らしげにそう言った。
ガタンと、車が小さく揺れた。窓から外を見ると、空が白んでいた。
それを見て、私はもうずっと前に尋ねるべき、一番大事なことを思い出した。
「――先生」
上杉が私を見た。
「……それで、結局、今から私たちは何をするのですか?」
またガタンと、小さく車が震えた。
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次回は本日の21時ごろの更新を予定しています。
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