第七十四話 箱舟
「――そうだったな。今我々がすべきことは、田中の意図がなんであれ、『盾』を解除して、彼の遺した証拠を守り、堤の計画を止めることだ」
長谷川が応じた。
「堤の計画って……、本当に田中さんのノートに書いてあった通りなんですか?」
「全部ではないが、先ほど伊藤君が話してくれた内容で、概ね合っている。もちろん地球外生命体や、多元世界の旅人の可能性云々というのは馬鹿げているが」
「じゃあ上杉さんは、前から堤の計画をご存知だったのですか?」
上杉は長谷川を見て頷いた。さっきまでとは違い、そこには力があった。
「……きっかけは今から五年前、役員会議でのある決議だ。堤は、当時世界で最も進んでいた先端医療研究プロジェクトへの資金提供の打ち切りを、ほとんど独断で決定した。私は彼に問いただした。『どういうつもりなのか?』と」
彼は水を飲んでから先を続けた。
「堤はこう応えた。『上杉先生、安心してください。僕はちゃんと分かってやってます』と。あの微笑を浮かべてね。もちろん納得ができなかった私は、なお説明を求めた。しかし彼はそれには応じず、こう言った。『……先生はスヴァールバル世界種子貯蔵庫をご存知ですか?』と」
佐藤が私と長谷川に向かい、
「ノルウェーの永久凍土層にある、人類が未来のために、世界中の植物の種子を保存している施設です」
とフォローした。
「現代の『箱舟』とも呼ばれている。堤は、『私たちが、どの先端医療技術を選ぶのかは、誰が方舟に乗るかを選んでいるのかと同じです』と言った。そして、『そのチケットはとても高い』と。私は聞いたよ『チケットとはなにかね?』と」
ガタンと車内が揺れた。高速道路のつなぎ目に乗ったのだろう。
「彼は笑いながら言ったよ『もちろん方舟に乗るチケットです。三等客は一〇年、二等客は二〇年、一等客は三〇年、そして特等客は永遠。いずれも安くはありませんので、こちらも質を保証しなければ。だからあのプロジェクトはもういいんです』と……。私がその意味が分かったのは二年後だ。件のプロジェクトが史上最悪の投資詐欺だったと世間が知った時だ」
長谷川が、
「あ! それって、あの女社長の?」
と言った。上杉が彼女を見て軽く笑った。
「それだよ。若くカリスマ性のある女性CEOで、彼女は一滴の血液からあらゆる病気を診断し、細胞レベルでの再生を可能にすると言っていた。まさに『永遠の命』への扉を開くような革新的な技術だった。だがその全てが捏造されたデータの上に成り立った嘘だった。ニュースを知って最初は、堤の経営判断の的確さに安堵したよ。彼のおかげで会社は巨額の損失を免れたのだから。だが違和感もあった。どうしてあの時点でそんな判断ができたのか? それから私は密かに彼のことを調べ始めた」
ガラス越しに届き始めた朝日が車内を照らした。二月の陽の光が上杉の顔を薄く照らす。深いクマが見えた。佐藤が黙って、ドアのスイッチを操作して遮光ガラスにした。
「ただ堤の専用領域は鉄壁だった。それは、コアプログラムであるアイラと直接繋がったサーバーで、生体認証を始め、何重もの暗号化が施されていた。しかし、それでも一つだけ見つけたものがあった。それは堤が作り上げた世界中の先端医療や遺伝子工学、脳科学、AIに関する研究機関のネットワークマップだった」
私は、上杉の話を聞きながら、何かを思い出していた。
「そこにはどの研究所が、どんな技術を持ち、誰がキーパーソンで、その研究を支えるインフラは何かが詳細に記録されていた。さらに驚いたのはそうした研究内容と、世界各国の政治や経済の分野で権力者と呼ばれる人間の、年齢や病歴などが紐づけされていたことだ。その時、彼が言った『チケット』という言葉の意味が分かった。堤は、『永遠の命』に関わる先端医療技術の独占と、それを使って世界中の権力者をコントロールしようとしているのだと」
私は不意に思い出したことを、そのまま口にしていた。
「一五〇歳まで生きられる」
全員の視線が私に集まった。
「十年ほど前、ある国家元首が言った言葉です。それに対してその場にいたどこかの大統領は、『不死さえも実現できる』と応じていました」
上杉が頷いた。
「それが分かった頃から堤の私に対する態度が変わった。恐らく私が探っていることに気がついたのだろう。そこが限界だった。結局私は、彼の企みについて、告発できるほどの証拠を見つけることはできなかった……」
最後の言葉には、語り始めた時の力が、枯れていた。
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次回は本日の21時ごろの更新を予定しています。
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