第七十二話 本社へ
上杉が口を開いたのは、山道の急なカーブが終わった頃だった。本当はすぐにでも話したかったのだろうが、揺れる山道ではそれもままならず、苦虫を噛み潰した表情で、時折、隣の佐藤と数言話す以外は黙ってPCの画面を見ていた。
「伊藤君、これが、君が起動したQRコードが引き起こした結果だ」
上杉はそう言うと、自分が見ていたPCの画面を私に見せた。そこには何かの進捗度が表示されていた。
「その画面に映っているのは、田中がネット上に残した、堤の不正を告発する証拠のデータが、LPTの『盾』によって消去されている様子だ。このままではあと数時間で田中の遺した全てが消える。君があのQRコードを起動させたせいだ」
そう言って上杉は私を睨みつけた。私は生唾を飲み込んだ。ずっと混乱しているうえに、少し車に酔っていた。
「どういうことですか?」
それほど的外れな返答ではなかったと思ったが、上杉はとても苛立った様子だ。横に座る佐藤が、彼を落ち着かせるように、
「先生。まず彼らの説明を聞いたほうが良いのではないでしょうか」
と声をかけた。上杉はちらっと佐藤を見ると、自分を落ち着かせるように一度目を閉じてから私を見た。
「――伊藤君、君が見つけた田中のノートには何が書いてあった?」
そう言われて、私は自分の鞄の中に、そのノートがあるのを思い出していた。ノロノロとそれを出そうとする私に、
「読んでいる暇はない。君の口から聞かせてくれ」
と言う上杉の声が聞こえた。そこには苛立ちとともに、なぜか恐れの匂いがした。そこに何が入っているかは知りつつ、物置の隅にずっと放っていた木箱を覗くような感じがした。
仕方なく、私はできるだけかいつまんで田中のノートの内容を説明した。時々、話が脱線しそうになると、長谷川が小さな声で、「伊藤さん」と声をかけてくれたお陰で、それほど脇道に逸れることなく話を終えることができた。上杉は時に驚いたり、少し憤慨したりした様子を見せた。一方の佐藤は終始落ち着いた表情で、メモをするように手元のPCに何かを打ち込んでいた。いずれにしろ、二人とも私の話を最後まで黙って聞いていた。話が終わる頃には、バンはいつの間にか高速に乗ったらしく、揺れは収まっていた。お陰で車酔いも良くなっていた。話すことが無くなった私は、黙って次の言葉を待っていた。
「――つまり、君たちは、田中の残した足取りを追ううちに、あのQRコードに辿り着き、実行したということだな?」
「そうです」
上杉と佐藤が顔を見合わせる。
「――あの、QRコードって、一体なんなんですか?」
そう聞いたのは、長谷川だった。佐藤が目で上杉の確認をしてから、話し出した。
「あれはマグネットリンクです」
「それってなんですか?」
「サーバーに依存しないデータ共有の方法です。通常はURLが特定のサーバー上の場所を示すのに対して、マグネットリンクはハッシュ値を持つんです」
「ハッシュ値……?」
長谷川の頭の中が白くなっているのが分かった。見かねた私は、佐藤に代わって彼女に説明した。
「例えば図書館で『クララとお日さま』を探すと、海外文学のコーナーのイから分類番号で場所が分かるよね」
長谷川は(え?!)と驚いた顔をしたが、すぐに、
「あぁ、はい」
と曖昧に頷いた。
「普通のネットのリンクはこういう場所を指してるんだ。だからもし誰かが、その図書館を燃やしたり、棚から本を捨ててしまったら読めなくなってしまう」
「酷い!」
ちょっと反応が思ったものと違ったが、話を続けることにした。
「そうだね。だけどマグネットリンクは本の場所じゃなくて、本の内容を指しているんだ。だからこのリンクを踏むとネット全体に、『こういう文章で始まって、こういう文章で終わる本を探してるよ』と叫ぶようなものなんだよ」
「ネットに叫ぶんですか……」
「そう。そうすると、それに応じて、世界中のその本の切れ端を持っている人が、『あ、その本の一部なら持ってるよ』と少しずつコピーを送ってくれて、その結果、自分の手元に本が出来上がるみたいな感じだね」
「なるほど……、本が出来上がるのは良いですね」
彼女がそう答えるのを聞いた時、佐藤が少し感心したように私を見ていた。
しかし、私は自分が今説明したことの意味に改めて気がつき、不吉な気分になっていた。
「――つまり、あのQRコードは、田中の告発文と証拠を繋げるものだったということですか?」
これは長谷川にではなく、上杉と佐藤に向けたものだった。
数秒の沈黙のあと、上杉が答えた。
「そうだ。そしてそれが今消えつつある」
私は混乱していた。
「でも、今、お話ししたように、田中は自らLPTの檻に入り、そこから出られなくなったんですよ?! その結果、外部の僕たちに頼って、こんなことをさせたんです。おかしいじゃないですか?!」
私は凄く腹が立ってきた。青木の時はもちろん、車が暴走した後よりも、ずっとだ。相手が、CDOとCEO付きの秘書だろうが、関係なかった。
「そんなのおかしいじゃないですか! 僕たちがどんな思いでここまでやってきたと思うんですか?! そんな馬鹿な話ありますか!」
「……伊藤さん」
私の剣幕に驚いた長谷川が、肩に手を置いたのが分かった。振り向くと、心配そうな彼女の顔があった。額の小さな傷が目に入り、やり場のない怒りと悲しみを感じる。それでもなんとか気持ちを整え、目の前に座る二人に向かった。
「ちゃんと説明してください」
できるだけ冷静に言ったつもりだったが、それが成功したかは分からなかった。
私の様子が予想外だったのだろう。上杉と佐藤が顔を見合わせた。そして、
「分からない」
と上杉は言った。
「なぜ彼が、証拠へと繋がるマグネットリンクを、こんな形で君たちに起動させたのかは分からない」
そう言って、彼は視線を車の床に向けた。その声からは、私を詰った時にあった力が失われていた。
「先生がおっしゃっていることは本当よ。あのリンクを有効的に使うためには、同時多発的でないと『盾』に防がれてしまう。だけどそのことを、田中氏が分からないとは思えない……。だから、本当にどうしてあなたたちに実行させたのか、分からないのよ」
車内が静かになった。それを破ったのは上杉だった。
「――私には分からない。天才のことが……。田中のことが……」
床を見たままポツリと言った。そこには古びた羨望と、嫉妬の匂いがあった。
そして彼は、ゆっくり語り始めた。
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次回は本日の21時ごろの更新を予定しています。
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