第七十話 実行
私は自分のスマホを、通常のモードに切り替えた。その途端、SMSの着信を知らせる通知が届いた。それは優に一〇通を超えていた。ここまで来たら一通くらい開いても同じだろう。そう思った私は一番最後に届いたものを開いた。そこには、
(君たちが何を発見したとしても、それを実行するな。それは我々に破滅をもたらす)
と書かれていた。
さすがに無視することができず、長谷川に見せる。
「どう思う?」
「これって、事務所にいる伊藤さんに(逃げろ)というメッセージを送った相手と同じですよね?」
「……恐らく」
メッセージの送り主は、全部『送信者不明(Unknown)』だった。
「(我々に破滅を)ってどういうことでしょう?」
「分からない。普通に考えればLPTからだと思うんだけど、前の(逃げろ)ということを考えると、ちょっと判断が難しくなるね」
「LPT以外の第三者、ということですか? 警察とか?」
「警察にしてはおかしなメッセージだよ」
「確かにそうですね」
二人とも考え込んでいる時、また新たなメッセージが届いた。それを見て二人ともギョッとした。
(君たちの位置は把握した。すぐに行くので何もせずそこを動くな)
私たちは顔を見合わせた。
「どうします?」
「分からない」
何者かは分からなかったが、誰かがここに向かっているのは間違いなかった。
「時間がない」
そう口に出して言ってみたが、どうすべきかは決められなかった。ここまでの過程を考えれば、迷わず田中が遺したこのQRコードを実行すべきだった。しかし、(逃げろ)と(やめろ)という二つのメッセージを、簡単に無視することはできなかった。
彼女は何も言わず、私の顔を見ている。私はその顔を見返した。
「長谷川さん、僕には本当にどうすべきなのか分からない。もしメッセージの通り、このQRコードを実行するのがとんでもない間違いだったら? 逆にこれが田中の遺した堤の計画を止められる唯一の方法だとしたら?」
彼女は静かに聞いていた。
「僕は怖いんだ。この選択をすることがとても怖い。この事件に関わっている人間は、田中も堤も天才だ。だけど僕はただの普通の人間だ。これまでの人生でも大した選択をせず、流れに任せて生きてきただけで、こんなことに巻き込まれたり、こんな重要なことを決めたりできるタイプじゃない。ここにいるべき人間じゃない」
ようやくそう言い終えた私に、長谷川がゆっくり口を開いた。
「伊藤さん……私たちはそもそも選んで生きているわけじゃないと思います。もちろん『人生は選べる』と言う人もいるけど、少なくとも私は違います」
その声には、使われずにずっと押し入れの奥にしまい込まれていた、重い布団のような、寂しい匂いがした。
「――だから、そんな私が今、言えるのは、ここで伊藤さんがどちらを選んでも、結局同じなんだということです」
私には彼女が言っていることが、よく分からなかった。
「……つまり?」
彼女は笑った。
「どっちを選んでも、何かを得て、何かを失い、人生は続く。いずれにしろ後始末はしなきゃいけないってことです」
これは分かった。私も笑った。今度は寂しい布団の匂いではなく、前と同じ、よく干された布団の匂いがした。
私は自分のスマホで、岩に刻まれたQRコードを映して実行した。
どっちにしても同じなら、同じグレファの天才の方がマシに思えたのだ。
お読みいただき、ありがとうございました。
次回は本日の21時ごろの更新を予定しています。
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