第五十話 壁紙
私はもう一度最初から考え直した。撮影が無理なことは分かった。では、そもそも田中はどうやってこの星空を天井に描いたのだろう? 恐らく何かで星空を天井に投影したはずだ。探せばその時に使った投影機がどこかにあるかもしれない。しかし、それなら元になるこの星空の画像があるはずだ。それはどこにある?
私はBeBOXに駆け寄り、手探りで起動スイッチを押すと、「ポーン」という音が部屋に響いた。ディスプレイを点けると懐中電灯一つで暗かった部屋が、突然明るくなったように感じた。
BeBOXの起動を待ちながら、私は考えていた。本当にこのPCにこの星空の画像があるのだろうか? あったとしても経験上、探している画像を見つけるのは難しい。今でこそAIを使えば簡単に検索を掛けられるが、この時代のPCでは、田中がわざわざファイル名を変えていない限り、画像の種類や撮影日時から当たりをつけて片っ端から確認しなければならない。田中のことだ、星空はもちろんフィギュアやプラモデルの写真など沢山ありそうだ。実際、部屋のPCには大量のフィギュアの画像が保存されていた。
カタカタと小さな音を立ててBeOSが読み込まれ、やがてシンセサイザー音とともにデスクトップが現れた。
それを見て、呆気にとられたあと、私は笑い始めた。
最初は小さく、やがて大声で笑っていた。涙が滲んだ。
そんなに笑ったのは久しぶりだった。
目の前に、探していた星空の画像があったのだ。
前に来た時は、BeBOXと田中のプログラムを読むのに夢中で気にもとめていなかった壁紙の画像。それこそが天井の星空を映したものだった。
改めて写真を見ると、天井のものとは違い、周囲の山の稜線も入っていた。
私は鞄に入れておいた田中のUSBメモリーを取り出すと、BeBOXに差し込み、デスクトップの画像をそこに保存した。慣れないBeOSに手こずったが、それでもなんとかUSBメモリーにファイルをコピーできた。
その時、ドアが「カチリ」と音を立てた。
体が硬直した。(誰かがこの部屋に入ろうとしている!)。そう思ったが、それ以上の音は聞こえなかった。古いビルなので、あちこちに軋みがあるのかもしれない。その瞬間、スマホにメッセージの着信を知らせる通知が届いた。
さっき天井を撮影しようと電源を入れたままにしていたので、長谷川からのメッセージが届いたのだろう、そう思って見ると、Signalを経由したものではなく、このスマホの電話番号に対するSMSだった。それは長谷川しか知らない番号だ。異常を感じつつメッセージを開くと、そこには、
(逃げろ)
とだけ書かれていた。冷たい汗が背中に流れた。それでも腰が抜けなかったのは、自宅の一件以来、多少は肝が据わってきたからかもしれない。しかし、衝撃は軽くはなかった。最初は無理にも長谷川からだと思ってみたが、彼女がわざわざリスクの高いSMSを送るとは思えない。また文面から見ると、今私がどこにいるかを知っている者が送ったようだ。
こんなことができるのはLPTだと思うのだが、(逃げろ)という文面が気になった。車の暴走を考えれば、彼らがわざわざ私に(逃げろ)と伝える必要はない。
これもなにかの罠かと思ったが、今ひとつ納得がいかない。それでも私がここにいることが誰かに知られていることと、ここでやることはもうないことも間違いなかった。私はできるだけ静かに、そして素早くBeBOXの電源を落とし、ノートとUSBを鞄に入れるとディスプレイを切った。部屋が真っ暗になった。
突然、雷のような光が閃いた。見ると部屋の隅のコンセントがショートしたようにバチバチと音を立てていた。私は急いでドアに向かった。その間にも部屋のあちこちのコンセントが同じように光を放ち、バチバチと音を立てる。フラッシュが連続で焚かれるような感じで、部屋の四方八方に私の歪んだ影が一瞬浮かんでは消えた。
なんとか扉に辿り着きノブを回す。しかし、びくともしなかった。私は悟った。さっきの音は開けようとしたのではない。鍵を閉める音だったのだ。
部屋の四方から放たれていた光は、今は周囲の物を巻き込み炎となっていた。消火器は各階の入口にあったが、この部屋にないのは確認済みだ。火は見る間に田中の蔵書が詰まった本棚に移ると、勢いが強くなった。恐らくセル画に引火したのだろう。続いて様々な部品や資材が詰まった箱が並ぶ棚も燃え上がった。そのうちにプリンターが収まるラックに積まれたチラシの束にも燃え移る。猛烈な熱さと煙に巻かれながら私はドアを叩き、蹴り続けたが、スチール製のドアはびくともしなかった。次第に息ができなくなり、咳き込むうちに、肺が焼けるように痛んだ。床に這いつくばり、ドアの僅かな隙間から空気を吸おうとしたがあまり効果はなかった。眼の前で田中の秘密基地が焼け落ちつつあった。
(ここまでか……)
と思った。
正直、それほど生に執着はなかった。割と早くに両親を亡くし、兄弟もおらず、親友や恋人と言える存在もなかった。それ自体はそれほど苦痛ではなかった。
親友とも恋人とも呼べないが、時折、一緒に食事をしたり、酒を飲んだりする程度の人はいた。深いプライバシーはさらさず、政治の話はせず、互いの人生にも干渉しない。安全なところで一緒の時間を楽しめる人はいた。それで十分だった。何かを成し遂げることもなく、世の中にいても、いなくてもいい人間としてなんとなく生きているだけで、いつ消えても構わないと思ってきた。それでも歳を取り、老いることは怖かった。体が動かなくなり、誰かや何かの助けを借りなければ生きていけないようになることが嫌だった。できればまだ頭がしっかりしているうちに死にたい。そう思っていたが、自分でそれを選ぶのは怖かったし、それはやっぱり不自然な気がした。LPTに転職したのも、そんな想いがどこかにあったからだろう。
そう考えると、まさかこんな形で自分の人生が終わるとは思わなかった。仕事中に自分と同じか、それ以上のグレファの天才が残した二次創作のノートを見つけ、そこに自分が勤める会社のCEOが永遠の命を独占しようとしている、という告発文を見つけ、その謎を解く最中に雇用主から殺される。これまでの人生を全部足してもお釣りが出るくらいの出来事の連続で、走馬灯にも随分色がついた。そんなことを考えているうちに、視界が濁り頭がボーッとしてきた。田中氏の顔が浮かび、次に長谷川さんの顔が浮かんだ。
(田中氏には悪いが、これで長谷川さんが解放されるなら、まあ、いいのか)
そう思って目を閉じた。
(彼に会えるのだろうか……?)
そう思った時、ドア越しに物凄い衝撃が頭に響いた。お陰で途切れそうになっていた意識が戻った。
お読みいただき、ありがとうございました。
次回は本日の21時ごろの更新を予定しています。
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