第四十六話 潰えた計画
「先生!」
上杉の部屋で、モニターを見ていた佐藤が声を上げた。それは悲鳴に近かった。
「どうした、佐藤君?!」
「コアサーバーが……」
そう答えながら、猛烈な勢いでキーボードを叩き始めた。震えた唇は、呪文のように「嘘、嘘、嘘――」と呟いていた。
慌てて手元のノートPCの画面を見た上杉が凍りついた。部屋には佐藤の打鍵音だけが響いていた。やがてそれも止まった。空調の音だけが残った。
「……今、外部からの正規のプロトコルを完全に無視した、強制的なデータワイプが開始されました。……復元不可能です」
佐藤の虚ろな声が白い壁に吸い込まれた。それを聞く、上杉の表情からあらゆる感情が消えていた。
「……堤か」
固まった絵の具のチューブから絞り出したような、嗄れた声だった。それが質問なのか、確認なのか、言った本人にも分からなかった。それでも律儀な部下であり、教え子が答えた。
「間違いありません。これができるのは、彼だけです」
そういうと彼女は、パチパチとキーを叩き始めた。そこには先ほどの猛烈な嵐を思わせるような勢いはなく、冬の冷たい雨の降り始めのように、散漫なものだった。
ポツポツ、スッ、ポツポツ、スッ
キーを叩く音と、マウスが滑る音が何度か繰り返される。それも佐藤の深いため息とともに止まった。
「私たちの権限も止められました。二十分以内にここを出ないと、強制退去になります」
そう言うと、自分で自分の息の根を止めるように、彼女は首をガクンと前に倒した。
不意に部屋中のモニターに同じ画像が映る。右上から画面が赤く染まっていく。それは彼らが奪おうと計画していた、コアサーバーの中身が消えていく様子、可視化された絶望だった。
「……堤め」
彼の脳裏に、香港のホテルの一室で、微笑を浮かべてこの様子を楽しんでいる男の姿が浮かんだ。猛烈な怒りは沸かなかった。むしろ自分に対して腹立たしく思っていた。
「――私の決断が遅かったんだ。私がすべきことをせずに先延ばしにしていた結果だ」
顔をあげた佐藤が、老人を労わるように声をかける。
「先生……」
「慰めてくれなくていいよ。私は彼がその気になれば、ずっと前に私を締め出せることを知っていた。彼はそれを知って、今日まで弄んでいたんだ。私の負けだ……。いや、私はずっと前に負けていたんだ。死刑を宣告されながら、生かされていた死刑囚のようなものだったんだ」
その言葉に佐藤が口を噤んだ。しかし、それは恩師への気遣いからではなかった。
「先生」
決して大きな声ではなかったが、そこには先ほどまでとは違う力があった。思わず上杉が見返した彼女の目には、何かを確信した輝きがあった。
「なぜ、堤はいつでもできることを、今やったんでしょう?」
その言葉に上杉が顔を上げた。
「――伊藤君だ。彼が何かを発見したんだ」
「彼を捕まえましょう」
二人が身支度を整え部屋を後にした時には、部屋のモニターは既に赤く染まっていた。
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次回は本日の21時ごろの更新を予定しています。
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