第四十二話 出張
翌日は予定通り朝から群馬への地方出張となった。基本的に我々緊急対は、担当地区に張りつきの仕事だが、時々こうした出張がある。ほとんどの場合は、こちらで担当したクライアントが、転出後に亡くなり、そこで最初に登録していた資産価値と大きく違う時だ。
今回のクライアントは、高名な現代美術家で美術品のコレクターとしても知られた人物だった。一〇年前、私が担当した時は、練馬のアトリエで活動していたのだが、その後、群馬県に居を移した。この時、本来であれば再スキャンと再タグづけをするのがプロトコルだ。ところが本人が強硬にこれを拒否した。理由は、新しいアトリエが広い上に、膨大なコレクションのすべてにナノタグを付着するのに、一週間以上掛かることに氏が激怒し、契約解消をチラつかせてたのだ。
当然、氏の資産情報を把握していた高崎支部の担当者としては、みすみす契約解除させるわけにはいかなかった。その結果、「いずれ再スキャンする」ということを条件に、練馬時代のデータをそのまま使い続けていたというわけだ。
こんな横紙破りが許されたのは、記録されていた彼のコレクションが順調に価値を上げていたからであった。ところが上がったのは美術品だけではなかった。その間にLPTのスキャン技術も上がっていた。その結果、氏の遺したコレクションの約半分が贋作であったことが分かった。当然、大騒ぎとなった。
私と長谷川が現場に着いた時には、人里離れたアトリエには、「親族」と名乗る人たちが二ダースほど押しかけていた。亡くなった御本人は、LPT謹製のブランケットに包まれて穏やかに寝ていた。享年八十八歳の大往生だった。
私がこんな場面に来たのは、練馬時代のスキャンの修正を出すためだった。資産の規模がある基準を超えた場合、そのデータは担当者の生体データとともに承認され、改竄が行われないように厳重に処理される仕組みとなっている。面倒なのは、その資産データのマスターが、故人の胸に埋め込まれているチップ(LGI)に書き込まれていることだった。つまり私がやって来たのは、初めの資産データの保護を解除し、新しいスキャンデータに置き換えるためだった。遺族にしてみれば、彼らが受け取る資産を半分にするわけだ。
できるだけ目立たないように作業をしようとしたのだが無駄だった。私の存在に気がついた相手の弁護士が、集まった遺族に「LPTの社員を近づけるな!」と伝えたことで、彼らが安らかに眠るクライアントを囲んだのだ。そのうちLPT高崎支部の人間も呼び出され、そのなかに保安部の者がいたことから現場の雰囲気は一気に険悪になった。
半日にわたる押し問答の末、LPT側の弁護士が、「契約により死後一週間以上経っても、被契約者側の都合によって財産が確定しない場合は、LPTが一度全ての財産の管財人となり、以後、遺言に沿って分配される。その場合、LPTへの手数料は遺品一点につき市場価格の一〇%となる」という条項を読み上げることで、不承不承遺族たちも折れ、収まりがついた。
最初は驚いてその様子を見ていた長谷川だったが、そのうちに飽きたのだろう、特にやることもなかったこともあり、午後は騒動が収まるまで車の中で本を読んでいた。私はその場に飛び交う言葉とその猛烈な嘘の匂いに、朦朧としていた。
すべてが終わった時は既に日も傾き、私と長谷川は暗い山道を東京に向かって車を走らせることになった。
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次回は本日の21時ごろの更新を予定しています。
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