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理想の孤独死【完結済み21.5万文字】  作者: Shimizu Atsushi


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第三十二話 秘密基地

 そのドアには、電子的なセキュリティーはなく、ノブを捻るとあっけなく開いた。近くの壁にあった電気のスイッチを入れると、蛍光灯が点き、白々とした光が室内を照らした。二階下の店と同じ大きさのはずだったが、なぜか広く感じる空間だった。表通りに面した窓はブラインドで閉ざされていた。街の喧騒は不思議なほど遠く、微かに聞こえる程度だ。

 私に続いて入って来た長谷川が後手でドアを閉めた。天井や部屋の隅を見ても、特に監視カメラやセンサーは見当たらなかった。仮にあったとしても、知らせる相手はもうこの世にはいなかった。

 無言のまま二人で部屋のあちこちを見て回る。


 部屋の中央には、大きく頑丈そうなスチール製の事務机が置かれていた。擦り傷だらけの天板の上には、旧式のデスクトップPCが鎮座していた。その傍らには小型のオシロスコープ、ハンダごて、テスターといった電子計測器が置かれている。椅子はキャスター付きのものが一脚だけで、必要に応じて椅子ごと机の周りを動いて作業していたのだろう。

 壁際には、高さのあるスチールラックがいくつか並んでいた。棚板には自宅の部屋と同じく、プログラムやアマチュア無線、天体観測に関する専門書が多く、なかにはJAXAの内部資料と思われる衛星の資料もあった。一九八〇年代のSFアニメ雑誌のバックナンバー、『超空豪神グレンガーディアン』関連の書籍や、セル画などが所狭しと並んでいる。使い込まれた工具箱や、ジャンクパーツの入ったプラスチックケース、側面にマジックで「天文資料」「模型パーツ」といった文字が書かれた段ボール箱が収められている。

 しかし、部屋の異様さを際立たせているのは大量のプリンターだった。数えてみると二十台ものプリンターが頑丈なラックに収められていた。これらのプリンターは机の上のものとは違い、同じラックの新しいノートPCに接続されていた。ほかのラックにはプリンターに使う用紙や、サプライ用品と段ボール箱が詰まっていた。

 全体的に趣味と実用が混在した、隠遁者の秘密基地といった雰囲気で、恐らく田中はここで、特殊なLEDライトや、それに反応するインク、そしてノートの凝った装丁などを作っていたのだろう。


 ほかにも三・五インチや五インチのフロッピーディスクとディスクドライブ、ドライブはなかったが八インチディスクや、PCに繋げるカセットテープレコーダーや電話カプラーといった、レトロPCパーツがゴロゴロ出てきた。これらは田中の趣味のコレクションのようで実用性はなかった。実用性があるものとしては、沢山のUSBメモリーと、五十万円ほどの現金が入った封筒だった。

 田中は、LPTと契約する前に、あらかじめ資産の一部を現金化しておくことで、彼らの目が届かない経済活動ができるようにしていたのだろう。この事務所、いや、秘密基地もその一部だ。

 私がその用意周到さに舌を巻いているところに、段ボール箱の中身を確認していた長谷川から声をかけられた。


「伊藤さん、これ」


 近づいて覗き込むと、箱の中には大量のチラシが入っていた。種類は様々で、不用品回収や水道トラブル、宅配ピザ、マンションの広告など、郵便ポストによく投げ込まれている類のもので珍しくはなかった。しかし、それぞれが千枚の束で段ボール一杯に収まっているのは異様な光景だった。


「どういうことでしょう?」


 そう聞かれても困惑するだけだった。状況から察するに、田中がここにある大量のプリンターを使って、これらのチラシを刷っていただろうことは推測できた。しかし、その理由となるとさっぱり分からなかった。


「ここでチラシのデザイナーをやっていたとか?」


 確かにその可能性はある。編集をしていた田中であれば、チラシ程度のデザインはできただろう。しかし、それだけのために、こんな大仕掛けな手間を掛けるとは思えなかった。

 私は梱包されているチラシを一枚抜き取った。ポストカードサイズで光沢のある表面には、赤と緑を基調にした派手なデザインで、「熱々ピザをお届け!」と大きく書かれていた。一方裏面は、何も印刷されず真っ白だった。私はそれを指先で擦っているうちに、あることに気がついた。


「どう思います?」


と、そのチラシを長谷川に渡した。彼女はそれを受け取るとしげしげと眺め、


「普通のチラシに見えます」


と言った。

 私は黙って箱に入った束から、もう一枚、今度は「水道トラブル一一〇番!」と書かれたチラシを抜き取ると、親指と人差し指で挟んで擦った。


「少しだけど、普通のチラシより厚くて固くないかな?」


 長谷川はちょっと驚いた表情で、私と同じように指で挟んで紙の厚さを確かめた。


「……確かに、言われてみれば少し厚くて固い気がします。でも、どうして?」

「分からない」


 そう言うと、私はそれをポケットに入れた。長谷川は箱に戻していた。


(ここまで来たら、やるか)


 そう思った私は立ち上がり、プリンターに繋がったラックのノートPCに向かう。

 私の行動を察した長谷川が、


「電源を入れるんですか?」


と聞いてきた。その声には緊張と恐怖が匂った。


「この部屋の鍵が簡単に開いたことを考えると、ここになにか仕掛ける理由はないと思う。まあ、爆発することはないよ。……多分」


 軽く微笑んで安心させようとしたが、あまり効果はなかったようだ。長谷川が不審そうな目で見ている。それでも、


「長谷川さんはそっちの古いPCの方を見てくれる?」


 と言うと、彼女は不承不承、机の方に向かった。

 私はノートPCを開き電源を入れた。ほどなくOSが立ち上がり、パスワードを入力する画面が現れた。爆発せずにホッとした。パスワードは一択だった。「glenguardian」と打ち込むと、スタートアップサウンドが流れ、デスクトップ画面が表示された。

 私は画面左端下をクリックして「最近使ったアイテム」を表示した。一番上にはプリンターの専用ソフトと並んで、フリーの写真加工ソフトとイラスト制作ソフトが表示された。試しに写真加工ソフトを立ち上げ、最後に開いたファイルを開くとチラシが現れた。加工した形跡はなく、どうやらそれは本当に存在するチラシをスキャンした画像だった。

 少し考えたあと、今度はイラスト制作ソフトを立ち上げ、同じように最近使ったファイルを開いた。するとこちらにも先程スキャンしたチラシが現れた。ただ、こちらのデータは複数のレイヤーが重なったもので、それぞれのレイヤーには電子回路のようなものが入っていた。

 もちろんさっぱり分からなかったが、とりあえずプリンターの機種名をメモった。

(さて、どうしたものか?)と思っているところに、


「伊藤さん」


と声がかかった。

お読みいただき、ありがとうございました。


次回は本日の21時ごろの更新を予定しています。


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