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理想の孤独死【完結済み21.5万文字】  作者: Shimizu Atsushi


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第二十七話 長谷川 一

 仕事から戻った長谷川玲奈は、スーツの上着を脱ぐとダイニングの椅子の背に掛け、そのままリビングの一角に向かった。そこには小さな仏壇があった。白々とした部屋の明かりが、彼女を追うように照らす。彼女は桐の箱から、線香を一本を取り、静かに火を灯し、香炉に立てた。細く立ち上る煙が、小さな写真立ての中で微笑む男の子を、優しく撫でるように揺れた。

 鈴を一度だけ鳴らす。澄んだ音が室内に広がる。彼女は合掌したまま、写真を見つめ、静かに語り始めた。


「ねえ、いっくん。……今日ね、パパから連絡があってね、久しぶりに会ったの」


 穏やかな声だ。


「再婚、するんだって。……新しい家族ができるのね。良かったわよね」


 彼女はそこで一度言葉を切り、何かを堪えるように、きつく目を閉じる。


「……それでね、いっくんのこと、ちゃんとお墓にって。……それが『けじめ』だからって。……パパがそう言うのよ」


 声が震える。


「……ちゃんとするって、何よ……。いっくんは、今、ここにいるじゃない。毎日ママと一緒にいるじゃない。……ママには、聞こえるもん。いっくんの声――」


 ここで彼女は俯いた。線香が音もなく燃えすすむ。目を閉じたまま、口を開く。


「――でもあの人は、前に進むのね。……すごいわよね。強い人だよね。……ごめんね、いっくん。だけどママは、まだ駄目みたい。どうしても、駄目なのよ……」


 彼女はそっと目を開け、もう一度、写真の中の息子を見つめた。


「もう少し、ここにいてね。……ママのそばに。ね?」


 線香の煙だけが静かに、まっすぐに立ち上っていた。


 やがて彼女は立ち上がると、着替えもせずそのままキッチンでお湯を沸かし、ストックのカップラーメンにお湯を入れた。割り箸と一緒にそれを持ってリビングに戻り、ダイニングテーブルに置く。

 テーブルに置いてあったリモコンを操作するとテレビの電源が入り、部屋にバラエティー番組の笑い声が響いた。長谷川はリモコンを置くと、時計を見ることなくカップラーメンの蓋を取り、食べ始めた。リビングにテレビからの笑い声と、麺を啜る音だけがした。箸が止まった。彼女の頬に、先程堪えたはずの涙が静かに流れていた。


 不意に、椅子に掛けたジャケットのポケットから、スマートフォンが振動する音が聞こえた。取り出したその画面は、伊藤からの着信を知らせていた。彼女はそれを怪訝な顔で確認すると、四コール目で電話に出た。


「もしもし、伊藤さん? お疲れ様です。どうしたんですか、こんな時間に? はい、はい。今、自宅なんですね。……大丈夫ですけど……、伊藤さんこそ大丈夫ですか? ええ、家は荻窪ですけど……。え、こっちに来るんですか?! ……じゃあ、駅の近くのファミレスで。改札を出て左、南口へ出てすぐのところにあります。……はい、分かりました、私も今から出ます。とにかく今から向かいますので、お店で」


 通話を終えた彼女は洗面所に駆け込み、顔を洗い、急いで着替えと身支度を整えて出ていった。その姿を仏壇の遺影が見つめていた。

お読みいただき、ありがとうございました。


次回は本日の21時ごろの更新を予定しています。


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