第二十四話 呼び出し
翌日もほとんど眠れないまま、大手町にあるLPT本社に向かった。五〇階建ての本社ビルは、周囲の歴史あるビル群の中でもひときわ高く、CEOの堤が、エコを重視して窓と壁の全面に太陽光パネルを採用した結果、真っ黒なビルとなっていた。口さがない者からは「丸の内の墓石ビル」と呼ばれている。
スマホを入口のゲートにタッチするとバーが開いた。
私は昨日の電話で言われた通り受付に向かい、カウンターの中にいた人間の受付嬢に所属と名前を伝えた。時間は午前十時ちょうどだった。
二分ほど待つと、いかにも秘書然とした女性がフロアに現れた。
「お待たせしました、練馬の伊藤さんですね? 私はCEO付きの秘書をさせていただいている佐藤由美です。こちらにいらっしゃってください」
「CEO秘書」という肩書に驚く私を置いて、彼女は踵を返すとそのまま歩き出した。私は慌てて追いながら尋ねた。
「あの、CEO付きのということですが、私が会うのは……」
「CEOの堤です」
と佐藤は振り返りもせず答えながら、ロビーの奥にある「関係者のみ」と書かれた通路をぐんぐん進んでいく。私はなんとか追いつきながら、
「あ、あの、私にどういったご要件なのでしょう?」
と声をかけたが、佐藤はそれには答えず、重役専用らしいエレベーターの指紋認証付きのボタンを押し、中に乗り込んだ。
私も仕方なく後に続いた。佐藤は最上階のボタンを押すと、自分の右目をコンパネに据え付けられたカメラに近づけ、「秘書課、佐藤由美」と言った。すぐにパネルに「認証確認」という文字が表示され、扉が閉まるとエレベーターが動き出した。
静かに動くエレベーターの奥に立った私は、質問を黙殺した佐藤の様子を後ろから眺めた。身長は一六〇センチ弱、中肉中背で歳は三〇代後半だろう。髪は短く、身に着けているイヤリングやネックレスなどの装飾品はシルバーで、背筋がピンと伸びていて、百メートル先から見ても秘書だと分かるタイプだった。もちろん美人だ。
そこまで考えてもエレベーターの表示はまだ十七階だったので、私はなぜこんな事になっているのかについても考えることにした。
LPTに勤め始めて十一年になるが、CEOに直接会ったことはなかった。そもそも社内で堤と会えるのはごく限られた上層部のメンバーのみで、その機会も限られていた。社員の中でも、「CEOは非実在の人物であり、AIではないか?」という都市伝説のような話があるくらいだった。そのCEOが、支店の平社員を呼び出すというのは異例なのだろう。馘首の可能性も考えたが、それならわざわざ呼び出す必要はない。そう考えるとやはり思い当たる理由は田中の件しかない。鞄を握る手に力が入った。一昨日、ノートの秘密が分かって以来、ずっと持ち歩くようにしていた。
エレベーターの扉が開くと、そこにはキャッチボールができそうなくらいの巨大な空間が広がっていた。部屋の左右はガラス張りで、その向こうには皇居や国会議事堂までが見渡せた。天気が良かったので、気持ちに余裕があれば遠くに富士山も見えたはずだ。その窓を背中に、長いテーブルと椅子が整然と並べられていた。奥にはソファやローテーブルなどの応接セットがあり、さらにその奥には大型の液晶モニターとキーボードが置かれた、CEOが使うに相応しい大きなマホガニー製の机があった。
この部屋の主である堤は、応接セットのソファに誰かと向き合って座っていた。
佐藤に促されて部屋の中央を進む。左右に並ぶ無人のテーブルの間を抜け、応接セットに近づくと堤が立ち上がり、記者会見でお馴染みの微笑を浮かべて、
「伊藤さん、お忙しいところご足労いただいてすみませんね」
と言った。まるで昔からよく知っている同僚か先輩に対するようだった。私は、
「いえ、とんでもない! 全然忙しくないので大丈夫です」
と答えた。その声は緊張で高く、自分の声ではないようだった。酷い返事を含めて本当にそうであればよかった。堤は間抜けな従業員の返事を咎めることなく、もう一人、応接セットに座っている人物を紹介した。
「こちらは上杉先生です。ご存知ですよね? 我が社のデータ管理最高責任者、CDO(Chief Data Officer)をお願いしています」
白髪に白い髭を蓄えた上杉は、座ったまま私の方を見ると軽く頷いた。上杉は創業以来の生え抜きで、LPTの急成長を支えた伝説的なSEとして業界では有名人だった。もう七〇代半ばのはずだが歳の割には背が高く、パリッとしたスーツを着こなし若く見える。銀縁の眼鏡の奥に見える目には鋭いものがあった。
「ご苦労さまでした」
と堤が声をかけると、佐藤はお辞儀をしてエレベーターの方へ去っていった。知り合いというには程遠かったが、ここに一人で置いていかれるのは心細かった。
佐藤が乗ったエレベーターの扉が閉まるのを確認してから、堤が口を開いた。
「伊藤さん、今日ここにお呼びしたのは現場の率直な意見を伺いたかったからです。こうしたことは頻繁ではありませんが定期的に行なっているもので、緊急対応部に限らず各部からキャリア十年位のベテランの方をお呼びして、直接、私がざっくばらんにお話を伺うようにしているんです。まあ、まずお座りになってください」
と言った。私が一瞬考えてから、堤の反対側に座っていた上杉の隣に向かおうとした。
「ああ、どうぞこちらに座ってください」
堤が座りながら、自分の横に座るように促してきた。
「いや、それは……」
とまごつく私に向かって、座面をポンポンと叩きながら、
「どうぞどうぞ、私の隣に」
と親しげに促してくる。仕方なく私はノロノロと言われるままに座った。ソファは大人が二人座っても十分余裕があった。堤は「どうぞ寛いでください」と言った後、私の目を覗き込み、クスリと小さく笑うと、
「AIじゃないでしょう?」
と言った。
今、私の隣に座っているのは指折りのグローバル企業のCEOであり、実在すら疑われるレベルの天才実業家で、田中によれば永遠の命の独占を目論む悪の化身だった。
確かに堤はAIではなかった。四〇歳を超えたくらいのはずだが、ネットで初めて見た時と印象は変わらない。髪はキチンと七三に分けられ、襟足がきれいに整えられている。中肉中背で定期的にジムワークをしているのだろう、引き締まった感じだ。IT企業のCEOにありがちなタートルネックやチャコールグレーのパンツではなく、仕立ての良いスリーピースのスーツを着ていて、微笑を湛えた目が時折糸のように細くなる。感じが良い人だった。
ただひとつ、猛烈な違和感があった。
匂いが全くしないのだ。
お読みいただき、ありがとうございました。
次回は明日の11時ごろの更新を予定しています。
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