第二話 業務
私はその時、ぼんやりとスマホを眺めていた。半日待機明けの夜勤でやることもなく眠かった。とはいえ勤務中に寝るわけにはいかず、幾つかのニュースサイトを巡回していた。もう一度、最初から同じループを始めようとしたところで、デスクのPCからアラームが鳴った。
モニターに目を移すと、アラームの主の名前や住所、契約状況などが表示されていた。二つデスクを挟んだところにいる長谷川が、同じようにモニターを見ながら言った。
「練馬区田柄五―二―一四 田柄荘2Bです」
事務的な口調でさほど大きくない声だったが、背が高いせいかよく通った。オフィスには他に誰もいなかった。
私は、「うん」と答えながら、デスクの下からハードケースを取り出した。
ケースを開く間もなくモニターに小さなスクリーンが現れた。そこには8Kなのに妙に輪郭が滲んだ男の顔が映っていた。
「こちら練馬中央救急の渡邉です。先ほどそちらでご契約者の信号を受信しました」
その声は長谷川のモニターからも響き、ユニゾンでオフィスに木霊した。
「お疲れ様です、LPT練馬の伊藤です。こちらでも確認しています」
そう答えながらモニターに表示された現場までのルートと所要時間を確認していた。
「――これから出ますので、現着は……一時過ぎになると思います」
「分かりました。こちらもそのくらいの時間には着くと思いますので、現地でお願いします」
「了解です。では後ほど」
通話を切り、改めてケースの中身を確認していると、もう長谷川はオフィスの出口に向かっていた。
彼女が入社以来ペアで、そろそろ一か月が経っていた。どちらも口数が少なく、仕事以外の話はほとんどしなかった。年上の先輩としては慌てて彼女の後を追うようなことはしたくなかった。
私は心持ち厳かにケースを閉めると、パチン、パチンと留め金を閉める小気味のいい音を味わってから席を立った。
事務所の扉を閉めた時には、彼女はもうコートを着て、地下駐車場へ下りるエレベーターに入るところだった。私は胸ポケットに「LPT」と小さく銀の刺繍が入ったジャケットを羽織りながら、走る寸前の早足で後を追う。
無言で扉を開けて待っていた彼女に「ありがとう」と声をかけてエレベーターに乗り込むと、すぐにドアが閉まった。二階のオフィスから地下一階まで、三階分の沈黙があった。思えば彼女とエレベーターで話したことがなかった。白々としたLEDの明かりに、長谷川の長身が映えた。名前は覚えていないが、少し前にテレビでよく見た女優に似ているかもしれない。
地下駐車場に着くと、一台だけハザードランプが点滅している車に向かう。先に立って歩く長谷川が口を開いた。
「運転は?」
(自動運転に運転もないだろう)
と思いつつ、
「お願いします」
と答えた。後輩に対しても敬語を使う自分に少しいらつく。
素早く運転席に乗り込んだ長谷川がイグニッションボタンを押す。ハザードランプが消え、ダッシュボードのモニターに目的地までのルートと水色の髪をした少女・アイラが現れたが、音声は切っていたので車内は静かだった。
長谷川がタッチパネルを数回操作すると、ハンドルに手を置き、アクセルを踏んだ。静かに車が動き始める。女性にしては大きな手の中でハンドルが回る。実際にはアクセルを踏んだ後は目的地に着くまで運転手がすることは何もすることはない。だが法令上「運転手は走行中はハンドルに両手、ないしは片手を添えること」となっていた。
助手席の私は、ぼんやり長谷川の手の下でスルスルと動くハンドルを眺めながら、(親父が乗ってたカローラとは随分違うな)と思っていた。深夜の道は空いていた。
到着したのは一時過ぎだった。既に救急隊の電動バイクが止まっていた。長谷川と一緒に車から降りて近づくと、
「どうも、ごくろうさまです」
と声をかけてきた。それは先ほどPCの小さなウィンドウの中で見た男だった。やっぱり、どこか輪郭が滲んでいる感じがした。
「救急の渡邉です。道が空いていたので早く着きました。いや、寒いですねぇ」
なんだか声も少し滲んでいる気がした。
「ごくろうさまです。LPTの伊藤と長谷川です」
私と長谷川が、自分のスマホにLPTの身分証を表示して見せると、渡邉が自分のスマホで読み込んだ。ピピッと小さな電子音がした。
「はい、確認しました。私のは……」
そう言いながら今度は渡邉が、自分のスマホに身分証を表示する。同じように私たちがそれを読み込むと音とともに(確認済み)という表示された。
「ありがとうございます。……ほんと、寒いですねぇ」
私はそう答えながら、目の前にある古びたアパートを見た。
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