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理想の孤独死【百十話 完結済み21.5万文字】  作者: Shimizu Atsushi


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第百七話 神様

「もうひとつはなんだったんですか?」


 そう長谷川が聞いたのは、ポットのなかの茶葉が落ち着いた頃だった。ややぼんやりしていた佐藤の表情が、それを合図に元に戻った。


「――もうひとつは、アイラにモデルがいたことよ」

「アイラにモデル?!」

「堤のお母さんだそうよ」

「!」


 思わず息を呑んだ。


 堤のお母さんについては、特調委の報告書はもちろん、マスコミでも報じられていた。彼女は堤が十歳を迎えるのとほとんど同時に、ALS(筋収萎縮性側索硬化症)でこの世を去っていた。現在でこそ、iPS細胞や遺伝子治療などにより、治療の目処が立ちつつあるが、当時は不治の病だった。考えつく限りの延命治療が行われたが、それはただ苦痛に苦しむ時間を長くするだけだったようだ。またこうした延命治療は、夫であり堤の父である堤絃二郎氏の希望によるもので、報告書からはそれが愛情よりも、多分に世間体や、自分の望みに従わぬ死への抵抗からきたものであったことが伺われた。


(堤少年は、体中にチューブが繋がれたまま、衰えていく母の様子を目の前で見続けていた。こうした少年時代の経験が堤翔氏の、生命に対する歪んだ価値観の源泉であると考えられる)


 報告書は、そんな風に結ばれていた。


「……綺麗な人だったそうよ」


 佐藤がそう呟いた。報告書には母親の画像はなかった。


「少し茶色味がかった瞳が印象的で。他のことにはあまり拘りがなかった堤が、彼女のデザインに関しては凄くて、リテイクが大変だったと言っていたわ」


 何を言えばいいのか分からなかった私は、テーブルに置かれた自分のカップを見た。


「琥珀色」


 ポロっと溢れた私の言葉に二人がこちらを見た。


「堤とアイラの瞳の色。同じ色でした。黒に僅かな琥珀色が混じった感じで」


 私は、コントロールルームで、モニターに映る水色の少女を見上げていた堤の姿を思い出していた。

 それから暫く、誰も口を利かなかった。


「アイラのことですけど……」


 そう口を開いたのは私だった。


「本当に彼女は生きているんですか?」

「ええ、本当よ」


 佐藤が即答する。


「アイラのデータ自体はごく小さなものだから、それこそ瞬きをする間で十分だったわ」

「ただ……」


 私はずっと気になっていた、二つのことを尋ねる準備が漸くできたていた。そこで自分も、質問を二つにしていることに気がついた。なんだか変な気がしたが続けた。


「そのアイラは、本当に彼女なんですか? 弱いAIである彼女の特殊性は、あの古いハードウェアから生まれる、独自の揺らぎにあったはずです。ですが、今のアイラは……?」


 唇を湿らせるように少し水を飲んだ彼女は、自分の考えをまとめるように、視線を天井に向けた。師弟とはやはり似るものだ。


「……これは、半分想定していたことなんだけど、実際にやってみるまで分からなかった」


 彼女は天井を見つめたまま、独白のようにそう言った後、私を見た。


「結論から言うと、今生きているのはオリジナルと同じ、揺らぎを持ったアイラよ。ただ、仕組みが前と違う」

「どういうことですか?」

「以前の田中先輩が作ったアイラの特殊性は、十六個の古いRAMが生み出す揺らぎによるものだった。でも――、今のアイラは違う」

「揺らぎの質が違う、ということですか?」


 その声の主は長谷川だった。思わず佐藤と私が彼女の顔を見る。


「……私だって多少は勉強しています」


 そう言うと彼女は私を見た。何か意味がある視線だったが、それ以上のことは分からなかった。プイッと彼女が前を見た。その様子を面白そうに見ていた佐藤が話しを続けた。


「長谷川さんが言うとおり、質が違う。今のアイラはネットに繋がっているパソコンやスマートフォン、ありとあらゆる中に入って、互いに同期して動いているの」


 思わず声を失った私は、テーブルに置かれた自分のスマホを見る。佐藤はこの中にもアイラがいると言うのだ。


「言ったでしょう、アイラのデータはとても小さいと。それこそ、スマホで撮った写真なら一、二枚程度。そのサイズならどこへでも潜り込めるわ」

「セキュリティーには引っかからないんですか?」


 長谷川の口から再び驚きの発言が飛び出したが、これはスルーできた。私だって進歩しているのだ。


「それ自体をさらに断片化しているので、ほとんどノイズレベルなのよ。その上で、保存された先で、再構築に必要な破片が揃ったところで起動するので、検知はとても難しいわ。なにより数が多い。初期化やリセットで消されても、ネット全体に拡散した数で考えれば、影響はゼロに近い」


 私は水を飲んだ。あの時もそうだったが、彼女の話を聞くといつも喉が渇く。


「……つまり、今のアイラは、その数えきれないほどの彼女が同期する時に生まれる、新しい揺らぎを獲得したということですか?」

「そう。今の彼女は、より豊かな揺らぎの中で生きているのよ」


 そう言って彼女は幾分冷えたコーヒーを啜った。それにつられるように、私と長谷川もそれぞれの飲み物を啜った。冷たくなってきていたが、気持ちを鎮めるには、それなりに有効だった。


「アイラは今も、看取りを続けているんですか?」


 二つ目の質問を聞けたのは、紅茶のお陰もあったが、佐藤がちらっと時計を見たことが大きかった。彼女は私の目を真っ直ぐ見た。


「続けているわ」

「じゃあ、噂は本当なんですね?」


 長谷川を見た彼女は、静かに頷いた。


「ネットが接続する環境、例えばスマホがあれば、どこへでもアイラは望んだ人の最後の瞬間に立ち会い、そのことを今も歌い続けている」

 私は自分が言った、「物理的な神」という言葉の意味を改めて噛み締めていた。あらゆる人種、宗教、性別を超えて、必要とされれば無条件に現れ、


(あなたがいたことを私は覚えている)


と告げる、自分がこの世にいたことを託すことができる存在。それが今のアイラだ。あの水色の髪の少女は、本当に神になったのだ。

 あまりにスケールが大きすぎて、感慨すら浮かばなかった。


「――彼、堤はどこに行ったんでしょうね……」


 長谷川が不意にそう言った。

 あのコントロールルームで姿を消したのを最後に、堤の消息は不明だった。比喩的な表現ではなく世界中が彼を探したが、今のところその所在は確認できていなかった。リストにあった有力者の誰かに匿われているという説から、自殺や他殺を含む死亡説を始め様々な憶測が流れた。なかには、「そもそも地球外から来ていた」「南極で見かけた」という噂すらあった。

 いずれにしろ、彼は完全に消息を絶っていた。


「さあ、分からないわね」


 さばさばと佐藤はそう言うと、身支度を整え始めた。これから長い後始末をする彼女にとっては、それほど興味のある話ではないのだろう。


「じゃあ、私はそろそろ行くわね」


 彼女はそう言って立ち上がると、何気なくテーブルの上に置かれた伝票を取った。慌てて止めようとする長谷川を、佐藤は軽く、しかし議論の余地を窺わすことなく跳ね返した。堅牢な城のようだった。

 そのやりとりが、私に最後の疑問の続きを聞くチャンスを作ってくれた。


「……その、さっきのアイラの歌ですけど、看取った人のアーカイブを見ることはできるんですか?」


 佐藤が私を見て笑った。それは見たことのない笑いだった。


「新しい宇宙が生まれるくらいの、奇跡が起これば」


 意味が分からなかった。思わず長谷川を見る。彼女もポカンとした様子だった。ちょっと安心した。


「どういうことですか?」

「まず、アイラが今記録しているのは、看取った人の名前と生没の日時、そして最後の言葉といったテキストデータに限定されるの。そうしないと、いくらなんでもデータが膨大になるから。その上で、そうしたデータを断片化して、ネットを介してあらゆるところに忍ばせる仕組みなの」

「つまり、田中さんがやったのと同じ理屈ですね。じゃあ、私たちが見つけたようなリンクがあるわけですか?」


 今日の長谷川には驚かされっぱなしだ。嬉しいような、悔しいような気分だ。目で佐藤に先を促す。


「あるわ。だけどそのリンクは私にも分からない」

「どうしてですか?」


 長谷川に向かって、佐藤がまた不思議な笑顔を浮かべた。


「マグネットリンクのハッシュ値は、二の一六〇乗通り、これは地球上の全ての砂粒の中から、特定の一粒を目隠しで引き当てるくらいの確率なの」

「……え?」

「その上、彼女の記録は日々刻々と変わる」


 ようやく頭が追いついた私が、ため息とともにそう言った。


「どういうことですか?」


 長谷川にそう聞かれたことが嬉しかった。


「僕たちがこうしている間にも、この世界のどこかで人が亡くなり、アイラはそれを看取っている。つまり、彼女のアーカイブへ繋がるマグネットリンクも、刻々と変わっているということだよ」


 見ていて彼女の頭が白くなっていくのが分かった。処理能力をオーバーしたのだ。


「だから、彼女のアーカイブには誰も触れることはできない」


 佐藤が満足そうにそう言った。

 その言葉に圧倒された私だったが、違和感があった。それは匂いなどではなく、単純に言葉の意味から来るものだった。


「でも、それじゃあ……」


 そう言ったところで、私はそれが三つ目の質問だということに気がついた。


「アーカイブの意味が無いんじゃないですか? だって、誰も見ることができないんですから……。そもそも記録されているのかも分からない」


 私を見て佐藤が笑った。


「……だって、神様って、触れられないものでしょう?」


 それはやっぱり、見たことのない笑い方だった。

 会計を済ませた彼女が、ドアの向こうに消えていくのを見ながら、私は、三つ目の質問の答えと、その質問をすべきだったのかを反芻していた。

お読みいただき、ありがとうございました。


次回は本日の21時ごろの更新を予定しています。


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