第百六話 エピローグ 一
アイラの存在が確認されたのは、それから半年を過ぎた頃だった。
「死に際に、水色の髪の少女が話しかけてくる」
始まりはそんな、出来の悪い都市伝説のような話からだった。
「彼女よ。間違いないわ」
彼女はコーヒーを啜りながらそう言った。私は思わずキョロキョロと周りを見回す。
「大丈夫。ここはチェック済みよ」
そう言って小さく微笑むと、カップをソーサーに戻した。カタリという音がやけに大きく聞こえた。
横でぼんやりと窓越しに外を見ている長谷川を含め、私たちは何度目かになるLPT特調委の呼び出しを終えた後だった。委員会の正式名称は「LPT事件及び先端医療データ喪失に関する真相究明特別委員会」という長いもので、何度聞いても覚えられる気がしなかった。
堤の「永遠の命」をこの世から消し去る計画は、上杉の起動したEMP爆弾によって阻止された。それでも世界中の先端医療技術の十一パーセントが消えた。もちろん世界中がパニックに陥った。さらに、LPTの『盾』から救われた田中の残した彼らの犯罪や、そのネットワーク、いわゆる「方舟計画」を中心としたシンジゲートの存在が、ネットに公開された。そこには、あらゆる国家体制の元首をはじめ、グローバル企業のCEO、俳優や歌手、スポーツ選手、マスコミや犯罪組織のトップ、そして宗教団体の代表者など、おおよそこの世界に存在する「大物」の名前が並んでいた。なんだか公式に発表された大物の番付表のようだった。
その時の騒動を比喩するのはちょっと難しい。長谷川は、
「スズメバチの巣を百個丸呑みしたヒグマ百頭が乗客の飛行機」
と評した。ちなみに操縦するのは「クレイグ」だそうだ。私は寡聞にして知らなかったが、「サンジェイ&クレイグ」というアニメに登場する蛇のキャラクターということだった。後で確認したところ、確かに世界で一番、飛行機の操縦に向かない蛇だった。
その例えが的確かは別に、この事件がきっかけで、長く続いた紛争が終結したほどだった。これは両陣営のトップが仲良くリストに並んでいたことが原因で、結果的に、どちらも寿命を縮めることになった。
それでも半年が経過する頃には、私たちが参加する委員会や、先端医療アーカイブ復興委員会、国際生体データ・インプラント暫定管理機構、超法規的AI監査プラットフォーム/国連AI倫理監視会議といった機関が設立され、事後処理が開始された。
LPTについては、その親会社であるGLCから完全に分離された上で解体されていた。残された契約者は、希望に応じてチップ(LGI)を除去できた。基本的には有償だったが、経済的に難しい場合は助成金により行うことも可能だった。意外だったのは、三割以上の人がそのままサービスの続行を求めたことだ。彼らにとっては、「大物」たちが何をしていようが、自分たちの将来が変わるわけではなかった。やっぱり、床の染みになる将来は避けたかったのだ。
そのため、LPTのサービスを引き継ぐ、半官半民による「ライフエンディング・データ機構(LED)」が誕生し、こちらには解体されたLPTの社員が、スライドする形で移籍していた。もちろん、アイラに代わるコアシステムが稼働していた。
「伊藤さんは、LEDには行かないの?」
不意に話題が変わったことに私は戸惑った。
「お誘いはあるのですが、取り敢えず、後始末が終わるまでは……」
そう答えながら、自分がそこにいる未来を考えることはできなかった。そもそも、私を含む関係者全員、起訴された状態で、処遇が決定していない状態だった。
「長谷川さんはどう?」
「私も同じです」
彼女は窓から目を佐藤に戻すと、そう答えた。
「そう言う佐藤さんはどうされるんですか?」
「私は……、逃げられないでしょうね」
彼女はそう言って、コーヒーを啜った。
「でも、免責で罪は問われないんですよね?」
長谷川の質問に、彼女はほろ苦く笑った。
「建前はね。いずれにせよ私の残りの人生は、この件の後始末よ」
「そんな――」
「私しかいないし」
その声は小さかったが、長谷川の声を遮るには十分な重さがあった。実際そうだったのだ。あの事件の後、彼女の上司であり、恩師でもある上杉は体調を崩すと、急速に老け込み、委員会での証言もほとんど碌にできなくなっていた。最初は、「事件の隠蔽を図っているのでは」と疑われたが、その後、病院での検査の結果、正式に「認知症」と診断された。長年の激務と重い責任から解放されたことによる、廃用性認知機能低下によるらしく、分かりやすく言えば、「荷下ろし症候群」と呼ばれるものだそうだ。現在は都内の病院で過ごしている。
「上杉先生のご様子はいかがですか?」
私は、たいした当てもなくそんなことを聞いてしまったことをすぐに後悔した。一方の彼女は、気にした風でもなく答えてくれた。
「できるだけ時間を見つけて会いに行っているわ。私のことが分かったり、分からなかったり、その時々ね……最近のことは全然」
そう言って水を飲んだ。
「でもね、その代わりに昔のことはよく話してくれるのよ」
「昔のことですか?」
「ええ。大学の研究室時代のことや田中先輩のことなんか。楽しそうにね」
そう言って、彼女はまた微笑んだ。苦味はあったが、今度は少し、ミルクが加わったような感じがした。そこで佐藤が、小さく目を見張った。
「思い出した。この間はアイラについて、二つ知らなかったことを聞いたの」
(また二つか)と思いながら、私は行儀良く先を促した。
「一つは、アイラ(AIRA Adaptive Intelligence Record Agent:適応型人工知能記録エージェント)の名前のこと」
「どういうことですか?」
「アイラという名前になる前に、田中先輩がつけた開発コードがあったの」
そこで彼女は顔を上げると、そっと、その名前を口にした。
「クララ(CLARA)だったそうよ」
私はその答えを、どこかで分かっていた気がした。それでもやっぱり驚いた。声も出ないほどに。
「正式名称は、(Custos Litterarum Aeternarum Rerum Actarum)。ラテン語で、『過去の出来事を永遠に記録し、見守り続ける者』という意味だそうよ。天文学の学位を持っていた、田中先輩のアイデアですって。でも、それではシステム名として分かりづらいし、情緒的すぎると言って、先生がアイラに変えたんですって。先輩は随分抵抗したそうで、『説得するのに苦労した』って先生が言ってたわ」
彼女はそう言って小さく笑った。
「――だから」
そう言ったのは長谷川だった。
「あの時アイラは、『私の中にクララがいる』と言ったんですね」
「多分ね。どこかに田中先輩が残したデータがあった……、としか考えられないんだけれど、正直、私にも分からない。上杉先生はあの時、一緒にいなかったし、今の先生に聞いても、ね……」
私は二人の話をぼんやり聞きながら、ある台詞を思い出していた。
「あ!」
思わず声を上げた私を、二人が驚いた顔で見た。
「どうしたんですか?」
「グレンガーディアンのクララの最後の台詞です。彼女は自分の死を悲しむゼルムに、『私は星になって、お見守りします』と言います」
「覚えています。田中さんの部屋で話してくれましたよね」
予想外の反応に、私は思わず彼女の顔を見直した。
「確か彼女は……、『あなたをお慕いしたことをずっと覚えています。私は星になって、お見守りします』と言うんですよね?」
「……まさか覚えていると思わなかった」
私がそう言うと、彼女は思い出したように笑った。
「すごく熱心に説明してくれたので」
「あの時は、慌ててたから……」
そう言いながら、田中の部屋でのやり取りを思い出していた。彼女とこんな風に話せる日が来るとは思っていなかった。
「――だから、省いたんだと思う。実は、あの台詞の続きがあって」
「続き? どんな?」
「『あなたを決して孤独にはしません』」
「それって!?」
「なに、どういうこと?!」
絶句する長谷川を横に、珍しく話に置いて行かれる立場になった佐藤が、堪らず声を上げた。
私は彼女にできるだけ要領よく説明した。少なくとも長谷川の助けは借りずに。
「――つまり、田中先輩は、アイラの中に、そのアニメのキャラクター、クララの設定……、『見守り』『覚えている』そして、『孤独にしない』ということを残していたということ、ね」
ゆっくり佐藤はそう言うと、コーヒーのカップを見つめていた。やがて彼女は軽く頭を振ると、小さく何か呟いた。
「どうかしている」
彼女はそう言ったのだ。私も同じことを考えていた。
(田中さん、あなたは本当に、どうかしてる)
私はポットの紅茶を自分のカップに注いで、少し宙に掲げてから飲んだ。
それは同じグレファへの、ささやかな献杯だった。
お読みいただき、ありがとうございました。
次回は明日の11時ごろの更新を予定しています。
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