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第9話 鏡の中の女帝


 その通信は、夕方の日課の、途中で来た。


 《あの……レイナさん。変なこと、言ってもいいですか……?》


 〈言って〉


 《……会いませんか》


 手が、止まった。


 〈会う?〉


 《はい……。いつも、文字だけだから……一度だけでも、ちゃんと、会ってみたいなって……》


 会う。ダンジョンマスター同士が。


 方法は、一つしかない。


 〈同盟転移のこと?〉


 《……はい》


 同盟。締結すれば、相互の転移が解放される。それは知識として、知っている。使ったことは、ない。組む相手が、いなかったからだ。


 《でも私……同盟なんて、誰とも、組んだことないんです》


 〈誰とも?〉


 《はい……。ずっと、怖くて……同盟って、記録に、残るから……》


 少し、間があった。


 《だから……レイナさんが、初めて、です》


 初めて。


 その言葉を、少しだけ、長く見た。


 誰とも、組んでいない。私が、初めて。


 ……胸の奥が、少しだけ、浮いた。


 同盟のメリット。相互転移。緊急時の連携。情報共有の高速化。デメリット。記録に残る。関係の固定化。


 検証した。メリットが、上回る。


 ……一理、ある。どころじゃない。合理的だ。


 〈……いいよ。組もう〉


 《ほんとですか……!》


 画面の向こうの声が、跳ねた気がした。


---


 《同盟が締結されました:紅理の苑——薄桃の庵》


 翌日の昼、転移が、起動した。


 コア部屋の前の広間に、淡い桃色の光が立って——その中から、女の子が、出てきた。


 薄い桃色の、ゆるく波打つ髪。おっとりした、大きな目。画面越しに何百回も話した声の、持ち主。


「……わ……ほんとに、会えた……」


 ミルティアは、そう言って、口元を両手で覆った。それから、深々と、頭を下げた。


「お邪魔します……あの、来ちゃいました……」


「……どうぞ」


 自分の声が、少しだけ、硬かった。人を、この場所に入れるのは、初めてだった。


 ミルティアは、広間を、ゆっくり見回した。黒い玄武岩。焔理の紋様。熱気。


「これが、紅理の苑……画面で見るより、ずっと、綺麗……」


 綺麗。


 このダンジョンを、そう言った人は、初めてだった。効率のために作った場所だ。綺麗にした覚えは、ない。


「……そう?」


「はい……。無駄が、ひとつもない。全部の通路に、意味がある。……レイナさんの頭の中を、歩いてるみたい」


 返す言葉に、少し、詰まった。


 ミルティアは、こちらを見て、ふわりと笑った。


 画面越しには、伝わらなかったもの。声の温度。目の動き。笑う時に、少しだけ首が傾ぐこと。


 実物は、情報量が、多い。


 それを、心地よいと感じている自分に、気づいた。気づいて——それ以上は、考えなかった。


 「案内する」と言ってから、気づいた。どこへ、と考えていなかった。人を案内したことが、ない。


 先に立って歩き出すべきか、並ぶべきか。半歩、迷った。


 ミルティアの方が、先に、ふわりと歩き出した。


「あ、この通路……画面で見たやつだ……本物……」


 嬉しそうに、一つ一つ、立ち止まる。おかげで、案内は、要らなかった。


 沈黙が、二回あった。二回とも、埋めたのは、ミルティアだった。


---


 結局、お茶も出せない場所で、二時間、話した。配置のこと。罠のこと。次のダンフェスのこと。


 ミルティアが帰った後の広間は、少しだけ、広く感じた。


 その日の侵入者の記録は、開かないまま、夜になった。


 夜、いつもの日課の途中で、ミルティアの様子が、少しだけ、おかしかった。


 返信の間隔が、いつもより、長い。


 〈どうした〉


 《……ううん、なんでもないです》


 〈なんでもなくない。返信が、遅い〉


 《ふふ……レイナさんには、かなわないなぁ……》


 少し、間があって、続きが来た。


 《あのね……同盟のこと、知り合いの子たちに、知られちゃって……。それで、その……レイナさんのこと、色々、言われちゃいました》


 〈色々〉


 《……無理やり組ませたんだろう、とか。新人のくせに、とか。……ごめんなさい、こんなこと、伝えるべきじゃないのに……でも、レイナさんに隠し事、したくなくて……》


 無理やり。組ませた。


 ……違う。誘ったのは、ミルティアの方だ。私は、検証して、合理的だと判断して——


 《ごめんなさい……私のせいです……私が、会いたいなんて、言ったから……》


 〈ミルティアのせいじゃない〉


 《でも……》


 少し、間があった。


 《……レイナさんは、悪くないです。何があっても、私だけは、それを知ってますから》


 私だけは。


 その言葉を、しばらく、見ていた。


 〈……ありがとう〉


 送信したあとで、少しだけ、指が、止まった。


 《ふふ……どういたしまして、です》


 通信を、閉じた。


 広間には、まだ、桃色の光の残りが、あるような気がした。


 気のせいだと、分かっていても。


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