第8話 実り
朝の2層目に、木剣の音が響いていた。
アルスが、ホブゴブリンの小隊の前に立っている。手には、いつもの剣じゃなくて、細い枝。それを軽く振って、小隊の並びを、直していく。
半歩、右。盾を、半分だけ上げる。前の子と、後ろの子の、間を詰める。
言葉は、ほとんどない。枝の先が触れた場所を、ホブゴブリンたちが、そっと修正する。すると、アルスが小さく頷いて、その子の肩を、枝の先で、ぽん、と叩く。叩かれた子は、少しだけ胸を張る。
列の先頭に、小隊長格の、若いホブゴブリンがいた。いつもアルスの一番近くで型を受けて、誰よりも長く、居残っている子だ。
今朝は、その子だけ、何度も同じ場所で、枝に触れられていた。
分断の型の、最初の一歩。二手に割れる、その号令の間合いが、少しだけ、早い。
「コアさん、あの子、焦ってる?」
《……焦りでは、ありません》
アルスは、急かさなかった。同じ型を、もう一度。もう一度。
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昼前に、侵入者が来た。
Eランクの、4人組。盾持ちが前衛に2人、後衛に弓と魔法使い。
浅い層の顔ぶれを変えてから、まだ、日は浅い。それでも、入ってくる冒険者に、警戒した様子はなかった。見えているのは、ホブゴブリンと、ウルフ。それだけの、ダンジョン。——そう見えるように、作った庭だ。
アルスは、3層の奥にいる。ブレイブも、クロも、シロも。
浅い層は今、若い子たちだけで守っている。
管理画面の前で、少しだけ、指が動いた。配置の指示。誘導の指示。いつもなら、もう出している。
……待とう。
画面の中で、あの小隊長格の子が、通路の先頭に立った。
冒険者たちが、通路の広がる手前まで、進んでくる。
分断の型なら、ここだ。ここで割れて、正面を厚く見せて、側面を空ける。毎朝、何百回も繰り返した、あの型。
小隊長格の子が、腕を、上げかけた。
——早い。
冒険者の後衛が、まだ、通路に入り切っていない。今割れたら、前衛だけを流して、後衛を取り逃がす。弓と魔法使いが、外から自由に撃てる形になる。
指が、指示に伸びた。
その時だった。
あの子の腕が——止まった。
上げかけた腕を、半分の高さで、止めている。振り返りは、しない。ただ、じっと、冒険者の後衛の足元を、見ている。
一歩。
二歩。
後衛の二人が、通路に、入った。
腕が、振り下ろされた。
盾の列が割れる。音が揃う。ウルフが走る。正面が厚い。側面が空く。冒険者が流れる。流れた先は、もう、囲いの中だ。
「な、なんだこいつら——動きが違うぞ!」
魔法使いだけが、囲いの外へ、抜けようとした。
その鼻先に、ウルフが一頭、先回りして、立った。詠唱が、止まる。
前衛と後衛を割られた4人は、立て直しを諦めて、早々に撤退を選んだ。
誰も、欠けない。向こうも、こっちも。
《侵入者対応、完了です。損耗、ゼロ》
管理画面の前で、しばらく、動けなかった。
今朝、何度も枝に触れられていた、あの間合い。早すぎた号令。あの子はそれを、たった半日で、実戦の真ん中で、自分で直した。
先生は、その場に、いなかったのに。
私の指も、最後まで、指示に触れなかった。
「……コアさん。私、何もしてない」
《……はい》
コアさんの返事は、それだけだった。でも、少し、柔らかかった。
何もしなくて、よかったんだ。
私が育てたんじゃない。みんなが、みんなを、育てたんだ。
その方が、ずっと、嬉しかった。
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夕方、通知が届いた。
《本日の進化:4体》
《ホブゴブリン(小隊長格)→レッサーオーガ》
《ウルフ×1→ダイアウルフ》
《スプライト×2→フェアリー》
この十日で、十五体目だった。イゼル戦のあと、ぽつぽつと始まって、ゼノア戦のあと、一気に増えた。レッサーオーガは、これで6体になる。
進化は、本人たちが、決める。準備ができた子から、順番に。私に届くのは、いつも、事後の報告だ。
でも、今日の一体目の名前に、手が止まった。
あの子だ。
2層目に降りると、ちょうど、光が収まったところだった。
一回り大きくなった体。レッサーオーガになった、元・小隊長格の子。まだ新しい体に慣れないのか、肩の高さを、何度も確かめている。
その子は私に気づくと、背筋を伸ばして——それから、私じゃなくて、階段の方を、見た。
3層から、アルスが上がってくるところだった。
夜の見回りの時間には、まだ早い。たぶん、通知は、アルスにも聞こえていた。
レッサーオーガになった子が、アルスの前に立つ。アルスより、少しだけ、背が高くなっている。
アルスは、その子を、下から上まで、ゆっくり見た。
それから、小さく、頷いた。
枝じゃなくて、手のひらで。
肩を、一度だけ、叩いた。
その子は、今朝よりも、ずっと大きく、胸を張った。
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夜、寝る前に、管理画面の見回りをしていて、手が止まった。
2層目の訓練場に、まだ、明かりがあった。
レッサーオーガになった、あの子だった。誰もいない訓練場で、一人、新しい体の間合いを、確かめている。半歩、右。盾を、半分だけ上げる。今朝、枝に触れられた場所を、一つずつ。
その後ろに、若いホブゴブリンが、二体。
そっと並んで、同じ型を、真似していた。
教わった子が、もう、教える側に立っている。
しばらく、見ていた。
コハクが、膝の上で、大きくあくびをした。
「……そうだね。今日は、もう寝よう」
明かりを、消した。
2層目の訓練場では、まだしばらく、小さな足音が、揃っては、乱れて、また揃っていた。




