第7話 鮮やかな夢煌
朝、目が覚める。
最初にすることは、決まっている。通信欄を開く。
未読、一件。
今日も、届いている。
《おはようございます、レイナさん。今日も良い一日になりますように》
送信時刻、朝の六時。ミルティアは、いつも早い。この一件を確認してから、レイナの一日は始まる。確認する前の時間は、まだ一日に数えていない。
レイナは、返信を打った。
〈おはよう〉
それだけで、足りる。足りると分かっている相手にだけ、送れる挨拶だった。
一日が、始まった。
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午前は、ダンジョンの点検に充てた。
紅理の苑の通路は、静かだった。侵入者は、この十日で二組。どちらも入口付近で引き返した。防衛部隊の稼働率は低いまま、安定している。
管理画面の隅に、古い未読が七件、そのまま残っていた。
取引の打診。返信のないまま止まった、七つの回線。
以前は、毎朝この七件を確認していた。返信の確率、再打診の要否、条件の再設計。処理すべき懸案として、毎日、頭の中の机に載せていた。
今は、載せていない。
あれは、終わった案件だ。動かないものを毎日確認するのは、非効率だと気づいた。
机の上が、綺麗になった。
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昼、素材の在庫整理をした。
鉄鉱石の備蓄が、規定量を割りそうだった。以前なら、新しい取引先の候補を三つ挙げて、条件を設計して、打診の文面を作っていた。
レイナは、在庫の数字を見て、少し考えて、画面を閉じた。
夜、ミルティアに聞いてみよう。
薄桃の庵は顔が広い。誰か、いい取引相手を知っているかもしれない。自分で送る打診は無視されるが、ミルティアの紹介なら、話が通る。実際、先月の薬草の融通も、その前の魔石も、そうやって回してもらった。
この方が、確実。
保留、と頭の中の机にメモをした。
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午後、珍しいことが一つあった。
新しい取引の打診が、一件、届いたのだ。
差出人は、知らないダンジョン。条件は——読むと、悪くなかった。相場より、少しだけこちらに有利。怪しいほどではなく、誠実な範囲で。
以前のレイナなら、0.2秒で承諾していた条件だった。
レイナは、打診の画面を、しばらく見た。
見て、閉じた。
夜、ミルティアに聞いてみよう。この差出人のこと、何か知っているかもしれない。今のこの時期に、わざわざうちに打診してくる相手だ。慎重になるのは、当然のことだった。
これも、保留。
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夕方、掲示板のことを、少しだけ思い出した。
ダンフェスは、もう先月のことだ。あの三十分で読んだ文字の列も、ガルドの一通も、今は遠い。
不思議と、あれ以来、心が乱れることが減った。
原因は、分析済みだった。掲示板は、ダンフェスの期間しか開かない。あのノイズの集積は、今は物理的に閉じている。
それから——リスクの残る回線を、一つ、閉じたこと。あれが正しい判断だったのかは、今も検証できていない。できないものは、考えない。考えないと決めてから、夜が、静かになった。
通信欄を開く。
表示される名前は、実質、一つ。
以前の通信欄は、雑多だった。取引先、打診、業務連絡、ノイズ。優先度の判定に、毎回コストがかかっていた。
今は、開けば、一つ。
判定は、要らない。
通信欄も、頭の中も、綺麗に片付いている。
世界が、静かで、綺麗になった。
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夜、八時。
着信が、鳴った。時刻は、いつも通り。誤差、数分以内。
『レイナさん、こんばんは。今日はどんな一日でした?』
「……ダンジョンの点検。在庫の整理。あとは、打診が一件」
「打診?」
「新しい相手から。条件は悪くない。……薄桃の庵は、灰岩窟という名前に聞き覚えは」
『灰岩窟……うーん、ごめんなさい、初めて聞きます。……あの、レイナさん』
声が、少しだけ心配の色になった。
『この時期に、急に良い条件で近づいてくる相手って……私だったら、少し、怖くなっちゃいます。ほら、レイナさん、今、変な噂を立てられてるから……それを利用しようとする人も、いるかもしれないし』
「……そうだな」
『せめて、もう少し様子を見てからでも、遅くないと思います』
「……ああ。保留にする」
保留、とメモの上に、確定の印をつけた。
鉄鉱石の相談もした。ミルティアは『任せてください』と言った。二日以内に、いい相手を紹介してくれるらしい。
懸案が、二つ、片づいた。
それから、他愛のない話をした。ミルティアのダンジョンの花の話。プチデビルが花壇を掘り返して困っている話。レイナは、聞いていた。聞いているだけの時間が、一日の中で、一番、頭を使わなかった。
『レイナさん、最近、声が柔らかくなりましたね』
「……そうか?」
『はい。前はもっと、こう、ぴんと張ってて。……今のほうが、いいと思います。レイナさんは、頑張りすぎだったから』
頑張りすぎだった。
その判定を、レイナは、自分では下せない。自分の稼働率の適正値を、自分で測る手段はない。
でも、毎日自分を見ている観測者が、そう言うのなら。
「……そうかもしれない」
『ふふ。おやすみなさい、レイナさん。また明日』
「ああ。……また明日」
通信が、切れた。
また明日、が確定している夜は、静かだった。
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眠る前に、レイナは今日の記録をつけた。
昼に書いた保留の二件を開いて、解決の印をつける。在庫の件、ミルティアが紹介してくれる。打診の件、ミルティアの言う通り、様子を見る。
点検、完了。在庫、対応中。打診、保留。相談、二件、解決。
懸案の残数、ゼロ。
机の上は、今日も綺麗だった。
レイナは、目を閉じた。




