表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
87/99

第37話 シグナル


 ダンフェスの翌日、ルナリアは管理画面の前にいた。


 《Dランク昇格報酬:SP+30》


 受け取りを済ませると、残高の表示が変わった。


 《SP残高:56》


「……ごじゅうろく」


 過去最大だった。コツコツ貯めて、対戦で増えて、昇格で跳ねた。


 使い道は、もう決めている。コアさんのレベルだ。


 レベルの画面を開いた。


 《DコアLv:4》


 その下に、次のレベルの項目が——なかった。


「……あれ?」


 Lv4の表示の下は、ただの余白だった。Lv5という文字が、どこにもない。


「コアさん、次のレベルって、ないの?」


「……現在、表示されていません」


「え、コアさんのレベルって、4で終わりなの?」


「……不明です」


 不明です、って。自分のことなのに。


 せっかく貯めたSPの使い道が、宙に浮いた。


 首を捻った、その時だった。


 着信音が鳴った。


 《白氷獄の宮 シエル》


「……通話?」


 ルナリアは、画面を二度見した。


 シエルさんとのやり取りは、いつも文字だった。打って、消して、また打って——あの慎重な人が、通話を、かけてきている。


 レベルの謎は、後だ。


 ルナリアは、少しだけ姿勢を正してから、受けた。


「シエルさん」


《……ルナリア》


 初めて聞く声は、記憶の中の印象より少しだけ高くて、そして、低く抑えられていた。


《一つだけ、聞かせて。この半年、何をしたの》


「え、えっと……何、って言われると」


《私は堅く積んだ。取りこぼしは一つもなかった。八つ上げた。文句のない半年だったわ。——昨日までは》


 早口だった。怒っているというより、整理が追いついていない人の速さだった。


《三十三よ。あなた、三十三上げたの。何をどうしたらEランクで三十三も動くのよ》


「た、対戦が二つあって、それで」


《知ってる。それも込みで計算が合わないって言ってるの》


 シエルは、そこで一度、大きく息を吐いた。


《……一位差。この私が、一位差で下なのよ。分かる? この気持ち》


「……えっと」


《しかもランクまで並ばれた。半年前、私が先にDに上がった時、正直ちょっと安心してたのよ。ああ、まだ差はあるって。……その差、半年で消えたわ》


「……ごめんなさい」


《謝らないで。余計に腹が立つ》


 少しの沈黙のあと、シエルの声が、ふっと緩んだ。


《……でも、まあ。あなたが積んできたのは、順位を見てれば分かる》


「順位、だけで?」


《順位だけで、よ。私はあなたの数字を、デビューからずっと追ってる。あなたの上がり方はね、ずっと不器用なの。急がない。跳ねない。綺麗に積む人の動きでもない。ジグザグで、遠回りで——でも、落ちたことだけは、一度もない》


 呆れたような、少しだけ柔らかい声だった。


《ああいう順位の動き方をする人が、どういう運営をしてるかくらい、想像がつくのよ。……こっちは隣で、ずっと比べられてきたんだから》


 それから、シエルの声が、また硬くなった。


《……掲示板、見た?》


「……うん」


《あの説、どう思う》


「どう、って……」


《私はね、一秒で捨てたわ》


 シエルは、きっぱりと言った。


《弱みを握って、申請させて、受けた側の顔をする? 笑わせないで。あなたにそんな器用な悪事ができるなら、私はもっと早くに抜かれてたわよ。それも、こんな正面からじゃなく、もっと楽な方法でね》


「……シエルさん」


《それにね、思い出したのよ。あなたの噂、前にもあったの。覚えてる? ——侵入者を観察しすぎ。やたら待つダンジョンマスターがいる、って》


「……あ」


《私、あれであなたに興味を持ったの。変な人だって。……で、今度の噂は何? 弱みを握って、罠に嵌めて、申請させる策士?》


 シエルは、鼻で笑った。


《やたら待つ人と、人を嵌める策士。正反対じゃない。二つの噂は、同時には成立しないのよ。どっちかが噓。そして私は、「待つ」方は自分の目で確かめてる。……あの説を書いてる連中は、去年の噂すら覚えてない》


 鼻の奥が、つんとした。


 噂じゃなくて、順位で。憶測じゃなくて、観測で。


 この人は、ずっと、ちゃんと見ていてくれた。


「……ありがとう」


《礼を言われる筋合いはないわ。事実を言っただけ》


 どこかで聞いたような台詞に、ルナリアは少しだけ笑ってしまった。


《でも——だからこそ、言っておく》


 シエルの声が、真剣な温度になった。


《説を信じてる側は、本気よ。ああいうのはね、否定する材料がないから強いの。あなたが何をしても「そういう手口だ」で説明されてしまう。……気をつけなさい。次の申請が来ても、迂闊に受けないこと》


「……うん」


《それと、私は次で抜き返す。三十三だろうが何だろうが、知ったことじゃないわ。首を洗って待ってなさい》


「ふふ……うん。待ってる」


《何よその余裕。ムカつくわね》


 言葉と裏腹に、声は笑っていた。


「あのね、シエルさん」


《何よ》


「今日、初めて声聞いた。……嬉しかった」


 少しの、沈黙があった。


《…………文字だと、打ち直せるでしょ。今日は、打ち直してる時間が惜しかっただけよ》


 早口でそう言って、通信は切れた。


 ルナリアは、しばらく画面を見ていた。


 まだらな世界の中に、まともな視線が、ちゃんとある。


 それだけで、今日は息がしやすかった。


---


 同じ頃。紅理の苑。


 レイナは、三日前から、一つの検証を続けていた。


 検証項目:ミルティアへの発信を控えた場合の影響。


 あの掲示板を見た夜、決めた。自分と繋がっていることが、あの子の重荷として語られている。なら、発信の頻度を落とすのが合理的だ。噂の材料を、減らす。


 一日目。発信、なし。作業効率、体感で二割低下。判断の所要時間、平均で1.4倍。夜、着信が一件。ミルティアから。《今日、連絡なかったから……何かあったのかなって》。三分で切った。


 二日目。発信、なし。作業効率、さらに低下。深夜、通信欄を開いて、閉じた。開いて、閉じた。回数、記録せず。


 三日目。


 今日だ。


 レイナは、通信欄の前で、静止していた。


 発信を控える。合理的判断だった。ミルティアのための、正しい選択のはずだった。


 なのに、三日目の夜には、指が勝手に画面へ動いている。


 これは、何だ。


 名前は、つけなかった。


 着信が、来た。


 《薄桃の庵 ミルティア》


 指が、迷わず受けた。


《レイナさん……あの、ごめんなさい、私からかけちゃって》


「……いや」


《あのね、私、気づいたんです。レイナさん、掲示板のあれ、気にしてるんじゃないかって……それで連絡、控えてくれてるんじゃないかって》


 図星だった。


 三日分の検証を、一言で言い当てられた。


《あのね、レイナさん。私は、平気です》


 ミルティアの声は、静かで、まっすぐだった。


《誰が何て言っても、私が本当のことを知ってます。レイナさんは、私に執着なんてしてない。ただ、毎日お話ししてくれてるだけ。それのどこが悪いのか、私、全然分かんないです》


「……噂は、事実で構成されている。毎晩の通信は、事実だ」


《事実でも、意味が違います》


 ミルティアは、少しだけ強い声で言った。


《レイナさんとの毎日の通信は、私の……私の、大事な時間です。それを、知らない人の言葉のために、やめないでください》


 大事な時間。


 その言葉が、胸の奥の、三日間ずっと軋んでいた場所に、落ちた。


《……だめ、ですか?》


「……いや」


 レイナは、目を閉じた。


「……控えるのは、やめる。検証の結果、非効率だと分かった」


《ふふ。レイナさんらしい》


 いつもの温度が、通信の向こうに戻ってきた。


 レイナは、その温度を確認しながら、頭の隅で、今日の記録をつけた。


 検証結果:発信制限は継続不要。理由:——


 不要、と打った。不能、ではなく。


 理由の欄は、空白のまま、閉じた。


---


 その夜、遅く。


 通信欄に、通知が一つ灯った。


 《鉄咬の穴 ガルド》


 あの名前だった。ヴェルク戦の少し前、接点もないのに《消えろ》と送ってきた男。


 開いた。


 《まだ薄桃の庵に張り付いてるのか。いい加減にしろ。あの子まで壊す気か。みんな見てるぞ》


 名前を、隠してもいなかった。


 隠す必要がない、と思っている。それだけの数が、自分の側にいると思っている。


 あの子まで、壊す気か。


 壊す。自分が。ミルティアを。


 その文の中で、自分は加害者の位置に置かれていた。守られるべき側に、ミルティアが。壊す側に、自分が。


 レイナは、その文面を、三度読んだ。


 みんなとは、誰だ。何人だ。どこから見ている。


 問いはすべて、答えのない場所に吸い込まれていく。


 観測できないものは、分析できない。


 分析できないものには、対処できない。


 あの夜と同じ結論の前で、レイナは、静かに画面を閉じた。


 閉じてから、気づいた。


 この文面を、ミルティアに話すかどうか、もう考え始めている自分に。


 話せば、あの子は心配する。話さなければ、一人で抱えることになる。


 天秤は、考えるより先に、傾いていた。


 保留、と記録した項目の一覧を、レイナは久しぶりに開いた。


 一番上に、あの項目があった。


 《四人の申請の説明モデル:未構築》


 保留のまま、動いていない。


 動かせないのだ。当事者は、一人しか残っていない。精霊の遊庭、本人。


 でも、今、あの回線を開けば——「執着」の的にされている自分が、「危険」の的にされている相手と繋がれば、噂は二つ合わさって、一つの物語になる。


 唯一の検証手段が、社会的に封じられている。


 保留は、いつまで保留のままでいられるのか。


 その問いも、保留した。


 通信欄では、ミルティアの名前が、今日も一番上にあった。


 その名前を押すことさえ、もう、誰かの話の材料になる。


 分かっていて、レイナは今夜も、その名前を押した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ