第36話 踊る4回目のダンフェス
その朝、通知が来る前に、コアさんが言った。
「……もうすぐダンフェスです」
「もうそんな時期か」
前回から、半年。今までで一番、長い半年だった気がする。
対戦が二つ。イゼルさん。ゼノアさん。増えた家族。エリンの進化。プチエンジェルたち。
いろんなことが、ありすぎた。
コハクを4層目の寝床に誘導する。コハクが不満そうに鳴いた。
「ごめんね。終わったら、いっぱい遊ぼう」
1層目に戻ると、管理画面が切り替わり始めていた。
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《ライブリンク・フェスティバル・オブ・ダンジョン——2001期・後期を開催します》
「はいはいお疲れさまー。2001期後期のダンフェス、始めるよー」
ニルムの声だった。いつも通り、軽かった。
「今期の総数は430名。……ん、そうだね、けっこう減ったね。37名脱落。うん、まあ、いろいろあった期だったね。はい、じゃランキングいこっか」
ルナリアは、画面の前で動きを止めた。
三十七名。
前は、二十名くらいだと言っていた。ほぼ、倍だ。
いろいろあった、の一言で流されたその中に、イゼルさんがいる。ヴェルクさんがいる。ゼノアさんがいる。
そして、残りの三十四人のことを、ルナリアは何も知らない。
ニルムの声だけが、いつも通り軽やかに、次へ進んでいく。
この神様は、半年で三十七人消えても、いつもと同じ温度で話す。
今日は、その変わらなさが、少しだけ怖かった。
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《第1位:エルラド》
変わらない。名前だけが、他と違う色でそこにある。
発表が、順に流れていく。
300位台に入ったところで、ルナリアは呼吸を整えた。
まだ、シエルさんの名前が出ていない。前回は343位。今回はもっと上のはずだ。もう読まれていてもおかしくないのに。
そう思った、その時だった。
《第334位:ルナリア》
《ダンジョン名:精霊の遊庭》
「……えっ」
「精霊の遊庭、367から334。33位アップ。今期一番跳ねたんじゃない? あ、それとダンジョンランクD昇格ね。おめでとー」
ニルムの声は、いつも通りの軽い賞賛だった。
334位。
それと——Dランク。
一瞬、処理が追いつかなかった。ダンフェスの前から、昇格条件は満たしつつあるとコアさんに言われていた。でも、この日に、この順位と一緒に来るとは思っていなかった。
367位から、334位。デビューの時は430位。Eランクになった日のことも、まだ覚えている。みんなの顔が、次々に浮かんだ。
でも、喜びかけた思考が、一つの事実に引っかかった。
シエルさんの名前を、まだ聞いていない。
発表は、上から順に流れている。つまり。
次の名前が、映った。
《第335位:シエル》
《ダンジョン名:白氷獄の宮》
「白氷獄の宮、343から335。堅いねー、シエルちゃんは今回も堅い」
一つ、下。
差は、一位。
追いつきたい、と半年前に思った。その背中は、ずっと先にあった。
抜いて、しまった。
しかも、自分の名前の、すぐ次に読まれる形で。
嬉しさと、落ち着かなさが、同時に来た。シエルさんは今、この数字をどんな顔で見ているんだろう。
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発表が進む。
《第384位:レイナ》
《ダンジョン名:紅理の苑》
「紅理の苑、406から384。デビュー半年でこの伸びは大したもんだよ。新人トップは伊達じゃないね」
レイナさん。二十二位の上昇。
映像のレイナは、無表情だった。でも、ルナリアはもう知っている。あの無表情の下で、この人がどれだけ精密に、どれだけ誠実に、物事を測っているか。
384位。
ふと、気づいた。
消えたヴェルクさんが、389位だった。イゼルさんが、371位。
レイナさんの新しい順位は、消えた二人の、ちょうど間にあった。
ただの数字だ。分かっている。
なのに、嫌な符合に見えて、ルナリアは小さく首を振った。
「じゃ残りいくよー。コアネットと掲示板、期間中は使えるからね。じゃみんな、良いダンジョン経営を」
ニルムの声が消えた。
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管理画面の隅に、掲示板の表示が灯っていた。
開くかどうか、少しだけ迷った。
前回は、新人の話題で流れていた。今回は——たぶん、違う。
開いた。
名無しの×××:37人て。今期、何が起きてるんだ
名無しの×××:歴代最多だろ。430人しかいないのに37人だぞ
名無しの×××:世界のどこかが、おかしくなってる
名無しの×××:なあ、精霊の遊庭の話、知ってるか
名無しの×××:33位アップでDランク昇格のやつだろ。派手だよな
名無しの×××:四人消したってやつの方だよ。対戦なんだから普通じゃんって言うやつもいるが
名無しの×××:違う。あそこ、全部「受けた側」なんだよ。四人が四人とも、格上に自分から申請すると思うか?
名無しの×××:……言われてみれば
名無しの×××:精霊の遊庭に弱みを握られてたって話がある。断れない状況を作られて、申請させられてたって
名無しの×××:それで自分は「受けた側」の顔をするわけか。えぐいな
名無しの×××:おいやめとけ。証拠あんのかよ
名無しの×××:じゃあなんで四人とも自分から死にに行ったんだよ。説明できるか?
名無しの×××:……
名無しの×××:350〜400帯のやつ、気をつけろ
名無しの×××:うちその帯なんだが
ルナリアは、そこで画面から目を離した。
心臓が、嫌な速さで打っていた。
弱みを握って、申請させている。
全部、受けた側だった。それは、本当のことだ。ルナリアの、唯一の身の潔白だった。
その潔白が、この話の中では、手口の証拠になっていた。
受けた側であればあるほど、疑いが深まる。反論の言葉が、そのまま罪の言葉に変換される。
どこから、否定すればいいんだろう。
強い言葉を書いているのは、ずっと同じ調子の、数人だった。庇ってくれる人も、興味のない人もいる。全員じゃない。
でも、「じゃあなんで四人とも自分から申請したんだ」という問いには、庇う側も、黙っていた。
その沈黙が、一番怖かった。
本当の答えを、ルナリアは知らない。イゼルさんも、ゼノアさんも、なぜ自分に申請してきたのか——それは、ルナリア自身が、ずっと抱えてきた問いでもあったから。
「……コアさん」
「……はい」
「私、間違ったことは、してないよね」
「……対戦は、すべて申請を受けた側です。記録上、ルナリアに違反はありません」
「……うん」
受けた側です、というコアさんの言葉が、今日は、守ってくれなかった。
記録に残らない場所で、記録そのものが、武器に変わっていた。
ルナリアは掲示板を閉じて、4層目に上がった。
コハクが、待ちくたびれた顔で飛びついてきた。白い毛に顔を埋めると、日向の匂いがした。
334位。みんなと来た場所。
それだけを、今日は信じることにした。
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同じ日。紅理の苑。
レイナは、自分の順位をデータとして処理し終えていた。
384位。上昇幅二十二。想定の範囲内。
処理を終えて、通信欄を開いた。
半年前——デビューの順位が発表された日は、その夜のうちに取引の打診が三件来た。新人トップという看板は、それだけで営業価値があった。
今回は、二十二位上げて、ゼロだった。
こちらから送った打診は、七件が未読のまま止まっている。着信履歴は、この一ヶ月、一つの名前だけで埋まっていた。
レイナは、その事実を事実として記録した。記録して、通信欄を閉じた。
閉じる動作が、三秒で終わった。誰からも来ていないことを確認する作業は、来ているかもしれないと思っていた頃より、ずっと速い。
処理し終えた、その夜に、ミルティアから通信が来た。
《レイナさん、順位上がりましたね! すごいです……あの、それでね》
いつもの声が、少しだけ、ためらった。
《……掲示板、見ました……?》
〈掲示板?〉
《ダンフェス期間中だけ、開くやつ……変な話が流れてて。レイナさんは、見ない方がいいかも、って思ったんですけど……でも、知らないままの方が、危ない気もして……》
見ない方がいい。でも、知らないと危ない。
どちらに転んでも、見ることになる言い方だった。
通信を終えてから、レイナは掲示板を開いた。
この機能を開くのは、初めてだった。ノイズの集積に、価値を感じたことがなかったから。
精霊の遊庭に関する書き込みを、上から順に、全部読んだ。
途中で、自分の名前を見つけた。
名無しの×××:紅理の苑も今期一人消してるよな
名無しの×××:あそこさ、薄桃の庵に執着してるって話、知ってるか
名無しの×××:あー聞いた。毎晩通信してるってやつだろ
名無しの×××:毎晩て。怖すぎだろ
名無しの×××:薄桃の庵の子、優しいから無下にできないだけらしいぞ
名無しの×××:一人消してる相手からの毎晩の着信とか、切れるわけないよな
名無しの×××:人質みたいなもんか
名無しの×××:384位。あの帯、また埋まったな
レイナは、読む手を止めた。
毎晩、通信している。
事実だ。発信履歴を確認するまでもない。この一ヶ月、履歴は一つの名前で埋まっている。
事実であることが、否定の起点を消していた。
でも、と思考が動いた。怖がっている? ミルティアが?
記録を検索する。この一ヶ月の通信の、声の温度。途切れ方。次の日の着信。怖がっている兆候は、どこにもない。
ない、はずだ。
——切ったら何をされるか分からないから、合わせている。
書き込みの論理を当てはめれば、その「兆候のなさ」ごと、演技として説明できてしまう。
検証が、できない。怖がっていない証拠と、怖がって合わせている証拠が、完全に同じ形をしている。
レイナは、目を閉じた。
自分の評判は、どうでもいい。データの外の評価に、運営上の価値はない。
でも、この話は、ミルティアを巻き込んでいる。
自分と繋がっていることが、あの子の重荷として語られている。
発信を、控えるべきだろうか。
その選択肢を、頭の中に置いた。置いた瞬間、胸の奥が軋んだ。三秒で閉じられるようになった通信欄と、その中で唯一動いている名前のことを、思った。
結論を、出せなかった。
擁護の書き込みは、一行もなかった。
精霊の遊庭には「おいやめとけ」と書く者がいた。紅理の苑には、いなかった。
読み終えるまで、三十分かかった。
強い断定を繰り返しているのは、多く見積もって十人前後。同じ論調の反復。伝聞。憶測。それがスレッドの中では「みんなが知っていること」の顔をしていた。
データとしての価値は、低い。
それに、この説には、反例がある。
自分だ。
精霊の遊庭とは、二度、通信した。弱みを握られた事実はない。取引すら、成立していない。握る機会そのものが、存在しなかった。
説は、棄却できる。少なくとも、自分のデータの範囲では。
棄却した。
棄却したのに、一つだけ、消えない項目が残った。
記録上、四人とも、格上へ自分から申請している。
その説明モデルを、説を捨てたレイナ自身も、構築できないままだった。
噂は嘘だ。それは、いい。
でも、噂が説明しようとした異常そのものは——本物だ。
四人は、なぜ、申請した。
誰かが説明を作らなければならないほどの異常が、そこにあって、正しい説明だけが、どこにもない。
手元にある直接の観測は、二回分。噂と一致しない、穏やかな声。消した相手の最後の言葉を、抱え続けていた人。
レイナは、目を閉じた。
結論は、出さない。
保留。
今は、まだ、保留だ。
……「今は」って、何だ。
自分の思考に混ざった一言に、レイナは気づいた。気づいて、その一言ごと、処理を止めた。
通信欄では、ミルティアの名前が、今日も一番上にあった。




