第34話 偶像
申請は、昼過ぎに届いた。
《ダンジョン対戦申請》
《黒曜の霊廟 ゼノア(349位)》
《提示条件:制限時間6時間・層数制限なし》
メッセージが添えられていた。
《精霊の遊庭のルナリア殿。あなたの運営は、見ていて危ういと感じています。モンスターを個として扱い、情を移し、失うことを恐れる。その在り方は、いずれダンジョンというものの秩序を歪める。歪みが広がる前に、正させていただきます》
ルナリアは、二度読んだ。
怒っている文章では、なかった。むしろ静かで、丁寧で——だからこそ、怖かった。
この人は、本気でそう信じている。
うちの在り方が、間違っていると。
「……コアさん、黒曜の霊廟って知ってる?」
《……ランキング349位。公開されている情報は、それのみです》
349位。うちより、上だ。
霊廟。お墓、ということだ。
名前の通りなら、アンデッド系のダンジョンだろうか。骨とか、幽霊とか。想像して、少しだけ肩が強張った。
そして、イゼルの時と同じ問いが、また浮かんだ。
なんで、うちなんだろう。
接点はない。取引も、通信もしたことがない。なのに、この人はうちの運営を「見ていた」と書いている。
見ていて危うい。
誰の目で、見ていたんだろう。
それから、提示条件をもう一度見た。
制限時間、六時間。
「……長い」
カルナ戦のことを思い出す。あの時は、自分が時間を引き出す側だった。数で押してくる相手には、時間をかけるほどこちらが有利だと考えたからだ。
今回は、逆だ。
向こうが、長い時間を欲しがっている。
つまり、時間が長いほど有利な戦い方をしてくる相手、ということだ。
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夕方、アルカナに通信した。
《……また対戦?》
〈うん。黒曜の霊廟のゼノアさんって人。知ってる?〉
《……名前だけ。ちょっと待って。……二日、ちょうだい》
〈ありがとう。場所だけ先に教えてもらえる? うちの子たちでも、外から見てみたいから〉
《……岩山地帯の南端。送っておく》
〈あと、アルカナさん〉
《何》
〈申請の文章がね、変なの。怒ってるんじゃなくて……信じてるの。うちが間違ってるって、本気で〉
少しの沈黙があった。
《……イゼルの時と、同じね》
〈……うん〉
《別々の人間が、同じ相手に、同じ理由で牙を剥く。理由を聞くと、みんな自分で考えたって言う。……ねえ、ルナリア》
アルカナの声が、少しだけ低くなった。
《最近、あなたの噂が流れてる》
〈……私の?〉
《モンスターには優しいのに、人には容赦がない。この一年で、下の順位ばかり三人消した。弱い相手を選んで狩ってる。次を探してる。——そういう話になってる。あなたの知らないところで、あなたの話が作られてる》
ルナリアは、言葉が出なかった。
〈……選んでなんか、ない。全部、申請を受けた側だよ〉
《知ってる。でも、通知に出るのは勝敗だけ。どっちが申請したかは、流れない。外から見えるのは「三回勝って三人消えた」——それだけ。あとの文脈は、語った者勝ちよ》
三回勝った。それは、事実だ。
受けた側だった。それも、事実だ。
でも、二つ目の事実は、通知に残らない。
残る事実だけを並べて、残らない事実の場所に嘘を置く。それだけで、話は別のものになる。
《誰が流してるのかは、まだ掴めてない。確証のないことは言わない主義なの。でも、一つだけ確かなことがある》
〈……何?〉
《ゼノアは、その話を信じてる側。あの申請文が静かで丁寧なのは、正義のつもりだから。あの人の中では、あなたはもう「秩序を歪める危険なダンジョン」なの。実物を一度も見ないまま、ね》
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翌朝、オリジンバードを二羽、南へ飛ばした。
昼過ぎ、視界が届いた。
岩山の斜面に、黒い石造りの入口が口を開けていた。装飾のない、四角い闇。その奥は、上空からは何も見えない。
見えたのは、入口の周りだけだった。
草が、枯れていた。
入口を中心に、円を描くように、植物だけが色を失っている。枯れているというより——吸われている、ように見えた。
うちの入口の周りは、森が濃くなる。静寂の天蓋の周りは、音が消えていた。
ここは、生きているものが、薄くなる。
ダンジョンは、主の魔素の性質を外に滲ませる。なら、あの中にいるのは。
オリジンバードが、旋回をやめて高度を上げた。指示していないのに、自分から距離を取った。
鳥の本能が、あの場所を嫌がっていた。
「……ありがとう。もう戻っていいよ」
中は見えなかった。でも、十分だった。
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二日後、アルカナから調査結果が届いた。
《先に言っておくけど、影で見えるのは、影のある場所だけ。全部じゃないからね》
〈うん〉
《地下墓地型。中は骨と腐肉だらけ。スケルトンとゾンビ。数えるのをやめたわ。少なくとも、百はとっくに超えてる》
〈百……〉
《それとね、気になるものを見た。侵入者に倒された骨が、次の日には、同じ場所に同じ数だけ立ってた。全部、補充されてる。一日でよ》
一日で、元通り。
《たぶん、一体一体が安い駒なの。壊れたら補充すればいい、そういう数字としてしか扱われてない。……あの人にとって、モンスターは使い捨てなのよ》
使い捨て。
その言葉に、胸の奥がざらりとした。
《質は、たぶんうちの精鋭の半分以下。でも、怖いのは頭数じゃなくて補充の速さ。倒しても倒しても、減らない——そういう戦いになる。削り合いに付き合ったら、消耗はこっちだけが積む。付き合わなければ、勝てる》
〈……分かった。飲まれないで、コアまで行く〉
《それと、条件はどうなってたの? あの手の物量型は、時間を長く取りたがるけど》
〈提示は六時間だった。もう四時間に切り返す返信をしたよ。物量で来る相手に、長い時間をあげる理由がないから〉
少しの間があった。
《……気づいてたのね》
〈カルナさんの時、逆のことを自分がやったから〉
《なら、言うことはない。向こうが四時間を飲まなければ、それ自体が答えよ。削り切るつもりだって、ね》
〈……うん〉
《それと、一つだけ嫌なものを見た。影の中に、影じゃないものが混ざってたの。数体。ゆらゆら浮いて、壁を抜けてた。……たぶん、レイス。霊体よ。物理攻撃が効きにくい。これだけは物量と別枠で警戒して》
〈分かった。……ありがとう、アルカナさん。二回も助けてもらって〉
《貸しにしておく》
そう言って、アルカナは通信を切った。
貸しにしておく、の声が、少しだけ柔らかかった。
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その夜、承認の通知が来た。
《条件合意:制限時間4時間・層数制限なし》
ゼノアは、飲んだ。
六時間で削り切る計画を、あっさり手放した。四時間でも勝てると踏んでいるのか。それとも、条件で揉めて申請自体を流したくなかったのか。
どちらにしても、余裕のある側の判断だった。
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問題は、レイスだった。
物理攻撃が効きにくい。つまり、アルスの剣も、クロとシロの牙も、ブレイブの剣も、半分しか通らない。
「コアさん、霊体に有効な攻撃手段って、うちにある?」
《……エリンの魔素操作が部分的に有効です。ただし、単体では火力が不足します》
「……エリン一人に、レイス全部は任せられないよね」
管理画面とにらめっこしていると、通知が一つ、静かに灯った。
《推奨行動:聖属性モンスターの召喚》
《候補:プチエンジェル(天使系・召喚コスト:DP15)》
《根拠:対霊体戦力の不在》
推奨行動。そういえば、そんな機能があった。
「……聖属性は、レイスに効くの?」
《……はい。霊体に対して最も有効な属性です》
ルナリアは、召喚画面を開いた。
新しい子を迎えるのは、久しぶりだった。増えるほど維持費がかかる。だから、今いるみんなを大事に育てる方針に決めて、ずっと召喚を止めていた。
でも、今は必要だ。みんなを守るための力が、一つ足りない。
「コアさん、DPの残高は」
《……約3200です》
イゼル戦の報酬と、侵入者収入の積み上げ。使い道を決めずに、貯まっていた分だ。
レイスは数体いる、とアルカナは言った。二、三体の聖属性じゃ、足りないかもしれない。
「プチエンジェル、十体。お願い」
《……確認します。消費DP150。維持費が月間相当で増加しますが、実行しますか》
「うん。今は、守る方が先」
承認すると、コアの間に淡い光が、次々と生まれた。
手のひらサイズの、小さな天使たち。白い羽と、頭の上の細い光の輪。十体が一斉にきょろきょろとあたりを見回して、それからルナリアを見つけると、ぱたぱたと群れになって飛んできた。
「はじめまして。私はルナリア。……よろしくね」
十体が、ばらばらのタイミングでくるんと宙返りした。揃っていないのが、かえって可愛かった。
ピクシーの頃のエリンを、少しだけ思い出した。
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夜、ルナリアは3層目に降りて、みんなを集めた。
アルス。ブレイブ。クロ。シロ。エリン。レッサーオーガ。ホブゴブリン小隊。
そして、今日から仲間になったプチエンジェルたち。十体の小さな光が、少し緊張した様子で、エリンの近くに固まって浮いている。
「みんな、この子たちは今日からうちの家族。プチエンジェルのみんなだよ。仲良くしてあげてね」
エリンが、りん、と鈴を鳴らした。プチエンジェルたちが、ほっとしたように羽を緩めた。
「今度の相手は、数がすごく多いんだって。少なくとも百体以上、もっといるかもしれない」
ざわ、と空気が動いた。
「でも、作戦はいつもと変わらない。誰も欠けないこと。それが一番で、勝つのは二番」
ルナリアは、一体ずつ順番に見た。
「何百体来ても、一体も通さなければ、変わらないよ」
それから、天井の影に目を向けた。
「それとね、今度の相手のダンジョンは、地下墓地なんだって。薄暗い場所。——だから今回は、コウモリのみんなが頼りだよ」
天井の影が、ざわりと蠢いた。シャドウバットたちが、翼を小さく広げて応える。薄暗がりは、あの子たちの庭だ。音の反響で、目の届かない場所まで見える。
「見えにくいところで、みんなの目になってあげてね」
ブレイブの輝石が、静かに光った。
クロとシロが、並んで喉を鳴らした。エリンの鈴が、りん、と鳴る。
アルスは何も言わず、ただ頷いた。
対戦は、三日後の正午。
ゼノアが見ているのは、ここにいるルナリアじゃない。
誰も見たことのない、「危険な精霊の遊庭」だった。
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同じ夜。
紅理の苑のコアの間で、レイナは通信画面を開いていた。
発信履歴が、目に入る。
薄桃の庵。薄桃の庵。薄桃の庵。
この十日で、履歴の並びが変わっていた。以前は受信だけだった名前が、発信の側に、毎晩のように並んでいる。
今日は、罠の再配置の件だった。話すような内容ではない。自分一人で決められる。ずっと、そうしてきた。
でも、この頃は、決める前にミルティアと話すようになっていた。
話すと、決まる。話さないと、決めるのに、少しだけ時間がかかる。
効率の問題だ、と処理していた。相談ではない。話す。それだけで思考が整理される。だから話してから決める。順番が、固定されただけだ。
《薄桃の庵 ミルティア》
呼び出し音、一回。
《レイナさん、こんばんは》
いつもの温度が、返ってくる。
《今日はね、私、ちょっといいことがあったんです》
《何だ》
《ふふ、聞いてくれますか?》
レイナは、罠の再配置の画面を開いたまま、その声を聞いた。
決めるのは、話した後でいい。
最近は、それが一番早かった。




