第32話 等価
申請は、朝に届いた。
《ダンジョン対戦申請》
《蒼雷峡谷 ヴェルク(389位)》
メッセージが添えられていた。
《あんたのやり方は、前から見ていて気に入らなかった。対戦を申し込む。逃げるなら、それも皆に伝わるだけだ》
レイナは、二度読んだ。
前から見ていて。
接点は、ない。取引の記録も、通信の履歴もない。この男がレイナの「やり方」を見る機会は、存在しない。
なのに、前から見ていた、と書く。
鉄咬の穴のガルドと、同じ構造だった。存在しない観測を根拠にした、敵意。
違いは一つ。ガルドは言葉で終わった。この男は、偵察を飛ばし、申請まで踏み込んできた。
噂が、言葉から、行動になった。
それより、確度の高い情報が一つあった。
蒼雷峡谷。雷脈属性。主力は鳥型——サンダーバード系。
入口の上空を旋回し続けた、あの鳥。撃ち落としても補充された、あの偵察。
主が、名乗り出てきた。
偵察から申請までの流れは、対戦の定石通りだ。感情的な文面とは裏腹に、手順は冷静に踏まれている。準備された攻撃だった。
断る選択肢を検討した。ポイントの微減。そして、偵察までして準備した相手が、一度の拒否で引き下がる確率。
低い。
なら、相手の手の内をこちらも観測できる今の方が、条件がいい。
どこかで聞いた論理だと思った。誰から聞いたのかは、思い出さないことにした。
承認した。開始は明日正午。
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中立空間は、白かった。
ヴェルクは、若い男だった。歳はレイナと変わらないように見える。
目が合った。睨まれた。
でも、その敵意は、どこか焦点が合っていなかった。レイナを睨んでいるのに、レイナを見ていない。誰かから聞いた「レイナ」を睨んでいる、そんな目だった。
「……あんたが、紅理の苑か」
「そうだ」
「話は聞いてる。全部な」
全部。
何を聞いたのか、誰から聞いたのか。問う前に、ニルムのルール確認が流れ始めた。
双方が合意した。転送の白に飲まれる直前まで、ヴェルクはこちらを睨んでいた。
存在しないはずの「全部」を握りしめた目だった。
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開幕は、向こうが速かった。
サンダーバードの群れが、入口の防衛線を一息に飛び越えた。地上の罠の、頭上を。
直後、第一斉射が来た。
視野が、白く飛んだ。
十数条の雷が、入口周辺に同時に落ちる。轟音。対空用のファイアアローが二基、焼き切れた。入口の警備に立っていた炎系の反応が——
二つ、消えた。
《ファイアリザード×1:消滅》
《フレイムウルフ×1:消滅》
開幕、十二秒。
レイナの手は、表示を見た時にはもう動いていた。残存の全戦力に後退指示。第二射の着弾予測圏から、全員を外す。
指示を出し終えてから、消滅の表示をもう一度見た。
〇・八秒。それだけ見て、視野を戻した。
処理は、後だ。今は観測が先だ。
斉射を終えたサンダーバードたちは、高度を下げて滑空に移っていた。翼の付け根で、小さな光がゆっくりと明滅している。
魔素を、溜め直している。
雷撃は連射できない。撃ち切った後は、溜めの時間が要る。
滑空の速度と光の明滅から、次の斉射までの間隔を見積もった。推定、四分強。
四分あれば、足りる。
配置画面を開いた。残存の炎系を天井の低い区画へ。ファイアアローの射線を、群れの滑空経路に重ねる。飛行型は、溜めの間は高度も速度も落ちる。つまり、的になる。
もう一つ、分かったことがある。
雷撃は、放つ直前にも時間がかかる。翼の光が一点に収束してから、着弾まで数秒。つまり、撃つ瞬間は必ず予告される。
収束を確認したら、その射線から外す。それだけで、二射目以降の命中は激減する。
初撃が防げなかったのは、戦闘開始前に溜めと収束を済ませて入ってきたからだ。あの十二秒は、もう再現されない。
二射目の溜めが終わる前に、群れの三割を落とした。
残りは慌てて高度を上げ、天井の高い広間へ逃げ込んだ。そこで溜め直して、二射目を——
翼の光が、収束を始めた。
着弾まで、数秒。
レイナは炎壁の罠を起動した。広間の入口が、火の幕で閉じる。収束を終えた雷は、誰もいない通路の床を焼いただけだった。
閉じ込めた。
広間の中で、群れの動きが乱れ始めた。旋回の軌道が揃わない。二羽がぶつかりかけて、慌てて散る。
指揮が、追いついていない。
初撃で決める前提の編成に、二の手はなかった。閉じ込められた後の指示を、この群れは持っていない。
あとは、届かない高さから雷を落とさせて、魔素が切れるのを待つだけだった。
三射目は、来なかった。溜めの魔素が尽きた鳥たちは、ただの的だった。
開幕の一撃だけの、相手だった。
初撃の火力に全てを賭けた編成。それが通れば強い。通らなければ、後がない。389位という順位は、あの初撃で維持されてきたのだろう。
レイナは残存戦力を敵陣へ進めた。コアまでの経路は、単調だった。
二時間後、決着がついた。
《対戦結果:レイナ(勝利)》
コアが砕ける瞬間、ヴェルクは叫んでいた。
音声は届いていた。内容も、聞き取れたはずだった。
でも、レイナは記録しなかった。
処理する容量が、もう残っていなかった。
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夜になった。
レイナは、いつも通りの手順で戦後処理を進めた。
損耗の記録。ファイアリザード一体、フレイムウルフ一体。再召喚のコストを算出する。DPは足りている。数日で補充できる。
データ上は、等価だ。
同じ種族。同じレベル帯。同じコスト。補充すれば、戦力値は元に戻る。
勝敗だけ見れば、完勝に近い。損耗は開幕の十二秒だけ。あの初撃は、どんな配置でも完全には防げなかった。分析は、そう結論している。
等価の、はずだった。
消滅した二体の記録を、レイナは開いた。
ファイアリザード。召喚から二百十日。侵入者撃退、三十一回。
フレイムウルフ。召喚から百八十七日。夜間警戒の担当。レイナが深夜に画面を開くと、いつも決まって、視野の端にいた。
名前は、つけていなかった。
資源に名前は不要だ。個体識別は番号で足りる。ずっと、そうしてきた。
なのに、今、番号の向こうにあった二百十日が、処理できずに残っている。
いなくなったら、悲しくないですか。
あの声が、再生された。
悲しさは判断に関係ない。そう返した。今も、判断には関係ないと思っている。
判断には。
レイナは、画面を閉じた。閉じて、開いて、また閉じた。
夜間警戒の配置が、一枠だけ空いている。
その空白が、部屋の静けさまで変えていた。
その静けさの中に、どれだけいたのかは、記録していない。
気づいた時には、通信欄を開いていた。
《薄桃の庵 ミルティア》
発信履歴に、この名前は一度もない。いつも、受ける側だった。
指が、動いた。
呼び出し音、一回。
《レイナさん?》
すぐに、繋がった。
《……夜分にすまない》
《ううん、全然。どうしたんですか?》
どうした。
その問いに答えるためのデータが、整理できていなかった。用件がない。報告事項がない。何のために発信したのか、自分でも特定できていない。
《……いや。用件は、ない》
沈黙が流れた。
用件がないなら、切るべきだ。判断は、出ている。
指は、動かなかった。
《……そっか》
ミルティアの声は、それだけだった。
何があったのか、聞かれなかった。対戦の通知は全ダンジョンマスターに流れている。知っているはずだ。なのに、聞かれなかった。
《私、今ちょっと作業してて。このまま繋いでおいてもいいですか? お互い、勝手に作業してる感じで》
《……好きにしろ》
《ふふ、はい》
それから、ミルティアは何も話さなかった。
通信の向こうから、小さな物音だけが届いた。何かを書く音。布の擦れる音。時々、囁くような鼻歌。
レイナは、その音を聞きながら、損耗記録の画面をもう一度開いた。
再召喚の申請を、二件、入力する。
入力しながら、呼吸が少しずつ、いつもの速度に戻っていくのが分かった。
この通信に、意味はない。情報の交換がない。用件がない。効率で言えば、ゼロだ。
ゼロの通信を、レイナは切らなかった。
切らない理由の分析は——保留した。
保留、という処理を選んだ理由も、保留した。




