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第31話 再観測


 あの警告から、三日が経った。


 この三日で、返信が来る相手はミルティアだけになっていた。未読の打診は五件に増えて、リストの上で静かに積まれている。


 夜、着信音が鳴った。


 《薄桃の庵 ミルティア》


 レイナは、反射的に受けようとして——


 指が、止まった。


 あなたの知らないところで、何かが動いてる。


 あの警告が、まだ思考のどこかに残っていた。


 ……ミルティアは、何か知っているだろうか。それとも。


 一秒にも満たない停止だった。


 レイナは通信を受けた。


《レイナさん、今日も遅くまで起きてるんですね》


 いつも通りの温度が、通信越しに流れ込んでくる。


 自分の声も、いつも通りに返っていく。


 さっきの一秒が何だったのか、レイナは考えないことにした。


《作業が残っている》


《ふふ、レイナさんらしい……あの、ちょっとだけ聞いてもいいですか》


《何》


《精霊の遊庭のルナリアさんのこと……レイナさん、前に話したことがあるって言ってましたよね。どんな人、でした?》


 レイナは、すぐに返さなかった。


 最近、この名前を聞く頻度が上がっている。ミルティアから。アルカナから。顔も知らない誰かの噂から。


《なぜ聞く》


《みんな、怖い怖いって言うから……でも、レイナさんは実際に話したことがあるんだなって。本当のところ、どうなのかなって》


 本当のところ。


《一度の通信で分かることは少ない。効率を無視して結果を出す、理屈に合わない人だ》


《……やっぱり、ちょっと変わった人なんですね。怖くなかったですか?》


 怖い。


 その言葉が、会話の中に、また置かれた。


《怖いと感じる要素はなかった》


《そう、なんですね……でもほら、対戦のこととかもあるし……気をつけてくださいね?》


 通信が終わった後、レイナは今のやり取りを頭の中で再生した。


 怖い、という言葉が、また置かれた。最近、この形の会話が多い。


 何かが引っかかった。でも、引っかかりの正体を特定する前に、別の結論が先に立った。ミルティアも、噂に不安になっているだけだ。あの子はいつも、周りの空気に流されやすい。


 それより、自分の観測の方が問題だった。


 怖いと感じる要素はなかった——そう答えた自分のデータは、一度の通信分しかない。しかも一ヶ月近く前の。


 噂と、観測が、一致していない。


 データが古くて少ない時に、他人の評価で上書きするのは、レイナのやり方ではなかった。


 再観測するのが、合理的だ。


---


 翌朝、レイナは通信欄を開いた。


 《精霊の遊庭 ルナリア》


 口実を、いくつか検討した。取引の打診。情報の交換。どれも成立はする。


 検討して、全部捨てた。


 観測のために観測する。それで十分だ。口実を挟む方が、データに雑音が入る。


 発信した。


 呼び出し音、二回。


《はい、ルナリアです》


 繋がった。前と同じ、少し高い声だった。


《紅理の苑のレイナだ》


《……レイナさん? あ、はい。お久しぶりです》


 少し驚いた声だった。でも、警戒の色はなかった。


 この時期に、自分からの通信を警戒なしで受ける。その事実を、まず記録した。


《確認したいことがある》


《はい?》


《静寂の天蓋と対戦したそうだな》


 少しの、沈黙があった。


《……はい》


 声のトーンが、一段、下がった。


《勝ったのに、その声はなんだ》


《……勝ちました。誰も欠けませんでした。でも》


 でも、の続きは、少しの間、来なかった。


《……相手の人が、最後に何か言おうとしたんです。聞けなかったけど。それが、まだ残ってて》


 レイナは、画面の前で動きを止めた。


 みんなが言う。モンスターには優しいのに、人には容赦ない。


 容赦のない人間は、消した相手の最後の言葉を、抱え続けたりしない。


《……対戦は制度だ。あなたが抱える必要はない》


 言ってから、自分が慰めに分類される発言をしたことに気づいた。


《……ふふ。レイナさん、前もそういう言い方でしたね》


《事実を言っただけだ》


《はい。でも、ちょっとだけ楽になりました。ありがとうございます》


 礼を言われる筋合いはなかった。事実を述べただけだ。


 なのに、通信を切った後も、その言葉は妙に長く残った。


---


 夜、レイナは記録を整理した。


 本日の観測。


 通信への応答:即時。声の温度:高い。取引条件:譲歩的、かつ根拠は信頼。対戦への言及時:声のトーン低下。敗者への言及:継続的な感情の残存。


 結論。


 噂と、観測は、一致しない。


 ただし、データは二回分。結論を出すには、足りない。


 レイナは、保留、と記録して、画面を閉じた。


 通信リストには、今日も未読が並んでいる。返信が来たのは、二件だけだった。


 毎晩かけてくる、薄桃の庵。


 そして今日、声を弾ませた、精霊の遊庭。


 みんなが繋がっている場所から自分は切り離されて、みんなが怖がる相手とだけ、回線が繋がっている。


 その構図の歪さに気づかないほど、レイナの観測能力は低くなかった。


 ただ、歪みの原因を示すデータが、どこにもなかった。


 画面を閉じる直前、入口の監視記録が更新された。


 鳥が一羽、上空を旋回している。


 撃ち落としたのは、三日前だ。翌日には、別の個体が来ていた。


 撃っても、補充される。


 監視は、続いている。


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