第25話 見えない景色
二日目の夕方、アルカナから通信が来た。
「……調べてきた」
開口一番、それだった。
「ありがとうございます。それで……」
「……先に、悪い方から」
ルナリアは姿勢を正した。
「……静寂の天蓋の中は、音がない。外に漏れていたあれが、中では全域に効いている」
「全部の階層で、ですか」
「……ええ。モンスターの声も、足音も、武器の音も。全部消える」
ルナリアは想像してみた。
アルスの声が聞こえない。クロとシロの遠吠えが届かない。エリンの鈴の音も鳴らない。
うちの子たちの連携は、声と音でできている。それが全部、使えなくなる。
「……それで、みんなバラバラにされて、各個撃破」
「……過去の相手は、そうやって負けたと思う」
「思う、ですか」
「……確かめる相手がいない」
負けた側は、もういない。ルナリアは唇を結んだ。
「……次。イゼルという人について」
「はい」
「……防衛型。慎重で、対戦を好まない。少なくとも、今までは」
「今までは」
「……自分から申請したという話を、聞いたことがない。受けた対戦を守り切って、順位を保ってきた人」
やっぱり、とルナリアは思った。
守りの人が、突然攻めてきた。文面には温度がなかった。
「……変、ですよね。やっぱり」
「……ええ。変」
アルカナも同じ結論だった。それが少しだけ心強くて、少しだけ怖かった。
「……最後。いい方の話」
「……あるんですか」
「……静寂は、音を消す。でも、魔素までは消せない」
ルナリアは一瞬、意味を掴みそこねた。
「……えっと」
「……音は消える。気配も消える。でも、魔素の流れは残る。そこまでは殺せない」
魔素の流れ。
ルナリアの頭に、鈴の音が浮かんだ。
「……エリン」
「……あなたのところの、魔素感知の精霊。あの子の目は、潰されない」
なんでエリンのことを知ってるんだろう、と一瞬思った。でも今は、それよりも。
「……エリンがみんなの目になれば」
「……音の代わりに、魔素で繋がればいい。できるかどうかは、知らない」
できるかどうかは、知らない。
突き放すような言い方だった。でも、その先を決めるのはルナリアだ、という意味でもあった。
「……ありがとうございます。ほんとに」
「……受けるの」
「……少し考えます。断る、っていう手もあるので」
少し間があった。
「……断っても、多分、終わらない」
「……どういう意味ですか」
「……守りの人が、理由もなく攻めてきた。理由がある、ということ。その理由が消えない限り、形を変えて、また来る」
ルナリアは黙った。
「……受けるなら、今が一番条件がいい。相手の手の内を、あなたはもう知ってる」
「……アルカナさんは、どう思いますか。受けるべきだと思いますか」
「……決めるのは、あなた」
突き放すような言い方だった。でも、その通りだった。
「……気をつけて」
通話が切れた。
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夜、ルナリアは管理画面の前で考えた。
受けるか、断るか。
断れば、ポイントが少し減る。それだけ、のはずだ。
「コアさん、断り続けたら、どうなるの」
「……ポイントの減少が累積します。累積した場合の措置については、情報がありません」
「情報がない、って」
「……開示されていません」
分からないことが、また一つ増えた。
それに、アルカナの言葉が残っていた。
断っても、多分、終わらない。理由が消えない限り、形を変えて、また来る。
次に来る時、相手の手の内を知っているとは限らない。準備ができているとも限らない。
今は、知っている。エリンの目は潰されない。
守るために断るのと、守るために受けるのと。
多分、受ける。でも、その前に確かめたいことがあった。
みんなが、音のない場所で戦えるのかどうか。それを見てから決めても、遅くない。
管理画面を切り替えた。エリンの視野を開く。
2層目の森。夜の魔素が、淡い光の粒になって漂っている。エリンの目には、世界がこう見えている。
音がなくても、この目は生きている。
「コアさん」
「……はい」
「明日、みんなで訓練したい。音を使わない連携の訓練」
「……内容を指定してください」
「エリンの魔素感知を中心にして、指示を伝える方法を作る。声も、足音も、全部なしで」
「……承知しました」
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翌朝、侵入者がいないことを確認して、2層目の森に降りた。
アルス。ブレイブ。クロ。シロ。エリン。それから、レッサーオーガになったばかりのあの子。全員が集まってくれた。
「聞いて。今度の相手のダンジョンは、音が消えるの」
みんなが、じっとこちらを向いている。
「声も、足音も、全部。だから、音を使わない連携を作りたい」
アルスが一度だけ喉を鳴らした。分かった、という意味だ。
「エリン」
エリンがふわりと浮き上がった。
「エリンには、みんなの目になってほしい。魔素の流れは消えないから、エリンだけは全部見える」
鈴の音が、りん、と鳴った。
「エリンが見て、みんなに伝える。伝え方は……」
そこで、ルナリアは詰まった。
声が使えない。音が使えない。エリンはどうやって、みんなに伝えればいいんだろう。
鈴の音も、あそこでは鳴らない。羽音も消える。じゃあ、何が残る?
考え込むルナリアの前で、エリンがしばらくじっとしていた。
それから、ふわりとクロの前に降りた。
小さな手を、クロの鼻先にかざす。
淡い光が、ぽっ、と灯った。
クロが、光を見た。
エリンがもう一度灯す。今度は二回。
クロが首をかしげた。エリンも首をかしげた。二人でしばらく見つめ合っている。
それから、エリンが右の方向を指差して、光を一回灯した。
クロが、右を向いた。
ルナリアは目を見開いた。
「……光の回数で、伝えるの?」
エリンがくるりと回った。正解、という意味らしかった。
音は消えても、光は消えない。エリンにしか見えない魔素の景色を、光に変えて、みんなに配る。
考えてみれば、エリンは魔素操作の精霊だ。光を灯すくらい、造作もない。
「じゃあ、決めよう。右は一回、左は二回、止まれは三回——」
午前中いっぱいかけて、光の合図を作った。
単純な合図だけだ。右、左、止まれ、進め、戻れ、敵。六つだけ。複雑なことは伝えられない。
でも、六つあれば、バラバラにはされない。
午後は、実際に音を消したつもりで動く訓練をした。誰も鳴かない。誰も吠えない。エリンの光だけを頼りに、森の中を隊列で動く。
最初はバラバラだった。クロが合図を見落として先行しすぎた。シロが振り返ってばかりで列が乱れた。
でも、夕方には、形になり始めていた。
アルスを先頭に、無音の隊列が森を進む。エリンがその上を漂って、光で方向を示す。ブレイブが最後尾を固める。
誰も、一言も発していない。
なのに、繋がっている。
ルナリアは、何も言えなかった。
声が聞こえなくても、この子たちは、ちゃんと家族だった。
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夜、管理画面を開いた。
《静寂の天蓋から追伸が届いています》
ルナリアは手を止めた。
開いた。
《お返事をいただけないようですので、一つだけ。私を断られても、いずれ別の方から申請が届くと思います。それが良い相手かどうかは、分かりかねますが》
ルナリアは、その文面を三度読んだ。
丁寧だった。最初の申請と同じくらい、丁寧だった。
でも、これは脅しだ。
私を断っても、別の誰かが来る。
別の、誰か。
イゼルの後ろに、誰かがいる。一人なのか、複数なのか、分からない。でも、いる。
アルカナの言った通りだった。理由が消えない限り、形を変えて、また来る。
その理由が何なのかは、まだ分からない。でも、この追伸で一つだけはっきりした。
これは、イゼル一人の話じゃない。
《静寂の天蓋 イゼル》
《回答期限:あと数時間》
ルナリアは、申請の詳細画面を開いた。
今なら、相手の手の内を知っている。次に来る誰かが、同じとは限らない。エリンの光も、間に合った。
それでも、不安が消えたわけじゃない。
でも。
なんで、うちなんだろう。
その答えは、たぶん、会わないと分からない。
ルナリアは、承認のボタンに指を置いた。
「……みんな、頑張ろうね」
押した。
《対戦申請を承認しました》
《対戦開始:明日正午》
管理画面の光が、静かに切り替わった。




