第24話 温度
朝、管理画面を開くと、通知が並んでいた。
《ホブゴブリンの進化条件が満たされました》
《自動進化設定に従い、進化を実行します》
「コアさん、今どこ?」
「……1層目です。巡回中です」
「侵入者は?」
「……現在、いません」
「じゃあ3層目まで来てもらって。私も降りる」
ルナリアは3層目に降りた。鉱山回廊の岩壁が、薄い魔素の光を反射していた。
階段を上がってきたのは、一番古いホブゴブリンだった。小隊長を任せて、ずっと1層目を守ってきてくれた個体だ。
ルナリアの前まで来ると、光が包んだ。
輪郭が膨らんで、背が伸びた。肩幅が広がり、腕が太くなる。光が収まると、そこにいたのはレッサーオーガだった。
《ホブゴブリン → レッサーオーガ》
入口の方から、ブレイブがゆっくりと歩いてきた。新しいレッサーオーガの前で足を止めて、胸の輝石を一度光らせた。
通路の奥から、アルスも降りてきた。新しいレッサーオーガを見た。それから、何かを確かめるように、一度だけ喉を鳴らした。
レッサーオーガが同じように喉を鳴らした。
アルスが通ってきた道を、この子も通っている。
「おめでとう」
ルナリアが言うと、レッサーオーガは少し戸惑ったように頭を下げた。その仕草は、前のままだった。
「コアさん、最近みんな強くなってるね」
「……新規召喚の停止以降、戦闘経験が既存個体に集中しています」
維持費を恐れて召喚を止めたのは、消極的な判断だったはずだ。でも結果として、今いる子たちが着実に育っている。
数は増えていない。でも、確かに強くなっている。
---
午後、コアネットに通知が来た。
《対戦申請が届いています》
「……対戦申請?」
管理画面を開いた。
《静寂の天蓋 イゼル》
知らない名前だった。
「コアさん、この人の情報は」
「……静寂の天蓋。ランキング371位。公開情報は以上です」
371位。すぐ下だ。
申請には、メッセージが添えられていた。
《精霊の遊庭 ルナリア様。突然の申請、失礼いたします。貴殿の運営手腕は素晴らしいと聞いています。ぜひ一度、手合わせをお願いしたく申請いたしました。良いお返事をお待ちしております》
ルナリアはメッセージを二度読んだ。
丁寧な文面だった。失礼なところは一つもない。
でも、何かが引っかかった。
「……コアさん、これ、どう思う?」
「……定型的な文面です。特筆すべき情報は含まれていません」
「そうだよね」
定型的。その言葉が、妙にしっくりきた。
丁寧なのに、温度がない。ルナリア様、の部分だけ差し替えれば、誰にでも送れる文章。
この人は、本当にこの文章を書いたんだろうか。
対戦は、負けた方が消える。カルナの最後を、ルナリアは見ている。
それだけのことを申し込む文面が、これなのだろうか。まるで、お茶会の誘いみたいだった。
……余裕、なのかな。
絶対に勝てると思っているなら、この軽さも分かる。でも、371位と367位。ほぼ同格だ。
それに、カルナとは真逆だった。あの人は短気で、失礼で、でも熱があった。《待たされるのは好きじゃない》。勝ちたいという気持ちが、催促からも伝わってきた。
この申請には、それがない。
ふと、アルカナの言葉が頭をよぎった。
まるで、自分の言葉じゃないみたいに。
ルナリアは首を振った。考えすぎだ。丁寧な人が定型文を使うことくらい、普通にある。
でも、命を懸ける申請を、定型文で送れるものなのだろうか。
「コアさん、対戦申請って、断ったらどうなるんだっけ」
「……同時期に1件受けていれば、他の申請を断ってもポイントは下がりません。現在、受けている対戦はありません」
「受けなかったら?」
「……ポイントが微減します。ランキングに影響する可能性があります」
ルナリアは画面を見つめた。
承認か、拒否か。
どちらのボタンも、まだ押せなかった。
---
夕方まで考えて、答えは出なかった。
勝てるかどうか、ではない。相手のことが、何も分からないのが嫌だった。
カルナの時は、催促までされて、考えた末に受けた。ドーグの時は、偵察で情報を集めてから戦った。
今回は、どちらでもない。何も分からない相手から、丁寧すぎる文面で、突然申請が来た。
みんなを危険に晒すかもしれない判断を、情報ゼロでしたくなかった。
ルナリアはコアネットを開いた。
《暗幽の廃城 アルカナ》
発信した。呼び出し音が2回鳴って、繋がった。
「……どうしたの」
「すみません、急に。聞きたいことがあって」
「……ええ」
「静寂の天蓋のイゼルさんって、知ってますか」
少し間があった。
「……名前は。直接は知らない」
「対戦申請が来たんです。今日」
もう少し長い間があった。
「……申請理由は」
「手合わせをお願いしたい、って。丁寧な文面でした。丁寧すぎるくらい」
「……文面、そのまま読める?」
ルナリアはメッセージを読み上げた。
アルカナは黙って聞いていた。読み終わっても、しばらく何も言わなかった。
「……返事は、まだしないで」
「……何か、気になることが?」
「……分からない。だから調べる」
「調べるって、どうやって」
「……私なりのやり方で」
相変わらず、説明は最小限だった。でも、その短さが今は心強かった。
「……ありがとうございます。あの、もう一つだけ」
「……何」
「静寂の天蓋の場所って、分かりますか。場所が分かれば、うちの子たちで偵察もできるので」
少し間があった。
「……街道を北に外れた、岩山の中腹。洞窟型」
「知ってるんですか」
「……一度、上空から見たことがある」
吸血鬼だ、とルナリアは思った。ギルドに見つかる前、アルカナの偵察はあちこちを飛んでいたのかもしれない。
「……ただ、近づきすぎないで」
「……どういう意味ですか」
「……行けば分かる」
「……分かりました」
「……二日、待って」
通話が切れた。
---
翌朝、ルナリアはオリジンバードを2羽、北に飛ばした。
管理画面に視野が映る。街道の上を越えて、岩山が近づいてくる。中腹に、洞窟の入口が見えた。
黒い岩肌に、ぽっかりと開いた穴。周囲に魔素の反応が薄く広がっている。ダンジョンだ。間違いない。
「コアさん、音は拾える?」
「……オリジンバードの聴覚を管理画面に接続します」
音が流れ始めた。
風の音。羽ばたき。遠くで鳥が鳴いている。
オリジンバードが洞窟に近づいていく。
風の音。
羽ばたき。
鳥の声。
その全部が、ぷつりと消えた。
「……コアさん?」
「……接続は正常です」
風は吹いている。視野の中で、木の枝が揺れている。オリジンバードの羽も動いている。
なのに、何も聞こえない。
洞窟の入口を中心に、ある範囲から内側だけ、音が存在していなかった。
「……これ」
「……音響系の魔素干渉と推定されます。詳細は不明です」
近づきすぎないで。行けば分かる。
アルカナの言葉の意味が、分かった。
ルナリアはオリジンバードを引き返させた。無音の領域を抜けた瞬間、風の音が戻ってきた。まるで水面から顔を出したみたいに。
静寂の天蓋。
名前の意味を、少しだけ理解した。
---
夜、ルナリアは4層目に戻った。
コハクが寝床から顔を上げた。ルナリアが座ると、膝に乗ってきた。
「コハク、あのね」
コハクが見上げた。
「知らない人から、勝負しようって手紙が来たの」
コハクは首をかしげた。
「受けるかどうか、まだ決めてない。分からないことが多すぎるから」
コハクはルナリアの手に鼻先を当てた。
管理画面の隅で、申請の通知がまだ点滅していた。
《静寂の天蓋 イゼル》
《回答期限:あと二日》
アルカナの言った二日と、同じ長さだった。
なんで、うちなんだろう。
その二日で、何が分かるんだろう。




