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第12話 薄桃の庵

20260725改稿


 薄桃の庵は、春の夜明けのような場所だった。


 入口から続く通路は、淡い桃色の石で舗装されていて、壁には小さな花の紋様が刻まれている。気温は、低くも高くもない。香りがある。甘くも重くもない、どこか懐かしい感じのする香り。


 モンスターたちが、静かに動いている。誰も急がない。誰も、怒鳴らない。穏やかな光が、通路を満たしていた。


 ミルティアは今日も、住居エリアの管理画面から、外の気配を確認していた。


 ダンフェスが終わって、少し経った。新しい期が、始まっている。やることは、たくさんある。召喚スケジュールの確認。侵入者対応の見直し。次の対戦申請の準備。


 でも今は、同期のことが、頭にあった。


 紅理の苑。


 406位。新人トップ。


 管理画面を開いて、ランキングを確認する。レイナという名前を、もう一度、見た。


 レイナちゃん、か。


 小さく、ほとんど声にならない声で、呟いた。


 しばらく、その名前を見ていた。


---


 今期の侵入者は、少ない。それでも、来た人のことは、丁寧に記録していた。


 一番よく見ているのは——表情だった。


 侵入者が、怖がっている時の顔。安心している時の顔。仲間を庇う時の顔。諦める、直前の顔。


 管理画面越しでも、人の感情は、よく分かった。


 だからこそ、あの日見たレイナが、忘れられなかった。


 ダンフェスの時に見た。深紅のストレートヘア。感情より先に、何かを計算しているような目。周りのダンジョンマスターたちとは、明らかに違う空気を、持っていた。


 あの時も、ほとんど、誰とも話していなかった。


 どこか——一人でいることに、慣れてしまった人のように、見えた。


---


 ダンジョンマスター通信でメッセージを送ったのは、その日の午後だった。


 少し迷ってから、送信した。


 《あの……突然ごめんなさい》


 送ってから、すぐ後悔した。いきなりすぎたかもしれない。怒らせたかもしれない。でも、取り消せない。画面を見ながら、小さく、唇を噛んだ。


 返信が来たのは、しばらく経ってからだった。


 《誰》


 短い。少しだけ、息をのんだ。


 《同じ2001期のミルティアです……薄桃の庵っていうダンジョンで……》


 《何の用》


 また、短い。でも——切られては、いない。まだ、話せる。


 《あの……ランキング発表の時、見てたんです。レイナちゃんのこと》


 《ちゃん付けはやめて》


 《あ、ごめんなさい……レイナさん……》


 少し、間があった。


 《何が言いたい》


 《えっと……同じ期で、すごいなって思って……私、誰とも話したことなくて……相談できる人も、いなくて……》


 《私は相談窓口じゃない》


 ミルティアは、少し止まった。


 《ごめんなさい……やっぱり、迷惑でしたよね……》


 《迷惑とは言っていない》


 また、間があった。


 《……何を聞きたいの》


 《ダンジョン運営のこととか……一人だと、分からないことが多くて……レイナさんなら、きっと色々知ってると思って……でも、迷惑なら——》


 《一つだけ答える》


 思わず、息を、止めた。


 《本当ですか……?》


 《二つ以上は答えない。それでいいなら》


 《……はい。ありがとうございます》


 《お礼はいらない。聞きたいことを言って》


 ミルティアは、少し考えた。


 《冒険者が来た時……怖くないですか……?》


 しばらく、間があった。


 《怖くない》


 《本当ですか……? 私、いつも不安で……》


 《不安なら罠を増やせばいい。モンスターを強化すればいい。備えれば怖くなくなる》


 《レイナさんって、すごいですね……》


 《すごくない。当たり前のことをしているだけ》


 返信は、そこで止まった。


 画面を、見た。短い言葉だった。でも、拒絶じゃ、なかった。


 《レイナさん、また、お話しできますか》


 返信は、しばらく、来なかった。


 そして、画面に、一文だけ表示された。


 《……好きにすれば》


 その一文を、何度も、読み返した。


 画面を閉じても、その一文だけが、なかなか、消えなかった。


 また、話せるかもしれない。


 それだけで、十分だった。


 薄桃の庵の光が、静かに、揺れていた。


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