第8話 届かなかった一撃
20260724改稿
討伐隊の再出発は、夜明け前だった。
ギルドの前庭に集まった冒険者は、前回より多かった。手紙の情報が回った結果だ。「消耗戦が有効かもしれない」という話は、すぐに広まった。
ヴァルカンは、すぐに採用したわけではなかった。独自に偵察を出し、足跡の間隔と捕食の痕跡を確かめてから、ようやく判断を下した。裏が取れたから、使う。それだけのことだった。
「長期戦になる。覚悟しろ」
ライゼンが小声で言った。ゴレウスが舌打ちする。
「言われなくても分かってる」
「……体力の温存を優先しろ。消耗戦なら、こちらが先に限界を迎える可能性もある」
「分かってるって言ってんだろ」
ゴレウスはそれだけ言って、前を向いた。それでも、剣の柄を、握り直した。
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何度も足を止めながら、森の中を進んだ。
接触は、昼を大きく過ぎた頃だった。
最初に来たのは、音だった。重い足音が、地面から伝わってくる。葉が揺れる。木がしなる。風がないのに、空気が、動いている。
それだけで、ゴレウスの背筋が冷えた。
「来た」
囁き声で言った。隣で、ライゼンが頷いた。
木々の間を縫って、黒い影が、ゆっくりと近づいてきた。
大きい。
マーダーベアに似ていた。でも、違う。体格は一回り小さいが、腕が異様に長い。地面を引きずるように歩いている。目が、ぼんやりと赤く光っていた。
そして——呼吸のたびに漏れる白い息が、異様に、多かった。
「あれか」
ゴレウスが呟いた。
「……静かに。——見てください。息の量」
ライゼンが囁いた。
「あれだけ吐くのは、普通じゃない。手紙の通りです。あの体は、燃費が悪い。動くだけで、消耗している」
手紙の通り。ゴレウスは、小さく頷いた。
しばらく待つと、2体目、3体目が見えてきた。間隔を開けて、同じ方向へ、ゆっくりと移動している。連携している、というより——同じ何かに、引き寄せられているように見えた。
「3体だな」
「……見えている範囲では。他にもいる可能性を、忘れるな」
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作戦は、手紙の通りだった。
直接、攻撃はしない。存在を示して、動きを妨げる。捕食しようとしたら、邪魔をする。その繰り返しで、体力を削る。
最初は、うまくいかなかった。
黒い巨体が地面に顔を近づけた瞬間、冒険者が声を上げた。魔物はこちらを見て、唸った。それだけだった。すぐに視線を戻して、また食べようとする。
「……効いてねえじゃねえか」
「……続けろ。じわじわ、削るんだ」
ゴレウスは、言われた通りに動いた。剣を抜かず、ただ、声を上げて注意を引く。それだけが、今この場でできることだと、分かっていた。
声を上げる。黒い影が振り向く。また餌へ向かう。また、邪魔をする。
何十回、繰り返したか、もう誰にも分からなかった。
その間、ライゼンだけが、時々、視線を外していた。魔物ではなく——その奥の、森の暗がりを、見ていた。
「なに見てんだ」
「……いえ。気のせいなら、いいのですが」
日が、傾いてきた。
「まだ倒れねえのかよ……!」
ゴレウスの額から、汗が落ちた。
「もう十分だろ! 斬れば終わる!」
剣に、手をかけた。
「……駄目だ」
ライゼンの手が、ゴレウスの腕を掴んだ。
「離せ!」
「……ここで崩すな。あと少しだ」
ゴレウスは歯を食いしばって、剣から、手を離した。
直後だった。
注意を引きに出た冒険者の一人に、長い腕が、薙ぐように、走った。
間一髪、伏せた。頭の上を、風の塊が通る。構えていた盾が、弾かれて、割れた音がした。
冒険者は、転がって、下がった。無事だ。でも、その場の全員の背中に、同じことが流れた——あれは、当たれば、終わる。
それでも、誰も、止まらなかった。
変化は、確かに、来ていた。
餌へ伸ばした腕が、途中で止まる。大きく息を吸っても、体が動かない。飢えているはずなのに、一歩踏み出すだけで、全身が震えている。
巨体の脚が、大きく揺れた。
一歩。
二歩。
踏み出したところで、ぐらりと、傾いた。
「……効いてる」
誰かが、息を呑んだ。
「一体、膝をついたぞ!」
「倒れるぞ! いけるぞ!」
「押せ!」
冒険者たちの声が、森に響いた。
三体とも、動きを止めた。立ち尽くしたように、その場で揺れていた。
ゴレウスは、剣へ手を伸ばしかけた。もう終わる。あと一歩で、勝てる。
誰もが、勝利を確信していた。
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問題が起きたのは、その直後だった。
森の空気が、一瞬、張り詰めた。
森の奥が、白く光った。
次の瞬間、光線が、木々を貫いた。
先頭の冒険者が、咄嗟に身を伏せた。すぐ横の木が、焦げた匂いを上げる。
「まだ仲間がいるのか!」
「援護だ! 下がれ!」
その瞬間、3体が、向きを変えた。森の奥へ、速度を上げて走り出す。
疲弊し切っていたはずの体が、最後の力を振り絞るように、動いていた。
飢えて、震えて、倒れる寸前だった獣が——飢えよりも優先する何かに、従っている。
「逃げてる!」
「追え!」
ゴレウスが走り出した。1体の足がもつれる。倒れそうになる。あと、数歩だ。
剣を、抜いた。
その瞬間、奥から、光線が走った。
ゴレウスの真横の木が、焦げた。
「下がれ!」
ライゼンが叫んだ。
ゴレウスは、足を止めた。
光線の飛んできた森の奥で——何かが、動いた気配がした。
大きくは、ない。あの3体よりも、ずっと、小さい何かが。
気配は、すぐに、消えた。
抜いた剣は、一度も、振られないまま、下ろされた。
拳を、近くの木に叩きつける。
「くそっ」
あと、一歩だった。
静まり返った森に、その声だけが、残った。
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ルナリアは、オリジンバードの視野を通して、遠くから、その様子を見ていた。
近づきすぎないよう、上空の高いところから。小さな人影と、3つの黒い影が、交互に動いているのが見えた。
影の動きが、どんどん鈍くなっていく。上からでも、分かった。このままなら——。
最後の瞬間、森の奥から、光が飛んだ。
魔法だ。
次の瞬間、オリジンバードのすぐ近くを、何かがかすめた。視界が、大きく回った。
「コアさん」
《……引き返してください。今すぐ》
迷わず、指示を出した。オリジンバードが、森の外へ、翼を広げる。背後で、また光が走った気がした。
「コアさん、今のは」
《……森の奥から、魔法が飛びました。発動体は、不明です》
「逃げるのを、援護してたってこと? 偶然じゃ……ないよね」
《……可能性は、低いです》
「じゃあ、誰かが、逃がした」
《……その可能性が、あります》
「じゃあ、指揮している何かが、いる」
《……指揮官とは、限りません》
しばらくして、オリジンバードが帰ってきた。羽を確認する。焦げた跡が、あった。かすったのだ。
「お疲れ様。……ごめんね」
オリジンバードが、手に頭をすりつけてきた。
しばらく、考えた。
飢えた獣じゃ、ない。消耗戦が効くと分かっていて、それでも、逃がした。
「コアさん……」
《……はい》
「……あれ、考えて動いてる」
《……はい》
「……また、来る?」
《……分かりません。ただ》
「ただ?」
《……逃げた方向は森の奥です。ただ——街道との距離は、縮まっています》
地図を、見つめた。
このままなら、次に危ないのは、街道だ。行き交う人たちの姿が、頭をよぎった。もし、討伐隊が止められなければ——。
「コアさん、明日も飛ばして。今日より、もっと広く」
《……はい。ただ、近づきすぎないよう、注意します》
「うん。無理は、しないで」
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夜、今日見た光景を、思い返していた。
手紙の作戦は、機能した。消耗させることが、できた。あと、ほんの少しだった。
でも、逃げられた。
悔しい、というより、怖かった。
役に立てば幸いです、と書いた。役には、立った。あの人たちは、あの紙を信じて、あそこまで、行った。
あそこまで行かせたのも——あの紙だ。
もし、あの光線が、木じゃなくて、人に当たっていたら。
私が送った情報で、人が、死んでいたかもしれない。
匿名の紙切れ一枚の重さを、今日、初めて知った気がした。
それでも、明日も飛ばす。
書くべきことがあれば、また、書く。知っていて黙っている方が、ずっと、怖いから。
森の奥へ消えた影は、まだ、終わっていない。
そんな予感だけが、胸に残っていた。
(新しい期まで、あと53日)




