第22話 白い朝
20260720改稿
朝、管理画面を開いた瞬間、通知が来た。
《卵に、異常な変化を確認しました》
「コアさん!」
《……孵化が、始まっています》
3層目に、駆け上がった。
棚の上の卵が、震えていた。
前より大きく。前より速く。光の粒が、卵の表面を走っている。白い。温かい。ずっとそうだった。でも、今日は違う。卵全体が、呼吸しているみたいだった。
「コアさん、何か、することある?」
《……見守って、ください》
棚の前に、座った。両手を、膝の上に置いた。
ただ、見ていた。
ひびが、入った。
細い線が、卵の表面を走る。一本。また、一本。光の粒が、線に沿って集まっていく。
息を、止めた。
割れた。
光が、あふれた。一瞬、何も見えなくなった。
光が、収まった。
すぐには、目を開けられなかった。
毎晩、手を当てた。毎晩、話しかけた。コツ、と一度だけ返ってきた日のことも、静かなままだった夜のことも、全部、覚えている。
目を、開けた。
棚の上に、小さなものが、いた。
白かった。
小さな、狐だった。手のひらに収まるほどの大きさで、全身が白い毛に覆われている。耳が大きい。尻尾が一本、ふわふわと揺れていた。
その子が、ルナリアを見た。
黒くて、丸い目だった。しばらくじっとこちらを見て、それから——くしゃみを、した。
「……かわいい」
思わず、声が出た。
出てから、自分で、少し驚いた。
今まで、うちの子たちのことは、どこかで戦力として考えていた。アルスは右腕。ブレイブは壁。クロは速さ。シロは支え。エリンは魔法。大事で、大好きで、でも、最初に見る場所は、いつもそこだった。
この子に、最初に出た言葉が、それだった。
かわいい。
小狐はくしゃみの後、真剣な顔でこちらを見て、ゆっくりと棚の端まで歩いてきた。そして、ルナリアの膝に、ぽとりと、飛び降りた。
「……え」
小さいのに、確かな重さがあった。温かい。毛が、やわらかい。卵の頃から手のひらに感じていた温かさと、同じ温かさだった。
帰ってきたら、絶対、見せてあげるからね——殻の中の子に、そう約束していた。
見せる必要は、なくなった。この子の方から、会いに来てくれた。
「コアさん、この子……」
《……種族:白狐の幼体です》
「白狐」
膝の上で、小狐がまた、くしゃみをした。それから、ルナリアの指先を、鼻でつついた。
「……くすぐったい」
尻尾が、揺れた。
しばらく、ただ、見ていた。毎日、魔力を込めながら、待っていた。誰も失わないくらい、強い子だといいな、と願っていた。
生まれてきたのは、手のひらに乗る、小さくて、白い子だった。
願いとは、違うのかもしれない。
……でも。
強くなくて、いい。生まれてきてくれた。それだけで、もう、十分だった。
「名前、つけていい?」
《……名前付き枠が、不足しています。SP2で、1枠追加できます》
迷わなかった。
「追加する」
《名前付き枠を追加しました。現在:6/6》
名前の入力欄を開く。小狐が、入力しようとする指先を、じっと見ていた。
白い、狐。
狐と、白。
……こはく。
口の中で転がしてみて、少し、笑ってしまった。ひっくり返しただけだ。単純すぎるだろうか。
でも、白い狐、そのままの名前だ。この子が、この子であることの、名前。
「コハク」
《名前「コハク」を付与しました》
コハクが、尻尾を一度、大きく振った。
「白狐をひっくり返して、コハク。……よろしくね、コハク」
コハクが、ルナリアの手に、頭をすりつけた。
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コハクを抱えて、1層目に降りた。
「アルス、ちょっと来て」
巡回から戻ってきたアルスが、コハクを見て、足を、止めた。
コハクが、アルスを見た。しばらく、お互いを、じっと見ていた。
コハクが、小さな前足を、アルスの方に伸ばした。アルスは、動かない。コハクが、アルスの太い腕に、顔をすりつけた。
アルスが、低く、喉を鳴らした。
「……気に入られたみたい」
アルスは、何も言わなかった。でも、大きな手が、コハクの頭の上に、そっと、乗せられた。
コハクが、目を細めた。
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入口では、ブレイブが待っていた。
コハクが、輝石騎士の大きな体を、ぽかんと見上げる。それから——胸の輝石に映った、自分の姿に気づいた。
毛を、逆立てた。小さく、威嚇の声を上げる。輝石の中の白い子も、同じ格好で威嚇し返してくる。コハクが、跳び退いた。
「それ、コハクだよ」
コハクは、しばらく輝石の中の自分と睨み合ってから、恐る恐る、もう一度近づいた。ブレイブは、その間、微動だにせず、されるがままでいた。
律儀に、じっとしている大きな体と、輝石に映る自分に夢中の小さな体。しばらく、笑いを噛み殺しながら、見ていた。
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2層目に降りると、クロが、真っ先に気づいた。
コハクを、くんくんと嗅ぎ回る。コハクが、びっくりして後ずさる。クロが、また近づく。コハクが、逃げる。クロが、追いかける。
「クロ、驚かせないで」
クロは、全く聞いていなかった。コハクも途中から楽しくなってきたらしく、逃げながら、尻尾を振っていた。
シロは、少し離れた場所で、二体を見ていた。
コハクが、シロに気づいて、近づいていく。シロは、動かずに、待っていた。コハクが、シロの白い毛に、顔を、うずめた。
シロが、低く、唸った。
怒っている音じゃ、なかった。受け入れている音だった。
クロと、シロと、コハク。三体が、2層目の森の中に、いた。
ルナリアは、それを、しばらく、ただ見ていた。
「コアさん」
《……はい》
「みんな、ここにいるね」
少し、間があった。
《……はい。みんな、います》
コハクが寝転んで、クロの背中に乗ろうとしていた。クロが嫌がって、逃げた。シロが、ため息みたいな息を、吐いた。
ルナリアは、笑った。
やることは、まだ、ある。でも、今日だけは、この白い朝が、ゆっくり過ぎていけばいいと、思った。




