第19話 岩盤の回廊
20260719改稿
白い空間は、二度目だった。
音のない白の中に、男が、立っていた。
大きい。岩を積んだような体格に、短く刈った髪。腕を組んで、こちらを一度だけ見た。それだけだった。挨拶も、値踏みの言葉も、ない。
「……ルナリア、です」
名乗ってみた。男は、小さく顎を引いた。それが返事らしかった。
「はーい、二回目だね、ルナリアちゃん」
ニルムの声だけが、いつも通りに軽い。
「じゃ、ルール確認するよー」
《制限時間:4時間》
《勝利条件:相手のダンジョンコアを破壊すること》
時間切れは、引き分け。引き分けは、両方のコアが割れる。二度目でも、その一行は、同じ重さで喉に残った。
「異議は?」
「ない」
ドーグの声は、低くて、短かった。
「合意する?」
「する」
「ルナリアちゃんは?」
「……合意、します」
「はい、それじゃあ——楽しんでね」
白が、視界を塗りつぶす直前、ドーグが一言だけ、言った。
「……始めよう」
それが、あの人の全部だった。カルナとは、何もかもが、違った。
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《対戦開始》
《残り時間:3:59:48》
通知が来た瞬間、みんなの視野を、全部開いた。
また、失うかもしれない。その考えは、消えない。消えないなら、見ていればいい。みんなを、ずっと。何かあったら、すぐ動けるように。
「——行こう」
アルスが先頭に立った。クロとシロが、その両脇に並ぶ。ダンジョンの入口をくぐって、外へ。
アルスの視野が、揺れた。外の光。岩盤の地形が、広がっていく。
「コアさん、回廊までは?」
《回答:徒歩で、10分程度です》
「クロ、先行して」
クロの視野が、一気に速くなった。景色が、後ろへ後ろへと流れていく。
……こんなに、速かったのか。
毎日この子が走り回っている世界は、いつも、この速さだったのか。息づかいが、楽しげにも聞こえて、少しだけ、肩の力が抜けた。
「シロ、クロの後ろ」
シロが、低く唸った。返事だ。シロがいれば、クロに何かあっても、対処できる。それだけで、少し、息ができた。
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岩盤の回廊に、踏み込んだ。
アルスの視野に、岩の通路が映る。うちの石造りより、ずっと窮屈だ。
良かった、と思った。この狭さなら、大型は、中では動きにくい。
最初の分岐。
「コアさん」
《回答:左の通路に、魔素反応があります》
「アルス、左」
ゴブリンが3体、飛び出してきた。
アルスが、剣を抜いた。一閃。2体が、吹き飛ぶ。残りの1体がクロに向かった瞬間、クロが跳んだ。新しい爪が、走った。
一撃だった。
敵を倒すことへの迷いは、もう、なかった。みんなを失う方が、ずっと、怖い。
「……速い」
《クロが、褒められています》
「コアさんが、喋った」
《……事実を、述べました》
シロが、低く鼻を鳴らした。クロはもう、次の通路を見ていた。
それにしても——薄い。
ゴブリン3体。次の通路も、コボルトが2体だけ。数も、罠も、圧が、ない。偵察で見た、あの深い引っかき傷の主は、どこにいる。
その答えは、うちの側から、来た。
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《警告:防衛側の攻撃部隊を確認》
《自ダンジョンへ接近中:大型反応》
「……そういう、こと」
ドーグは、大型を、攻めに回した。だから、守りが薄い。
うちとは、逆の賭け方だ。うちは守りを固めて攻めを細くした。あの人は、守りを捨てて、一番強いのを、うちに投げてきた。
管理画面を、ブレイブの視野に切り替える。
入口の前。岩盤の方向を、まっすぐに見ている。盾を構えたまま、動かない。
「ブレイブ、お願い。みんなを、守って」
ブレイブの視野が、少し動いた。盾を、両手で構え直す。それから、盾を一度、叩いた。
任せろ、の音だった。
地鳴りが、来た。
音は聞こえない。でも、ブレイブの視野が、細かく揺れている。地面が、揺れている。それだけの、大きさだ。
岩盤の回廊の方向から、それが、現れた。
ロックボア。
ブレイブより、大きい。岩のような皮膚。太い牙。頭を低くして、まっすぐ、突っ込んでくる。
「ブレイブ、止めて!」
ブレイブが、前に出た。盾を構える。足を、踏ん張る。
——ドン。
聞こえるはずのない音が、聞こえた気がした。
ブレイブが、吹き飛んだ。
後列のホブゴブリン2体を巻き込んで、3体まとめて、壁に叩きつけられる。
「ホブゴブリン、下げて!」
後衛を、壁際まで下げた。2体とも、傷ついている。
死亡記録の欄が、頭をよぎった。あの夜、想像しただけで手が止まった、名前の並ぶ欄。もし、あそこに——
唇を噛んで、想像を、切った。見ていろ。考えるのは、後だ。
ロックボアは、止まらなかった。向きを変えるついでに、通路の壁を牙で抉り、埋めてあった転倒罠を、踏み潰していく。壁が、削れる。罠が、潰れる。七日もかけずに作った守りが、数秒で、剥がれていく。
ブレイブが、立ち上がった。
盾が、歪んでいた。それでも、前に出た。また、ロックボアの正面に、立ちはだかった。
「ブレイブ、無理しなくていい、下がって!」
ブレイブは、動かなかった。代わりに、足の位置を、変えた。半歩引いて、腰を落として、盾の角度を、浅く倒す。
一度受けて、覚えたのだ。真正面から受けない。受け流す。
ロックボアが、突進した。
——ドン。
今度は、吹き飛ばなかった。
盾が牙を滑らせて、突進の向きが、逸れる。ロックボアが壁に肩から突っ込んで、初めて、その足が、止まった。ほんの、数秒。でも、止まった。
その数秒の間に、ブレイブの膝が、落ちた。両腕が、震えている。受け流しても、なお、削られている。次は、受け切れない。
「下がれって、言ってる!」
ブレイブが、ゆっくりと、立ち上がった。
また、前に出ようとした。
この子は、聞かない。何度でも立つ。それが、この子の名前だ。でも——
この子が潰れるまで立たせておくことを、私は、守ってもらってる、とは呼びたくない。
守り方を、決めるのは、私だ。
「コアさん、ブレイブを強制的に下げて! 後衛も全員、一回下げて、立て直す!」
《……承認しますか》
「うん、早く!」
ブレイブが、強制的に後退した。後衛も、下がる。ロックボアの正面が、一瞬、空いた。
そこに、エリンが、出た。
光の粒が、集まっていく。前より、大きい。前より、速い。4枚の羽が、光を受けて、震えていた。
エリンが、両手を、前に向けた。
光が、収束した。
直撃。
ロックボアが、止まった。よろめいた——でも、倒れない。岩の皮膚が焦げて、それでも、頭を、こちらに向け直す。
エリン一体では、足りない。
でも、エリンは、一体じゃなかった。
森の奥から、いくつもの光が飛んだ。スプライトたちの、一斉射撃。エリンが遠くまで届かせた光の粒が、暗い通路に、射線を示していた。全員が、同じ場所を、撃てた。
それでも、ロックボアは、前に出ようとした。焦げた足で、一歩。もう一歩。その先には、下がりきれていない、ホブゴブリンがいた。
その一歩の前に、歪んだ盾が、割り込んだ。
ブレイブだった。膝の落ちた体で、いつの間にか、戻ってきていた。潰れた盾を、斜め下から、掬い上げるように押し当てる。
よろめいていた巨体が、傾いた。
岩の足が、浮いた。
転倒したロックボアに、光の雨が、重なった。
ロックボアは、今度こそ、動かなくなった。
誰も、動かなかった。数秒、ダンジョンから、音が消えた。
《ロックボア:撃破》
エリンの鈴の音が、した。静かに、一度だけ。
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《残り時間:3:22:05》
攻撃隊は、その頃、最奥の手前にいた。
コアの間の入口は、岩を積んで、塞がれていた。隙間を守るのは、コボルトの精鋭が4体。守りの全部を、ここに置いていた。薄いんじゃない。最初から、ここ以外を、捨てていたのだ。
アルスが、正面から岩に剣を叩き込む。積み岩が、揺れる。隙間から槍が突き出て、アルスの肩を、かすめた。アルスは引かない。半歩ずれて槍の柄を掴み、そのまま、引き抜いた。守りの一体が、岩の隙間から引きずり出される。
崩れかけた守りを立て直す間を、クロが、与えなかった。岩の上を走る。新しい爪が岩を噛んで、滑らない。上から飛び込んで、槍の列を、かき乱す。
乱れた守りの背後に、いつの間にか、シロがいた。静かに、退路を、断っていた。
うちの型だ。よその岩の上でも、回った。
アルスの剣が、最後の積み岩を、打ち崩した。
コアが、見えた。
アルスが、剣を振り下ろす。
《ダンジョンコア:破壊》
《対戦終了》
《勝者:ルナリア》
光の中で、あの岩のような人が、どんな顔をしていたのかは、見えなかった。
二人目、だった。
重さは、軽くなっていなかった。ただ、立ち止まらずに動けるようになっただけだ。それが強くなったということなのか、別の何かなのかは、今は、考えないことにした。
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「みんな、帰っておいで」
アルスが、帰ってきた。クロが、シロが、帰ってきた。3体とも、傷はあるが、軽い。
誰も、欠けなかった。今回は。
——その二文字を、付けずにいられない自分が、いた。
ブレイブが、戻ってきた。
盾が、半壊していた。体にも、傷。でも、歩いていた。
「ブレイブ」
ブレイブは、ルナリアを見た。
「……なんで、引かなかったの」
少し、間があった。
「私は、ブレイブがいなくなるのが、嫌だよ」
ブレイブは、すぐに視線を外した。入口の方を、向いた。
「……でも、ありがとう」
分かっていた。この子は、何があっても、立ち上がる。受けても、受けても、立つ。それが不屈で、それが、この子だ。でも、失いたくは、ない。守ってもらうことと、失わないことの間で、まだ、答えは出せなかった。
クロが足元をうろついて、爪で床を引っかいた。シロが隣で低く唸る。エリンの鈴の音が、2層目から聞こえた。
「コアさん、ホブゴブリン2体の状態は?」
《回答:軽傷です。備蓄の回復薬を、使いますか》
「使って」
報酬も、順位も、偵察の成果の整理も、全部、後でいい。
今は、ブレイブを見ていたかった。
ブレイブは、まだ入口の方を向いたまま、動かなかった。
一度だけ、潰れた盾を、地面に置こうとした。
指が、離れなかった。
置けるなら、置いてほしかった。そう思う自分と、手放さないこの子を誇らしく思う自分が、同じ場所に、いた。
盾は、もう、盾の形をしていなかった。それでも、手放せなかった。
ルナリアは近づいて、その潰れた盾に、そっと、手を当てた。
「……痛かったね」
ブレイブの視線が、少しだけ、こちらに動いた。指先だけが、潰れた盾を、少し強く、握った。
それから、視線は、また、入口の方へ戻った。守りの、位置だった。




