第10話 準備
翌朝、管理画面を開いた。
昨夜のログはやはり残っていなかった。確認しても、異常を示すものは何もない。
「……考えすぎか」
もう一度そう思うことにした。今は考えるべきことが他にある。
カルナへの返答だ。
メモ欄を開いた。昨夜書きかけたままになっている。
「コアさん、対戦の条件って何を決められるの?」
「制限時間・層数制限・モンスターの持ち込み制限などです。双方が合意すれば自由に設定できます」
「制限時間は長くできる?」
「上限はありません。ただし相手が合意しなければ成立しません」
ルナリアはしばらく考えた。
カルナのダンジョンはモンスター重視型だ。数で押してくる。時間をかけるほどこちらが有利になる。でも時間を長くしたいと素直に言えば警戒される。
「……弱みを見せる形にしよう」
準備が整っていない、という理由なら自然だ。
でも本当に、不安だった。
戦力差がどれくらいあるのか分からない。相手のモンスター構成が分からない。数で押してくる、それだけしか情報がない。4時間で守り切れるのか。そもそも守り切るという戦略が正しいのか。
「……やるしかないんだけど」
DM通信を開いた。
《まだ準備が整っていません。制限時間を少し長めにとりたいのですが、合意していただけますか。6時間を希望します》
送信する。
しばらくして返信が来た。
《カルナ:6時間? 長い》
《カルナ:4時間でいい。それ以上待つ気はない》
4時間。6時間より短い。
「……それ以上待つ気はない、か」
短い返信だった。でも、それだけで分かった気がした。直情型だ。焦れる。待つのが嫌いだ。こちらが慎重に動いているのを、たいしたことだと思っていない。
長い準備期間そのものが揺さぶりになるかもしれない。でも今はそれより——
「コアさん、4時間で守り切れると思う?」
「……現時点の戦力では不確定要素が多く、断言できません」
「だよね」
断言できない。でも断り続けるわけにもいかない。
《分かりました。4時間で合意します》
《カルナ:じゃあ準備期間は7日間でいい?》
7日間。短いような気もする。でも長くしてもやれることに限りがある。
《7日間で合意します》
送信した。
準備期間が始まった。
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まず罠の配置を見直した。
1層目の通路に矢罠を追加する。入口から入った瞬間から削り始める。当たらなくてもいい。矢が飛んでくれば相手は止まる。止まった隙にモンスターを動かす。
次に2層目だ。
「コアさん、2層目の通路を一部狭くしたい」
「1エリアあたり消費DP80です」
「2エリア分やろう」
承認する。消費DP:160。
2層目の通路が狭くなった。横に広がれない。前後にしか動けない。数で押してくる相手にとって、狭い通路は強みを殺す。
「2層目に拘束罠を置く。狭い通路の奥に」
「消費DP:30です」
承認する。
次にモンスターの補充だ。
ゴブリンを5体召喚した。消費DP:25。コウモリを3体召喚した。消費DP:6。
「1層目は引き受ける。でも深追いさせない。少しずつ後退しながら削って2層目に誘い込む」
管理画面のメモ欄に書き込んだ。
「攻めには一切戦力を使わない。守り切ってから攻める」
書いて、しばらく眺めた。
本当にこれでいいのか。穴はないか。カルナの戦力が予想を上回っていたら。4時間以内に突破されたら。
「……考えすぎても答えは出ない」
でも、不安は消えなかった。
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3日目の夕方。
2層目の森でクロが走り回っていた。
訓練ではなさそうだった。ただ楽しそうに、木々の間を駆け抜けている。シロがその後ろを追いかけている。少し遅れて、でも確実に。
「……クロ、シロ」
声に出してから、気づいた。
いつの間にか、2頭をそう呼んでいた。黒いウルフだからクロ。白いウルフだからシロ。正式に名前をつけたわけじゃない。でも頭の中では、ずっとそう呼んでいた。
「……名前、つけようか」
管理画面を開いた。名前入力欄を開く。
でも手が止まった。
単純すぎるだろうか。黒いからクロ、白いからシロ。もっと考えた方がいいんじゃないか。
でも——
「……最初から、そう見えてたんだよな」
初めて召喚されたあの日から。群れの中で毛並みが違う2頭がいた。黒くて鋭い目のウルフと、白くて落ち着いたウルフ。ルナリアがクロとシロと呼ぶ前から、2頭はずっとクロとシロだった。それ以上でも以下でもない。
「黒い方はクロ」
森の奥からクロが飛び出してきた。くんくんと鼻を動かしながら、足元をうろつく。
「……気に入った?」
クロが顔を上げた。尻尾が大きく揺れた。
管理画面に名前を入力する。フレーバーテキスト欄が空白のままだ。
「……やんちゃ、かな」
クロを見た。今もまだ足元をうろついている。訓練中も一番先頭を走って、休憩になるとすぐアルスに頭を押しつけに行く。
「うん、やんちゃだ」
入力した。
《クロ 種族:ウルフ フレーバーテキスト:やんちゃ》
承認する。
「白い方はシロ」
シロが木の陰からゆっくりと出てきた。クロを一瞥して、少し離れた場所で止まった。
「気に入らなかった?」
シロは答えなかった。でも、その場を離れなかった。
フレーバーテキスト欄を開く。
シロを見た。クロが無茶をするたびに後ろから追いかける。訓練中は常に後衛で全体を見ている。クロがアルスに甘えるのを、呆れたように見ている。
「……苦労人、だな」
入力した。
《シロ 種族:ウルフ フレーバーテキスト:苦労人》
承認する。
「クロ、シロ。これからよろしくね」
クロがルナリアの足元に体を押しつけた。シロはしばらくルナリアを見ていた。それから、ゆっくりと視線を外した。
でも、その場を離れなかった。
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5日目の夜。
アルスが3層目の入口に立っていた。いつもの場所だ。でも今日は、ただ立っているのではなく、何かを考えているように見えた。
ルナリアはしばらくアルスを見ていた。
アルスはずっと一緒にいた。目が覚めた日から。何もない洞窟で、最初に現れたモンスターだった。頭を下げて、護衛位置についた。ダンジョンコアに礼をした。名前をもらってから「主」と呼んだ。
ゴブリンだった頃も。ホブゴブリンになってからも。ずっと、アルスはアルスだった。
「……アルス」
アルスが振り返った。
「明日、対戦だ」
アルスは何も言わなかった。
「37%なんだ、勝率。正直、怖い」
言ってから、少しだけ恥ずかしくなった。でも本当のことだ。
「でも、やるしかないから。……明日、よろしくね」
言い終わった瞬間だった。
管理画面に通知が走った。
《アルス》
《進化条件を達成しました》
「……え」
「コアさん、アルスの進化条件は?」
「……既に達成済みです」
「え?」
今まで一度も通知が出なかった。
「なんで今まで通知が来なかったの?」
「進化の実行は任意です。対象モンスターが進化を保留している場合、通知は表示されません」
ルナリアはアルスを見た。アルスはじっとルナリアを見ていた。
何も言わなかった。でも、その目が何かを言っていた気がした。
「……進化させる」
承認する。
光がアルスを包んだ。静かな光だった。派手さがない。ただ確かに、変わっていく光だった。
光が消えた。
アルスは大きくなっていた。体格が変わっている。肩幅が広くなっていた。手が大きい。でも顔は——目の奥にあるものは、変わっていない。
「……アルス」
アルスはルナリアを見た。
「主」
声が、少し低くなっていた。でもその一言は、最初の日から変わらない。
フレーバーテキスト欄を開いた。
「寡黙」
変わらない。進化しても、アルスはアルスだ。
入力する。
《アルス 種族:レッサーオーガ フレーバーテキスト:寡黙》
承認する。
ルナリアは少しだけ笑った。
「……ありがとう、アルス」
アルスは低く喉を鳴らした。
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翌日、準備最終日。
管理画面を開いて、全体を確認した。
1層目:矢罠・転倒罠を通路の要所に配置済み。
2層目:拘束罠を狭くした通路の奥に設置済み。
モンスター:補充完了。引きながら戦う動きを7日間で確認した。
「……これでいいか」
完璧じゃない。穴はある。でも、今できる最善だ。
アルスが隣に立っていた。クロが足元をうろついている。シロが少し離れた場所から見ていた。ブレイブが入口付近に立っている。エリンが光弾を手の中で転がしながら漂っていた。
「……明日だよ」
クロが低く唸った。アルスは何も言わなかった。シロはそのままだった。
精霊の遊庭は静かだった。でも、静かすぎない静けさだった。
明日にはこの静けさも終わる。
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