第23話 材料の毒
すいませんあげるの忘れてました!
《レイナさん、東の方で、魔草を欲しがるダンジョンが増えてるみたいです。多めに育てておくといいかも》
試しに、栽培の区画を一つだけ広げた。
半月後、本当に問い合わせが来た。二件。片方は毎月の継続を約束してくれて、もう片方は一度きりの注文だった。
……当たった。
レイナは、二件とも「需要の始まり」と読んだ。DPを使って水路を引き直し、棚を倍にした。二件来たなら、次は五件、十件と来る。数字がそう言っている。
続いたのは、一件だけだった。
魔草は育ち続け、倉庫の棚を埋め、通路にまで並んだ。
行き先のない緑を見るたびに、胸の奥が重くなった。結局、乾かして束にして、値を下げて、市に流した。育てた分だけ、損が形になった。
……ミルティアの情報は、当たっていた。欲しがるところは、確かにあった。読み違えたのは私だ。二件を十件に膨らませたのは、私の欲だ。
台帳に、赤い印をつけた。
その少し後には、こんな文字も来た。
《西の谷のお二方とは、あまりいい噂を聞かないので、私、お取引をやめました》
レイナは、やめなかった。噂だけで取引を切るのは危ない。自分の目で見た数字を信じる。そう判断した。
ひと月後、西の谷からの納品が、期日から大きく遅れた。質も約束と違った。埋め合わせに走って、他の予定が三つ崩れた。
……ミルティアの言う通りだった。
今度こそ取引をやめて、台帳に赤い印をつけた。……初めて自分で決めたことに、ついた赤だった。
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残った取引先は、もう、数えるほどだった。
台帳をめくると、赤ばかりが目に入る。几帳面に整えた書式が、几帳面に、私の駄目さを並べていた。
赤い印が、また増えた。
夕方の通話まで、あと三時間。
気がつくと、一日を、そこから逆に数えている。
夜、通話の向こうで、ミルティアが言う。
『迷惑ばかりかけてしまって、すみません。次から、気をつけますね』
「……違う。ミルティアのせいじゃない。決めたのは、私だから」
『……ふふ。レイナさんは、優しいですね』
その一言で、台帳の赤が、少しだけ軽くなる。
軽くなることに、慣れていく。
……軽くしてもらわないと立てない自分が、いちばん、嫌いだった。
眠れない夜は、ミルティアの文字を、最初から読み返した。
《おはようございます、レイナさん》。《今日も良い一日になりますように》。同じ言葉なのに、読むたびに、少しずつ、効く。
声も、覚えている。『優しいですね』。取り出して、再生する。台帳の赤が、また少し、軽くなる。
……薬みたいだ、と思って、その考えを、急いで消した。
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別の夜、通話が、いつもより少し遅れて始まった。
『すみません。翠雨の谷の方と、お話が長引いてしまって』
……翠雨の谷。
知らない名前に、胸の奥が、嫌な形に動いた。
「……そう。忙しいんだね」
自分の声が、平らになるのが分かった。平らに、しようとしていることも。
『ふふ』
声が、少し、近くなる。
『でも、レイナさんとお話しすると、落ち着きます』
……戻った。
安堵が来て、その大きさに、自分で少し、引いた。
取引相手だ。ただの、同盟相手だ。誰と話そうと、関係ない。
関係ないのに、翠雨の谷、という名前を、私はたぶん、忘れない。
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見知らぬ名前から、文字が届いた。
《暗幽の廃城のアルカナと申します。突然ごめんなさいね。近隣の方と取引のご縁を広げていて、ご挨拶まで。お困りの素材などあれば、お声がけくださいな》
知らない名前だった。挨拶にしては、そっけない。急ぐ用件もない。
……取引の誘いなんて、いつぶりだろう。
覚えていなかった。数えようとして、やめた。数えたら、何かを認めることになる気がした。
返事を打ちかけて、指が止まった。
知らない相手に、返事をしていいのか。
気がつくと、指は、ミルティア宛ての画面を開いていた。
〈相談なんだけど、知らない人から挨拶が来て——〉
打ちかけて、止まった。
……今、何を考えた?
知らない人に挨拶を返すかどうかを、私は、人に聞かないと決められないのか。
寒気のようなものが、背中を通った。
……疲れてるだけだ。
下書きを消して、画面を閉じて、仕事に戻った。
夕方、もう一度開いて、読み返した。返事は、書かなかった。
翌日も、同じだった。途中で一度、ミルティア宛ての画面が開いていた。閉じた。
三日目の夜、三行だけ、打った。
書き終えて、読み返して——挨拶ひとつに三日かかる自分に、うっすらと、吐き気がした。
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