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第19話 消せない懸案


朝、目が覚める。通信欄を開く。


 《おはようございます、レイナさん。今日も良い一日になりますように》


 〈おはよう〉


 いつも通りの朝。いつも通りの、綺麗な机。


 点検、完了。在庫、対応中。懸案の残数、ゼロ。


 その日の昼まで、レイナは、それがずっと続くものだと、思っていた。


---


 夜の通話は、いつも通りに、始まった。


『今日、東の薬草、届きました。良い品でしたよ』


「ん。……なら、次の便で、乾燥棚の件も進めて」


『ふふ。もう、手配してあります』


 いつも通りの、夜だった。


 その途中で、ミルティアの声が、ふつりと、途切れた。


『……レイナさん。聞いて、ほしいことが、あります』


「……どうしたの」


 少しの、間。息を吸う音が、聞こえた。


『私、対戦を、したことが、ないんです』


「…………え?」


 聞き間違いだと、思った。


『一度も。デビューしてから、一度も、です』


 レイナは、頭の中で、ミルティアの順位を呼び出した。407位。対戦の勝敗で動く帯より、ずっと下。運営評価だけの数字。


 ……気づかなかった。気づこうとも、しなかった。


『新人は、一年以内に、一度は対戦しないといけないんです』


「……そんな規則、あった?」


『……未対戦の人にだけ、届く通知だから。私も、この間、通知が来て……初めて、知りました』


 そんな規則は、見たことがなかった。


『私の期限……もう、あまり、残っていなくて』


 声の最後が、少しだけ、震えていた。


「……期限を過ぎたら、どうなるの」


『……分からないんです。誰も、知らなくて。……破った人は、もう、いないから』


 いない。


 その言葉だけが、頭の中に、残った。


 意味を、レイナは、考えないように、した。


「どうして、今まで、言わなかったの」


『怖くて。……言ったら、残りの日を、数え始めちゃう気がして。ごめんなさい。ごめんなさい、レイナさん、こんな話……』


 謝られると、責められなかった。


「……いい。話してくれて、よかった」


 言いながら、レイナの頭は、勝手に動いていた。打てる手を、探そうとする。いつもの、机の上の動き。


 二つ、三つ、浮かんだ。どれも、形になる前に、消えた。


 対戦は、ダンジョン同士のもの。取引と違って、こちらから差し込める手が、ない。


 こんなことは、初めてだった。


「……私に、できることは」


 自分の声が、少しだけ、掠れているのが、分かった。


 長い、間があった。


『……ないんです。対戦だけは、誰にも、代わってもらえないから』


「…………」


『ただ』


 声が、少しだけ、近くなった。


『そばに、いてください。期限の日まで、いつも通りに、話してください。……それだけで、私、頑張れるので』


「……ああ。分かった」


『ふふ……よかった。……ごめんなさい、変な話して。おやすみなさい、レイナさん』


「……おやすみ」


 通話が、切れた。


---


 部屋が、静かだった。


 いつもと同じ静けさの、はずだった。……今夜は、少しだけ、広すぎた。


 レイナは、管理画面を開いて、規則の項を、探した。


 ……なかった。


 一年、という数字も。義務、という言葉も。どこにも。


 検証しようが、なかった。


 机に向かって、今日の記録をつけた。


 点検、完了。在庫、対応中。取引、順調。


 最後に、いつもの欄に、いつも通り、書こうとして——手が、止まった。


 懸案の残数——


 一。


 書いた文字を、しばらく、見ていた。


 消し方の、分からない懸案が、机に載ったのは、初めてだった。


 明日の予定を、開いた。


 点検。在庫。取引の返信。いつもの並び。


 いつもなら、ここを確かめれば、一日が、終わる。


 今日は、並びの先で、一つの名前だけが、消えなかった。


お読み頂きありがとうございます。

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