第17話 先を歩く
最初に気づいたのは、コアさんだった。
《……ルナリア。アルスの魔力の質が、変わり始めています》
「え、どこか悪いの?」
《……いえ。整って、きています。器が、満ちる前の状態に、似ています》
新しい観測の目は、こういうものまで見えるらしい。
画面に映るアルスは、いつも通りだった。朝は3層で若い子たちの型を見て、昼は工房で得物の調整をして、夕方は自分の素振りをする。いつも通りの、一日の形。
午後、3層に降りて、少しだけ、授業を見学した。
若いホブゴブリンの構えを、アルスが、無言で直す。手の位置を、ほんの少しだけ。それだけで、次の一振りの音が、変わる。
列の端に、ずっと空振りばかりの子がいた。何日も、同じところで、つまずいていた子。アルスがその子の前に立って、自分の足の運びを、一回だけ、ゆっくり見せた。
次の一振りで、その子の剣が、初めて、まっすぐ落ちた。
本人が、一番、驚いた顔をしていた。
でも、言われてみれば——素振りの音が、少しだけ、変わった気がする。前より、静かになった。力が抜けたんじゃない。無駄が、抜けていく音だった。
《……数日以内かと》
「……そっか」
楽しみなような、少しだけ、寂しいような。
最初の一体が、また、先へ行く。
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三日後の朝、通知が鳴った。
《アルスに、進化が可能になりました》
《鬼童→鬼人》
3層に降りると、アルスはもう、広場の真ん中に立っていた。分かっていたみたいに。
周りに、ホブゴブリンの子たちが集まってくる。アルスに型を教わった子たち。その子たちに教わった、もっと若い子たち。
「アルス。進化、来たよ」
アルスは、私を見た。
「する?」
昔、同じことを聞いた時、保留した子もいた。走りたいから、と走っていった子も。だから、答えはいつも、本人が決める。
アルスは、集まった子たちを、ゆっくりと見回した。
目が合った子たちが、一人、また一人と、頷き返していく。
全員の頷きを受け取ってから、アルスは、私に向き直った。
「……我々は、先を、歩く」
短い言葉だった。でも、足りた。
「うん。……お願いします、先生」
進化を、承認した。
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白い光が、アルスを包んだ。
いつもの、進化の光。ただ、少しだけ、長かった。
光が解けると、そこに立っている姿は、一回り、大きくなっていた。額の角が鋭く伸びて、鬼童の面影を残したまま、少年の輪郭が、抜けていた。
《アルス:鬼人(Cランク個体)》
鬼人は、得物の柄を、一度、握り直した。昨日まで両手で振っていた得物が、片手に、収まっていた。
それから、何も言わずに、構えて——素振りを、一回。
ひゅ、と。
空気の切れる音が、前と同じ場所で、前より深く、鳴った。
変わっても、最初にすることは、変わらない。
「……おかえり、アルス」
「主」
第一声も、いつも通りだった。
周りの子たちが、どっと沸いた。レッサーオーガたちが太い腕を突き上げて、若いホブたちが真似をして、訓練場の空気が、お祭りみたいになる。
私は、歓声の中でも、さっきの一振りだけが、耳に残っていた。
その、真ん中で。
通知が、鳴った。
《ホブゴブリン(第二小隊長)に、進化が可能になりました》
「え」
続けて、もう一件。
《ホブゴブリン(第三小隊長)に、進化が可能になりました》
そこから先は、数えるのを、やめた。次々と、通知が鳴る。
広場を見回した。歓声の中で、小隊長格の子たちが、何かに気づいたみたいに、自分の手のひらを見ている。
「コアさん、これ……」
《……アルスの進化が、最後のピースだったようです。教わっていた子たちの器も、とうに、満ちていました》
小隊長たちが、顔を見合わせた。それから、一斉に、アルスを見た。
鬼人になった先生が、頷く。
……そうか。
先を歩く人がいると、後ろに、道ができる。
「みんな。……する?」
五つの白い光が、広場に、並んで立った。
光が解けると、五体のレッサーオーガが、少し照れたみたいに立っていた。昨日まで小隊長だった子たち。今日から、先生の隣を歩く子たち。
歓声が、二回目の、もっと大きな波になった。
アルスは少しだけ困った顔をして——それから、いつもの位置に立って、型の続きを、始めた。新しいレッサーオーガたちが、慌てて、いつもの位置に並ぶ。
先生の授業は、今日も、いつも通りだった。
ただ、教室の背丈だけが、少しだけ、伸びていた。
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夕方、偵察の報告が届いた。
浮かれた気持ちのまま画面を開いて——指が、止まった。
染みの縁。北の帯の、一番端。
鳥の視界に、白いものが、点々と映っている。
「コアさん、これ……」
《……骨、です。小動物の。……一箇所に、集まっています》
画面を、拡大した。食べ痕が、狭い範囲に、固まっている。周りには、ない。そこだけに、ある。
野生の獣は、こんな食べ方を、しない。
何かが、引っかかった。
この形、どこかで、見た。
……どこで?
そこだけ、霧がかかったみたいに、出てこない。
思い出せないことが、いちばん、気持ち悪かった。
《……記録に、追加しますか》
「うん。……印、一個増やして」
地図の隅に、小さな印が、一個、増えた。
今日は、いい日だった。アルスが進化して、みんなが笑って、素振りの音が深くなった。
いい日の終わりに、地図の印だけが、静かに、増えていく。
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