第九話 繭の中の命迫りくる刻
〜絡みつく糸〜
静まり返った廃村に、風が吹いた。
軒先に垂れ下がった蜘蛛の糸が揺れ、幾つもの繭がかすかに軋む。
その中央で、女郎蜘蛛は身を低くしていた。
赤黒い瞳が、緋月桜花を見据えている。
先ほどまでの攻勢とは違う。
女郎蜘蛛は、桜花の間合いへ踏み込もうとしなかった。
代わりに、周囲に張り巡らされた糸を伝い、ゆっくりと位置を変えている。
桜花は刀を構えたまま、その動きを追った。
「……警戒していますね」
桜花の声は静かだった。
女郎蜘蛛は、桜花の剣が脅威であることを理解している。
ならば、真正面から打ち合う必要はない。
勝てない相手を避け、勝てる機会だけを狙えばいい。
その判断ができるだけの知性を、この妖怪は持っていた。
「桜花、気をつけて。あいつ、さっきまでと動きが違うよ!」
白夜が声を上げる。
「ええ。無闇に近づいてくることはなさそうです」
桜花は視線を外さなかった。
「ですが、こちらも時間をかけるわけにはいきません」
背後には、幾つもの繭が吊るされている。
その中には、まだ息のある人々がいるかもしれない。
救出できる時間は、限られていた。
「こはくさん。繭の様子はどうですか?」
「今、確認しています!」
こはくは繭の一つに近づき、慎重に様子をうかがった。
外側の糸越しに、かすかな人の気配が伝わってくる。
別の繭からは、何の反応もない。
さらに、その隣の繭には、内側から押し返すような動きがあった。
すべてが同じ状態ではない。
それが何を意味するのか、今のこはくには断言できなかった。
「……やっぱり、一刻も早く助けないと」
こはくは唇を引き結んだ。
桜花が敵を倒せば、それで終わり。
そう単純な状況ではなかった。
〜守るべきもの〜
女郎蜘蛛が動いた。
狙いは桜花ではない。
こはくが確認していた繭へ向けて、細い糸が伸びる。
「させません!」
桜花の姿が消えた。
次の瞬間、繭へ迫っていた糸が切り落とされる。
女郎蜘蛛はすぐさま身を引いた。
桜花の刀が届く寸前、蜘蛛の脚が地面を蹴る。
斬撃は空を切り、女郎蜘蛛は家屋の壁へと逃れた。
桜花は追わなかった。
追えば、繭から離れることになる。
女郎蜘蛛はそれを狙っているのかもしれない。
「……なるほど」
桜花は刀を構え直した。
「私が追うことを、期待していたのですね」
返事の代わりに、女郎蜘蛛の口元から糸が吐き出された。
今度は桜花の足元へ。
彼女は身をひねり、糸をかわす。
しかし、その隙に女郎蜘蛛は別の繭へと向かっていた。
「桜花!」
「分かっています!」
桜花は踏み込んだ。
紅の残光が廃村を横切る。
女郎蜘蛛は繭へ届く直前に進路を変え、建物の陰へと滑り込んだ。
桜花は追撃を止め、繭との間に立つ。
女郎蜘蛛は倒せる。
少なくとも、桜花にはそう思えた。
だが、相手が戦いの場を選び、繭を利用してくる限り、好きなように剣を振るうことはできない。
守るべきものがある。
それが、今の戦いを難しくしていた。
「……厄介な相手ですね」
桜花は小さく息をついた。
「だったら、あたしが追い込む!」
白夜が前へ出る。
白い尾が揺れ、その先に狐火が灯った。
「白夜さん、無理はしないでください」
「分かってるって!」
いつものように明るく答えた白夜だったが、その目は笑っていなかった。
桜花もこはくも、戦っている。
自分にできることだってあるはずだ。
狐火だけでは足りないとしたら。
もっと強い力を使えれば、二人を助けられるのではないか。
白夜の胸に、ある考えが浮かぶ。
けれど、その先を考えようとした瞬間、心の奥にためらいが生まれた。
力を求めることが、いつだって正しいとは限らない。
白夜は小さく首を振った。
「今は……目の前のことに集中!」
狐火が、女郎蜘蛛の進路を塞ぐように放たれた。
女郎蜘蛛は身を翻し、燃える火を避ける。
その動きによって、ほんの一瞬だけ、桜花との距離が縮まった。
「ありがとうございます、白夜さん」
桜花の声が届く。
「任せて!」
白夜は笑顔を作った。
まだ、できることはある。
今の自分にできることを、まずはやるのだ。
〜捕食者の知恵〜
女郎蜘蛛は、二人から距離を取った。
そして、廃屋の奥へと身を滑らせる。
「逃がしません!」
桜花が踏み込もうとした、そのとき。
女郎蜘蛛は壁際に吊るされた繭へと向き直った。
繭の一つが揺れる。
中にいる人間が、まだ生きている。
女郎蜘蛛は、それを知っているかのように口元を開いた。
「っ……!」
こはくの顔色が変わる。
「桜花さん、そちらへ!」
桜花は即座に方向を変えた。
だが、女郎蜘蛛の動きは巧妙だった。
繭へ近づくと見せかけて、糸を桜花の足元へ放つ。
桜花がそれを避けた瞬間、女郎蜘蛛は別の繭へ向かって跳んだ。
「同じ手が何度も通じると思わないでください!」
桜花の刃が閃く。
女郎蜘蛛の脚の一部をかすめ、赤黒い妖気が散った。
女郎蜘蛛は地面に着地すると、すぐに距離を取った。
傷を負っても、ひるまない。
むしろ、桜花の動きを確かめるように、じっと見つめている。
やがて女郎蜘蛛は、繭へ向かう動きを止めた。
桜花が必ず阻止する。
そう判断したのかもしれない。
女郎蜘蛛の身体から、張り詰めた気配が漂う。
その視線が、桜花の背後にある繭へと向けられた。
「……そういうことですか」
桜花の声から、わずかに温度が消えた。
この妖怪は、ただ人を食べるために繭を作っているのではない。
繭を餌として利用しながら、戦いの主導権まで握ろうとしている。
桜花が人々を守ろうとするほど、女郎蜘蛛には行動の選択肢が生まれる。
そのうえ、隙を見つければ捕食し、自らの力を回復させることさえできる。
放置するわけにはいかない。
しかし、焦って斬りかかれば、相手の思うつぼになる。
「こはくさん。救出の準備を進めてください」
「はい!」
「白夜さんも、こはくさんの手伝いをお願いします。こちらは私が引き受けます」
「でも、桜花だけで大丈夫なの?」
「大丈夫です」
桜花は、穏やかに微笑んだ。
「お二人が人々を救ってくださるのなら、私はその時間を作ります」
その言葉に、白夜は一瞬だけ目を見開いた。
桜花は、ただ自分が敵を倒せばいいとは考えていない。
自分が戦うことで仲間が動けるのなら、それもまた戦い方の一つなのだ。
「……分かった。こはく、行こう!」
「うん!」
二人が繭の方へ向かう。
桜花は女郎蜘蛛を見据えた。
「ここから先は、通しません」
刀の切っ先が、静かに敵を指す。
女郎蜘蛛は、初めて大きく身を沈めた。
次の瞬間、廃村を覆う糸が一斉に揺れた。
〜迫りくる刻〜
こはくと白夜は、繭の並ぶ一角へ向かった。
「まずは、助けられる人を確認しよう」
こはくは焦りを抑えながら、一つずつ繭を確かめていく。
「この繭は反応がある……こっちは、まだ分からない」
「ねえ、こはく。糸を切るときは、どうすればいい?」
「中の人に影響が出ないよう、慎重にしないと。無理に引き剝がすのは危険だと思う」
「そっか……」
白夜は繭を見上げた。
人間の姿をした自分には、牙も爪もある。
白狐の姿になれば、また違う戦い方もできる。
それでも、今ここで必要なのは、ただ強い力ではない。
どうすれば人々を傷つけずに救えるのか。
それを考えなければならなかった。
遠くで、刀と妖怪がぶつかる音が響く。
桜花が戦っている。
こはくも白夜も、そのことを忘れてはいなかった。
「急ごう、白夜」
「うん!」
二人は再び繭へ向き直った。
残された時間は、長くない。
そして、彼女たちはまだ知らなかった。
この村に吊るされた繭のすべてが、同じ結末を待っているわけではないことを。
助けを待つ者。
すでに手遅れかもしれない者。
そして――。
繭の奥で、かすかに動く何か。
それが何なのかを確かめる余裕は、まだなかった。
今はただ、一人でも多くの命を救う。
そのために、三人はそれぞれの場所で戦っていた。
彼女達の旅はまだ続くー
お待たせしました。第九話です。
桜花は強いんですが、強さを損なわずに話を面白くするというのがなかなか難しいですね笑
感想もし良ければお聞かせください。
次回お楽しみに〜




