第七話 葛幕村に咲く温かな縁
〜木々の向こうに聞こえた声〜
木々の間を、春の風が静かに吹き抜けていく。
緋月桜花、白峰こはく、そして白狐の少女・白夜。
三人は、先ほどから聞こえていた人の声を頼りに、木々の間を進んでいた。
「ねえ、桜花。さっきから思ってたんだけどさ」
白夜が、隣を歩く桜花を見上げる。
「はい、何でしょうか?」
「こっちの道で合ってる?」
「……おそらく」
「おそらくって何!?」
白夜が思わず声を上げた。
その隣では、こはくが小さく苦笑している。
「桜花さん、先ほども似たようなことをおっしゃっていませんでしたか?」
「そうでしたか? ですが、今回は人の声が聞こえていますから。少なくとも、誰かが暮らしている場所には近づいているはずです」
「それはそうだけどさぁ……」
白夜は呆れたように耳をぴこぴこと動かした。
「ま、誰かに会えれば道も聞けるしね!」
「はい。そうしましょう」
桜花は穏やかに微笑んだ。
三人がさらに歩みを進めると、やがて木々の隙間から、いくつもの屋根が見えてきた。
畑の広がる土地。
木造の家々。
家の脇に積み上げられた薪と、風に揺れる洗濯物。
遠くからは、誰かが農作業をしているらしい声も聞こえてくる。
そこには、人々が日々の暮らしを営む、素朴な集落があった。
「……村ですね」
こはくが目を細める。
「やった! やっと人のいるところに着いた!」
白夜が両手を上げて喜んだ。
一方、桜花は村を見渡し、ほっと胸をなで下ろした。
「よかったです。これで、ようやく道を尋ねられますね」
「桜花って、ほんとに方向音痴なんだね……」
「白夜さん。道が分からなくなることと、方向音痴であることは、必ずしも同じではありませんよ?」
「いや、今の状況はどう考えても同じでしょ!」
白夜の声が、春の空へと響き渡った。
こはくは、とうとう堪えきれずに笑ってしまった。
三人の旅路は、こうして新たな村へとたどり着いたのだった。
〜葛幕村〜
村の入口へと足を踏み入れると、三人はさっそく村人たちの姿を見かけた。
畑仕事に励む者。
家の前で薪を割る者。
収穫した野菜を運ぶ者。
年齢はさまざまだが、働き者が多いらしい。
華やかな都とは違う、地に足のついた暮らしがそこにはあった。
「なんだか、落ち着く村ですね」
桜花がそう口にすると、こはくも頷いた。
「ええ。人々の暮らしが、自然と馴染んでいるように感じます」
「おいしそうな匂いもする!」
白夜は、どこからか漂ってくる料理の香りに鼻を動かした。
「白夜さん、先ほどお昼を食べたばかりではありませんでしたか?」
「別腹!」
「ふふっ。そうですか」
そんな会話を交わしながら歩いていると、村の道の向こうから、一人の若い女性がこちらへやって来た。
彼女は三人の姿に気づくと、足を止め、柔らかな笑みを浮かべた。
「こんにちは。旅のお方ですか?」
親しみやすく、明るい声だった。
「はい。私たちは旅の途中でして、こちらの村にたどり着いたところです」
桜花が丁寧に答える。
「まあ、そうだったんですね。ようこそ、葛幕村へ!」
女性は、三人を歓迎するように微笑んだ。
「私は夕霧杏音と申します。村で何かお困りのことがあれば、遠慮なく声をかけてくださいね」
「ありがとうございます。私は緋月桜花と申します。こちらは白峰こはくさんと、白夜さんです」
「こはくです。よろしくお願いします」
「白夜だよ! よろしくね!」
白夜は元気よく手を振った。
杏音は三人を順番に見つめ、にこりと笑った。
「桜花さんに、こはくさんに、白夜ちゃんですね。覚えました!」
その朗らかな様子に、桜花も自然と表情を和らげた。
「杏音さんは、この村にお住まいなのですか?」
「はい。生まれたときから、ずっとここで暮らしています。小さな村ですけれど、皆さん親切で、とても居心地がいいんですよ」
そう言って、杏音は村を振り返った。
その目には、住み慣れた土地への愛情が感じられた。
「もしよろしければ、村の中をご案内しましょうか?」
「よろしいのですか?」
「もちろんです! せっかく葛幕村にいらしたんですから」
「ありがとうございます。助かります」
桜花が頭を下げると、杏音は少し照れたように笑った。
「そんな、かしこまらなくても大丈夫ですよ」
「そうそう! 桜花は丁寧すぎるところがあるからね!」
白夜が横から口を挟む。
「白夜さん、それは褒めてくださっているのでしょうか?」
「もちろん!」
「……本当ですか?」
「たぶん!」
「ふふっ」
杏音も、こはくも、思わず笑みをこぼした。
こうして三人は、杏音の案内で葛幕村を歩くことになった。
〜村長の家〜
村の中をしばらく歩いたところで、杏音は一軒の家の前に立ち止まった。
ほかの家よりも少し大きく、きれいに手入れされた庭には、薪が整然と積まれている。
「ここが村長のお宅です。ちょうど奥さんがいらっしゃると思いますよ」
杏音が戸口へ近づき、声をかけた。
「菊子さーん! お客様をお連れしました!」
すると、家の中から、明るく張りのある声が返ってきた。
「はいはい、今行きますよ!」
ほどなくして戸が開き、年配の女性が顔を出した。
彼女は杏音と、その後ろに立つ三人を見ると、すぐに笑顔になった。
「あらまあ! 旅のお方かい?」
「はい。突然お邪魔して申し訳ありません」
桜花が頭を下げる。
しかし、女性は手を振り、気持ちよく笑った。
「何を言ってるんだい! 旅の人が村に来てくれるなんて、ありがたいことじゃないか。私は長塚菊子。この村の村長の妻だよ」
「緋月桜花と申します。こちらは白峰こはくさんと、白夜さんです」
「こはくです。よろしくお願いいたします」
「白夜だよ!」
「はいはい、よろしくね!」
菊子は三人の顔を見比べると、家の中へと手招きした。
「立ち話もなんだから、まずは上がっておいき。お茶くらい出すからさ!」
「いえ、そこまでしていただくわけには……」
「遠慮はいらないよ!」
桜花が言い終えるよりも早く、菊子は笑顔で言い切った。
「旅をしていると、何かと大変だろう? うちでよければ、ゆっくり休んでいきな!」
その気前のよさに、白夜の耳がぴんと立つ。
「えっ、休んでいいの!?」
「もちろんさ!」
「やったー!」
「白夜さん……」
桜花が苦笑する。
こはくも、申し訳なさそうに菊子へ頭を下げた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
「そうこなくっちゃ!」
菊子は満足そうに頷き、三人を家の中へ招き入れた。
杏音も、その様子を見て嬉しそうに笑っている。
「菊子さんは、いつもこんな感じなんです。困っている人を見かけると、放っておけないんですよ」
「そんな大したことじゃないさ。できることをしているだけだよ」
菊子はそう言いながら、手早く茶の支度を始めた。
その背中からは、飾らない優しさが伝わってくる。
〜囲炉裏端の温もり〜
家の中には、木の香りと、どこか懐かしい温もりが満ちていた。
三人が囲炉裏のそばに腰を下ろすと、菊子は湯気の立つ茶と、素朴な菓子を運んできた。
「さあ、召し上がれ。たいしたものじゃないけれどね」
「ありがとうございます。いただきます」
桜花は両手を添えて茶を受け取った。
こはくも礼を述べ、白夜はさっそく菓子に手を伸ばす。
「んー! おいしい!」
「こらこら、白夜ちゃん。お茶も飲みなさいな」
「はーい!」
菊子は楽しそうに笑った。
「若い子がいると、家の中が賑やかになっていいねえ」
その言葉に、杏音も頷いた。
「村には働き盛りの方々が多いですけれど、若い人はそれほど多くないんです。だから、皆さん私のことをよく気にかけてくださるんですよ」
「そうなのですね」
桜花は、杏音の穏やかな笑顔を見つめた。
村の人々に大切にされていることが、その言葉や仕草から伝わってくる。
「杏音さんは、皆さんに愛されていらっしゃるのですね」
「そ、そんな……。私なんて、まだまだですよ」
杏音は少し頬を赤らめ、照れくさそうに笑った。
「でも、皆さんには本当に感謝しています。小さい頃から、ずっとお世話になっていますから」
「いいことじゃないか。杏音は昔から、誰にでも優しい子だからねえ」
菊子は、まるで自分の娘を褒めるような口調で言った。
杏音は困ったように笑いながらも、否定はしなかった。
そのやり取りを見て、こはくも柔らかく微笑む。
「素敵な村ですね。皆さんの繋がりが、よく伝わってきます」
「そう言ってもらえると嬉しいねえ」
菊子は満足そうに頷いた。
「ところで、あんたたちはこのあとどうするんだい?」
「そうですね……。今のところ、特に決めてはおりません」
桜花は茶を置き、少し考えるように視線を落とした。
「せっかくですから、しばらく村で休ませていただければと思っております」
「それなら、うちに泊まっていきな!」
菊子は間髪入れずに答えた。
「えっ、よろしいのですか?」
「もちろんさ。部屋なら何とかなるし、食事だって出せるからね。遠慮するんじゃないよ!」
「ありがとうございます。ご厚意に甘えさせていただきます」
桜花が深く頭を下げると、こはくも続いた。
「本当にありがとうございます」
「いいんだよ、いいんだよ!」
菊子は手を振り、白夜へと視線を向けた。
「白夜ちゃんも、ゆっくりしていきな」
「うん! 菊子さん、大好き!」
「まあまあ、嬉しいことを言ってくれるねえ!」
二人はすっかり打ち解けた様子だった。
桜花はその光景を眺めながら、静かに微笑んだ。
旅の途中で、こうして誰かの温かさに触れられる。
それもまた、旅を続ける理由の一つなのかもしれない。
〜頼れる村長〜
夕刻が近づく頃。
家の外から、どっしりとした足音が聞こえてきた。
「ただいま戻ったぞ」
戸口に姿を現したのは、体格のいい老人だった。
年齢を感じさせる白髪交じりの髪に、日に焼けた顔。袖をまくった作業着には、畑仕事や薪割りをしてきたことを思わせる土や木屑がついている。
その手には、割ったばかりらしい薪が抱えられていた。
「あら、お帰りなさい。ずいぶん早かったねえ」
菊子が声をかける。
「畑の仕事がひと段落したのでな。薪も片づけてきた」
老人は薪を置き、家の中にいる三人へと目を向けた。
「おや。こちらの方々は?」
「旅のお客様だよ。しばらく、うちに泊まっていってもらうことにしたんだ」
菊子の説明に、老人は大きく頷いた。
「そうか。それはよかった。わしは長塚長兵衛。この村で村長を務めている」
「緋月桜花と申します。突然お世話になることになり、申し訳ありません」
「白峰こはくです。お世話になります」
「白夜だよ! よろしくね!」
三人が挨拶すると、長兵衛は気持ちのよい笑顔を浮かべた。
「なに、気にすることはない。旅の者が休める場所があるなら、それに越したことはないからな」
その言葉には、村をまとめる者としての頼もしさがあった。
「この村には、旅人が来ることもあるのですか?」
こはくが尋ねると、長兵衛は少し考えてから答えた。
「多いとは言えんな。だが、道を行き交う者は誰であれ、困っていれば助ける。それがこの村のやり方だ」
「なるほど……」
こはくは感心したように頷いた。
「皆さん、本当にお優しいのですね」
「ははは! たいしたことではない。人は一人では生きていけんからな」
長兵衛は豪快に笑った。
その様子を見て、桜花も微笑む。
「素晴らしいお考えだと思います」
「そう言ってもらえると、村長冥利に尽きるな!」
長兵衛は満足そうに頷くと、菊子へ向き直った。
「ところで、夕飯の支度はできているのか?」
「今からだよ。あんたも手伝っておくれ!」
「分かった、分かった!」
長兵衛は苦笑しながら袖をまくり直した。
その姿を見て、白夜が小声でこはくに話しかける。
「ねえ、あの村長さん、すっごく元気だね」
「ええ。畑仕事も薪割りも、普段からご自身でなさっているのでしょうね」
「おじいちゃんなのに、あんなに働けるなんてすごいなあ」
「白夜さん、聞こえてしまいますよ」
「えっ、あっ!」
白夜が慌てて口を押さえる。
だが、長兵衛は聞こえていたらしく、愉快そうに笑った。
「ははは! まだまだ若い者には負けんぞ!」
「ご、ごめんなさーい!」
白夜が頭を下げると、家の中に笑い声が広がった。
夕暮れの光が障子越しに差し込み、囲炉裏の火が静かに揺れている。
旅の途中で出会った、温かな人々。
葛幕村での最初の一日は、穏やかに過ぎていこうとしていた。
〜春の夜旅のひととき〜
夕食の席には、野菜を使った料理や、温かな汁物が並んだ。
菊子が気前よく料理を勧め、長兵衛が村の暮らしについて語り、杏音も楽しそうに会話へ加わる。
白夜は料理に夢中になり、こはくは村の風習や周辺の道について尋ねていた。
桜花もまた、皆の話に耳を傾けながら、時折丁寧に言葉を返した。
「桜花さんたちは、これからどちらへ向かうつもりなんだい?」
長兵衛の問いに、桜花は少し考えた。
「まだ、はっきりとは決めておりません。旅をしながら、さまざまな土地を訪れてみようと思っております」
「そうか。なら、しばらくはゆっくりしていくといい。このあたりの道は入り組んでいる場所もあるからな」
「……そうなのですね」
桜花は、ほんのわずかに視線をそらした。
白夜がすかさず口を挟む。
「桜花、道が入り組んでるってさ!」
「はい。よく分かりました」
「大丈夫? また迷子にならない?」
「白夜さん。私は道を覚える努力をしておりますので、ご心配には及びません」
「その努力、成果出てる?」
「……これから出る予定です」
「予定なんだ!?」
こはくが口元を押さえて笑い、杏音も声を立てて笑った。
長兵衛と菊子まで、楽しそうに顔を見合わせている。
桜花は少し困ったように微笑みながらも、決して不機嫌にはならなかった。
「皆さん、そんなに笑わなくても……」
「ごめんなさい、桜花さん。でも、なんだか楽しそうで」
杏音がそう言うと、桜花もつられるように笑った。
「……そうですね。私も、楽しいです」
その言葉は、飾り気のない本心だった。
旅は、いつも穏やかなことばかりではない。
見知らぬ土地を歩き、知らない人々と出会い、時には困難に立ち向かうこともある。
それでも、こうした何気ない時間があるからこそ、また歩いていける。
桜花は、目の前に広がる温かな食卓を見つめた。
「皆さん。本日は本当にありがとうございました」
「何度も礼を言わなくていいんだよ。ゆっくりしていきな!」
菊子が笑顔で答える。
「そうだとも。明日もあるのだから、今夜はしっかり休むといい」
長兵衛も頷いた。
「はい。お言葉に甘えさせていただきます」
桜花は静かに頭を下げた。
やがて夜は更け、家々に明かりが灯る。
葛幕村の夜は、穏やかだった。
その夜、桜花たちは久しぶりに、旅の疲れを忘れて眠りにつくことができた。
春の風が、静かに村を吹き抜けていく。
まだ知らぬ明日へと続く旅路を、そっと見守るように。
〜こうして、葛幕村での最初の夜が更けていった。
彼女達の旅はまだ続くーー
お待たせしました!第7話です
最近は、ほのぼのしてますね。楽しそうな桜花達を待ち受けるのは!?
次回お楽しみに〜




